ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「天タマ」第35号(2000年10月17日発行)

2007年08月08日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第35号(2000年10月17日発行)

          市立看護専門学校 哲学の教科通信

 10日は、患者の立場を消費者として、お客さんとして自覚して医
療者と付き合っていこうとしている人々の活動、 COML (コムル)
の活動を学んで考えました。

 皆さんのレポートには、 COML を初めて知ったとか、こういう動
きが広まって欲しいという意見が多く見られました。経験談を書い
た人もいます。多くは病院に行ったけれど余り親切に応対してもら
えなかったというものです。もちろん中には好い医者に出会って喜
んでいるというものもありました。しかし、今回はこのような体験
談は載せません。

  COML では「インフォームド・コンセント」を「説明と同意」だ
けでなく更に「理解と選択」を付け加えて理解している、とVTR
では紹介されていました。これにも賛成という意見が多かったです


 それに対して私は感想の中で「あのビデオに出ていた『理解と選
択』という考えからすると、看護婦が援助をする場合も複数の可能
な援助を説明して、患者がどれかを選ぶということになると思いま
す。皆さんは、複数の援助を提案するように教えられていますか?
」と書きました。実際はどうなのでしょうか。

 さて、先に、看護婦の忙しさを考えた時は、それを日本における
多くの勤労者の忙しさの一つとして考えました。この医者(医療者
)と患者の関係の問題を大きくして考えるとどうなるでしょうか。
こういう発想の人は、残念ながら、いなかったようです。

 しかし、「医者と患者というと今まで、先生と生徒、上司と部下
のような絶対的な上下関係があったように思える」という見方もあ
りました。今回はこれを考えましょう。

 医者と患者、先生と生徒、上司と部下、親と子、これらはどうい
う点で同じなのでしょうか。これは17日の授業で考えるとして、今
回はこれの具体例にもなるものとして、私たちのこの哲学の授業の
現状を考えてみましょう。

   教師の義務と生徒の義務

──今日はスタートが遅くて、先生もイライラしていた様子でした
。でも生徒の心理として、スタートの時間に来たいものだと思いま
す。どこの学校でも規則が多くて大変だからこそ、その規則のギリ
ギリまでで自分の生活を楽しんでいるんだと思います。先生はご自
分が学生の時、時間より早く学校に来ていましたか?

 ★ 10日の2限、1組では御用聞きが始業直前まで来てくれませ
んでした。生徒も始業ギリギリに駆け込んできた人もいました。そ
れはこの方の言うような理由からなのでしょうか。バスが遅れたと
書いている人もいました。本校でも規則が多くて、なるべく学校に
いたくないと思うのでしょうか? とても意外です。

 私の学校は自由な学校でしたから、そんな事は考えた事もありま
せん。私は始業時刻には席に座って待っていました。

 そもそも授業について先生と生徒が相手にどこまで要求していい
かということは、自分がどれだけやっているかという事と関係して
いると思います。

 では10日の場合、講師は自分の義務を果たしていたでしょうか。
御用聞きは10分前にきてほしい、チャイムがなったら席に座って
「天タマ」を読み始めていてほしい、と初めに説明してあります。
そして、10日は10時15分には準備をみな終えて、御用聞きを待って
いました。やはり今回は遅れてきた生徒の方が悪かったのではない
でしょうか。

 学校の規則に不当なものがある場合はそれとして解決をはかるべ
きでしょう。始業時に席に座って待っているというのは学ぶ姿勢の
基本で、それとは別の事だと思います。

 前回のAさんの問題提起に対しては、こんな意見がありました。

──先生は前回、前々回と、(今振り返ってみると)どこか私達を
警戒しているかのようなところがあったけれど、今日はとても良い
雰囲気で接して下さり、とてもうれしかった。

 また、私は少し勘違いしていた。隣のクラスの意見にもあったよ
うに、少し押しつけみたいな感じを私も感じていた。けど、これが
先生のやり方であり、特に気にしていなかったけど、それは先生が
哲学の授業を、教師という立場でプライドを持って真剣に考え、遂
行しようとしているからなのだと実感した。

 忙しい合間をぬって、生徒一人一人にレポートの返事を書き、
「天タマ」を作成し、授業内容をいろいろ配慮して行っているとこ
ろからうかがえる。プライドと実行力のある男らしい先生だと思っ
た。

 ★ Aさんの問題提起に対してはっきりした考えを書いてくれた
のはSさんだけでした。問題提起があったらどんどん意見を出し合
えるような授業にしたいものです。

──今回、3回目の授業になって気づいたことがあります。授業中
、話をしている先生をみていたら、生き生きとしてとてもよい笑顔
をしていました。先生の顔をみていたら自分も楽しくなってきて、
つい笑顔になります。人間、暗い顔をしているよりも明るい顔の方
が周りの人にもよい影響となるのだと思いました。

──「天タマ」を読むたびに、先生は、すごく一生懸命にやってく
れているなぁ、と思ってうれしくなる。「天タマ」を大切にしたい
と思う。

──「天タマ」を毎回読んで、友達の意見や感想が分かり、楽しい
し、とても自分のためになりよいが、逆に友達の意見と自分の意見
がかけ離れていると自分の考えは違っているのでは?と思ってしま
う。

 ★ 「天タマ」というか教科通信を始めてみて(静大のドイツ語
の授業でも時々出しています)、心の交流にとっての書き言葉の意
義がいかに大きいかを知りました。高校でこれに似た事をしている
先生がいて、今春その15年間の記録が本になりました。いずれ授業
でも取り上げる予定です。

 私が今考えていることは、学級通信とか教科通信といったものは
、小学校→中学校→高校→大学(専門学校)と年齢の上がっていく
につれて、ますます必要になっていくのではないか、それなのに現
実には上に行くほどそういうものを出す先生が少なくなっているの
ではないか、ということです。皆さんはどう思いますか?

