ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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ナイチンゲールの感性

2011年03月09日 | ナ行
                     日野原重明

 5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日で、日本では「看護の日」となっています。

2000年のまとめでは、正看護師と准看護肺の総数は104万2000人で、医師の総数の約4倍でこす。今や病院・診療所の看護職はほぼ定員を満たしています(「国民衛生の動向」から)。

 しかし、1990年ごろは多くの医療機関で看護師が不足していました。そこで、日本看護協会は、看護師の待遇を少しでも良くしてその社会的地位を高め、志願者を増やそうと働きました。「看護の日」の制定のための運動もそうです。「看護」に高い関心を寄せていた作家の中島みちさんから私も、「看護の日」実現のために手伝ってほしい、と頼まれました。私は、作家や評論家、病院ボランティアの人々まで呼びかけて、運動として盛り上げたらいいのではないか、と思いました。

 そこで、評論家の柳田邦男さんや秋山ちえ子さん、作家の橋田寿賀子さんやボランティア活動をしてきた石川美代子さんら、それに私を含めた医師3人が、中島みちさんを呼びかけ代表人とする「『看護の日』の制定を願う会」を作りました。そして、津島雄二厚生大臣(当時)にこの制度の実現を要望したのです。そうして、病む人や老いた人への看護の心、ケアの心、助け合いの心を広めるために、ナイチンゲールの誕生日が選ばれたのです。

 ナイチンゲールは1820年、英国貴族の娘としてイタリアのフローレンス(フィレンツェ)で生まれました。

 志願したクリミア戦争で、傷病者の看護に当たるうち、看護は医師とは違った立場であるが医療にとって重要な役割がある、正規の学校による訓練が必要だ、と考えました。1860年、彼女の名前を冠した看護学校がロンドンに開校しました。

 この学校で訓練された看護師が後にはスコットランドやカナダのモントリオール、アメリカのボストンやフィラデルフィアなどで看護学校を開きました。

 ナイチンゲールは看護学校の新入生に、看護人の心得を説いています。それは、自分が経験したことのない病気であっても、病人の抱える苦しみや悲しみを感知できる感性が何より必要な職業だ、というものです。

 恵まれた家庭環境にあった貴族出身の彼女が病人の苦しみに寄り添えたのは、まさにこの感性が備わっていたからです。

 日本ではこの仕事に就く人を最初、「看病婦」と呼んでいました。後に「看護婦」となり、2002年の法改正で、医師や薬剤師と同様に、性別を表さない「看護師」と呼ばれるようになりました。呼び方は変わっても、ナイチンゲールの唱えた精神は変わっていないのです。

 (朝日、2004年05月08日)

   関連項目

浜松市立看護専門学校

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