ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「菩提樹」の解釈(02、関口存男氏の説明)

2009年08月30日 | ハ行
 お断り・関口氏の『接続法の詳細』(三修社)の299頁以下に次の説明があります。知られていないようですので、ご紹介します。

     ──────

 まずドイツ語の原文を全部掲げます。下線部に注意して一応、全部お読みください。

     Der Lindenbaum
             一Wilhelm Müller

  Am Brunnen vor dem Tore,
  da steht ein Lindenbaum;
  ich trämt' in seinem Schatten
  so manchen süßen Traum.

  Ich schnitt in seine Rinde
  so manches liebe Wort;
  es zog in Freud’und Leide
  zu ihm mich immer fort.

Ich musst' auch heute wandern
  vorbei in tiefer Nacht;
  da hab ich noch im Dunkeln
  die Augen zugemacht.

  Und seine Zweige rauschten,
  als riefen sie mir zu:
  Komm her zu mir,Geselle,
  hier findst du deine Ruh’!

Die kalten Winde bliesen
  mir grad ins Angesicht,
  der Hut flog mir vom Kopfe,
  ich wendete mich nicht.

Nun bin ich manche Stunde
  entfernt von jenem Ort,
  und immer hör' ich's rauscben:
  Du fändest Ruhe dort!

 幼い時に抱かれた母の胸、幼い時に歌った唄のメロディー、幼い時に遊んだ樹の下、──それらは一生涯かけて吾人の気持の基底をなしてしまいます。吾人がそれを意識するとせざるとに拘らずです。それは上海で算盤(そろばん)を弾いている事業家の潜在意識の中にも眠つています。それは鬼畜の如き前科者の胸の中にも時々寝返りを打ちます。そしてそれが30年後40年後に何かの機会に眼ざめると(たとえば久し振りに故里へ帰って、井戸のある菩提樹の側を通ったりすると)、──人間は泣きます! たとえ二三十年間泣いたことのない人間でも泣きます。そして、その場の彼が、少し生活に疲れ人生に倦んだような気持の瞬間であったり、おまけに菩提樹の下が古井戸だったりすると……あぶない。非常にあぶない。

 この詞の主人公はそうした危機を無事に通過したのです。相当危なっかしい無事ではあったけれど、眼をつぶって、「桑原々々」と云いながら、後をも見ずにさっさと通ってしまったのがよかったのですね。

 通る時に菩提樹の枝は風にざわめきながら何と云ったか? Hier findst du deine Ruh’!と云った。即ち、「少し冷めたいかも知れないが、思い切ってドブンと飛びこんでごらん。あとはさっばりして好い気持だよ。お母さんのところへ帰ったようなものだ。勿論世間では一時さわぐかも知れないけれども、わたしに抱かれてぐっすり死んでいりゃ誰も何とも云いはしない、あとはわたしが引受けるから、思い切って飛び込んでごらん!」、菩提樹はこう云ったのです。菩提樹は母か乳母のような気持で云うのだから、決して悪い事は云わない。

 けれども詩の主人公は、まだ生きるつもりでいる。生きていたらまだ何か好い事があると思っている。人間て奴はみんなこんな馬鹿野郎です。菩提樹のいう事や母の云う事なんてものは、よく腑に落ちれぼ落ちるほど益々分かったような分からないような顔をしてブイとそっぼ向いて駈け出して行ってしまう。40になっても50になっても子供ですな人間と云う奴は!──

 菩提樹も、「頭が禿げて白髪が混るほど大きくなっていながら、うちの坊やはどうしてこう聞き分けが無いのだろう‥‥‥」と溜息つきながら後を見送っている。

 菩提樹の危機をやっとのがれた主人公は、ほっと一安心して、まあよかった、と思うと同時に、心の中に、母なる菩提樹の愚痴を開きます:Du fändest Rube dort!

 これからがいよいよ文法上の問題です(文法というものは興醒めなものです)。

 Du fändest Ruhe dortと、最後は findestの代りに fändestが使ってある。安楽に成仏出来るの「だろうになあ」という事です。と云うのは勿論「わたしの云う事を聞いてわたしの膝元へかえるとしたら」です。最初の findstの時には、本人を前に置いて飛び込むことをすすめる最中だから、実現の可能性を前提して直接法が用いてあったが、今度はもう駄目だとあきらめた後のこと故、愚痴のように fändestと云っています。

 この詩の最後のところが、幽(かす)かに、静かに、ゆるやかに、嘆くが如く、訴うるが如く、かこつが如く、溜息つくが如く、嫋々(じょうじょう)たる鈴音を以て ausklingen(後を引きながら鳴り止む)しているのは、主としてこの「仮定話法の結論部の独立用法」のためであると云えましょう。試みにそのつもりで一つ読み直して味って見て下さい。findstのところはゾットするほど「物凄い」。fändestの所は天籟(てんらい)の如く幽かに妙えなる響を持っています。