   「休憩」について

──休憩の時間にはいつもいろいろなことを見れたり、読んだりし
て、今の自分には接点のないことだらけで、新しい世界が広がって
いきそうです。

 ★ 21回生の提案で「休憩」を始めました。授業中に休憩を入れ
るなどというふざけた教師は私くらいでしょう。しかし、これのお
蔭で授業の幅が広がったと思います。

──モジリァニの女のことやアンニュイについて話をしていた時の
先生の顔は本当に楽しそうであったことが印象的だった。この詩の
意味は私には分からなかったけど、先生の雰囲気で、ああ素晴らし
い歌なんだなあと実感がわいた。私も楽しくなった。

──先生について気になることがあります。いつもプリントを配る
時、先生はプリントを投げています。いけないと思いました。

 先生は、今日、俵万智「ちゃん」と呼んでいましたね。また、と
ても俵万智さんについて楽しそうに話していました。好きなんです
か? 楽しそうに話す先生を見て、いいなぁと思いました。

 ★ 「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高等学
校」という歌を紹介したつもりでした。

 プリントを投げて渡すのは、受け取る生徒がきちんと手を出して
受け取っているか、よく観察してみて下さい。この場合も教師の態
度と生徒の態度は関係していると思います。それはともかく、これ
まであまり意識していなかったので自分でも判りませんんが、これ
からは気をつけましょう。

──今日の先生はなんかおちゃめでおもしろかった。何か良い事で
もあったんですか? それと吉川宏志の詩は、恋している人の微妙
な心がよく現れていて、とても共感できた。なんだか温かい気持ち
にすらなった。詩を読むのは好きなので、また他の人の詩もやって
ほしい。

 ★ 教師を「おちゃめ」と評して好いか、大問題(?)ですが、
10日の「良い事」を考えてみると、Bさんに会ったことかな。私「
あ、Bさん。元気?」、Bさん「ええ。あれ、名前覚えてるぅ」。
3年に上がった人より留年した人の元気な姿の方が嬉しいものです
。それにBさんはお化粧をしていてとてもきれいだった。

   態度の問題と相互理解

──私は三歩歩くと物を忘れるにわとり頭なので、ビデオを見てメ
モをとっていただけなのに、先生に「ちょっと、ちゃんと見ててよ
」と私の方を見ながら言われたのでショックでした。そういうこと
もあるんだとわかって欲しいです。

 ★ 自分が他人に理解されないと不満を持つ人は多いですが、自
分が相手を理解しようとどれだけ努力しているかを反省する人は少
ないと思います。相手に誤解されたと思った時、自分も相手を誤解
しているのではないかという風には考えられないでしょうか?

 そもそも人間関係には誤解は付き物だと思います。それをはっき
りと認識して、誤解があったのではと思った時、それを訴えること
の出来る場を作っておくことの方が大切だと思います。

 すると、この授業のように、毎回レポートがあり、訴える場のあ
ることは、誤解が不和になるのを防ぐためのとても好い方法だと思
いませんか。誤解を訴えるのはもちろん自由なのですが、それを訴
える場のある事自体はとても好い事だなと評価する公正さは更に大
切だと思います。というのは、多くの場合はそれを訴える場が用意
されていないからです。

 なお、私が注意したとき、念頭においていたのは別の人です。私
はこの人の名前と顔を既に覚えていますから、間違えることはあり
ません。

──先生は「授業中に眠ってしまうのは悪い態度ではない」とおっ
しゃってくれて、私はなんだか心がホッとした。どんなに眠くても
死ぬ思いで目を開いて授業を受けるのは本当にツライ。ウトウトく
らいはしてもいいと思うと、安心する。だからといって眠ければす
ぐに眠るわけではないし、しっかりと授業を受けることはもちろん
だ。先生も、これから面白いテーマをどんどん私たちに提供してほ
しいと思う。

 ★ 昨年は、私がそう言ったら、「悪い態度は1回でC」という
のと矛盾するのではないかという意見が出ましたので、テーマとし
て取り上げて議論しました。その記録は「天タマ」の第27号に載っ
ています。留年した人に見せてもらって下さい。

   大学はいい所か

──私は先週土曜日にS大へ行ってきました。別に用があったわけ
ではないのですけど。やっぱり大学っていいですね。きれいな建物
があるし。古い建物もあったけど、研究室とか部屋が沢山ありまし
た。私じゃ迷子になりそうです。正門からまっすぐ行ったところに
深く掘ってある所があったけど、何を作っているのですか。

 ★ S大の工学部は今年から4年一貫体制になりました。つまり
、1・2年生も浜松で授業を受けるようになったのです。そのため
あちこちで工事をしています。しかし、大学の内実はお粗末なもの
です。世の中の評価とは逆に、専門学校の方が大学より充実してい
ると思います。自信を持ちましょう。