 ついでに。Du fändest Ruhe dortは、散文口調ならば Du hättest dort Ruhe gefundenでしょう。Du würdest dort Ruhe findenも考えられますが、この方はあまり面白くない。やはり hättest gefunden の方が「恨む」意味がはっきりと出ます。一たい完了形にする方が非現実的色彩がはっきりと現れます。


病院評価

2008年11月03日 | ハ行
 最近、多くの医療過誤が報道され、医師と病院に対する国民の不信を招いている。過ちを起こすのが人間の常とすれば、医療過誤を完全になくすことはできないかもしれない。しかし、多くの医療過誤は、病院が周到な防止対策を講ずれば防止できる。特に病院の医療機能を院内、院外から定期的に評価する態勢を充実させることが必要だ。

 過去50年余、米国のすべての総合病院は、安全で効率的な医療経営を維持するため、民間財団の米国医療機関認定合同委員会(JCAHO)から3年ごとに、病院の全診療機能の厳格な審査を受けてきた。もし病院に欠陥があり、早急に矯正されないときには、公式に認定されず、経営破綻に陥るのである。

 さらに、公的医療保険制度(メディケア、メディケイド)の診療報酬を支払う連邦医療財政庁(HCFA)は毎年、州政府衛生局に委託して、抜き打ちにすべての総合病院の医療機能、医師の質を検閲する権限を与えられている。HCFAの検閲は、JCAHOの評価を踏まえてさらに綿密な調査を行い、病院における医療管理の万全を期している。

 これらの二つの医療機能評価機構は審査項目として、病院の設備、医師・看護婦数と資格、カルテの充実度、死亡率・罹病率、手術数と合併症数、院内感染、救急医療体制、誤診・輸血ミス・点滴ミスなど院内で発生したすべての医療事故の報告、危機管理体制、医師・看護婦の医学教育制度などが、詳細に検閲される。

 その結果と認定は公表される。認定されなかった病院は、政府ならびに民間の保険機構から診療報酬の支払いを停止されるから、破産に追い込まれざるを得ない。

 また国民は、これらの報告に基づき作成された病院ならびに医師のデータ・バンクの情報をインターネットでアクセスでき、患者の病院選定に大きく貢献している。

 私は在米中しばしば、JCAHO、HCFAの厳しい病院医療機能審査の実態を体験した。病院長はもちろん、医師、看護婦、その他のすべての病院職員が、これらの厳しい審査に神経をとがらしていた光景を忘れられない。これらの機能評価により、どれだけ病院の医療機能が改善され、医療ミス防止に役立ったか分からない。

 約15年前、日本でもJCAHOをまねた組織づくりが厚生省・日本医師会の指導の下に企画され、ようやく1997年に日本医療機能評価機構(JCQHC)が発足した。しかし、過去3年間に、全国の病院9358のうち認定を受けたものは、わずか318病院(3.4%)にすぎない。認定を受けるのは希望制で、ほとんどの病院は認定されてもされなくても病院の収益に影響しないと考え、評価を受けないのだという。

 そればかりか、JCQHCの審査評価査定は、米国JCAHOおよびHCFAの審査に比べてあまりにも甘いことも問題である。このような、病院機能や医師の質の評価がほとんどの病院になされていない現在、医療ミスを防止する体制がおろそかにされ、医療ミス頻発の大きな原因になっていると言っても過言であるまい。

 日本の診療報酬が、病院の実際の機能や医師の質の評価を無視して診療報酬請求明細書(レセプト)を支払い基準にしているのに驚く。架空、付け増し、振り替えなど、病院の不正請求が多いのは免れない。

 日本では過去しばしば、週刊誌などに「有名病院」「名医」の名が掲載されてきたが、機能や質の評価に基づかない格付けでは、信用度に問題があると言わざるを得ない。第三者機構による病院機能評価がなされていない状態では、避け得るべき医療ミスが頻発し、患者さんたちが安心して治療を受けることのできる病院を選ぶことは不可能である。

 厚生省、日本医師会が、病院機能ならびに医師・看護婦の質の評価制度を強化し、認定病院と医師のデータベースを作成し、早急に公表されることを切望する。

  (朝日、2000年07月12日。論壇。投稿者・中野次郎)
 (中野氏は北摂総合病院理事、内科医、元オクラホマ大学数授)

部活動

2008年11月02日 | ハ行
 新しく中学校に入学してきた子どもたちの楽しみのひとつに部絡動がある。しかし、学校教育の中での部活動は、多くの課題を抱えているのも事実である。

 生涯スポーツの振興を担う財団法人世田谷区スポーツ振興財団では昨年度、小中学生を対象に、プロ野球やJリーグに属するトップアスリートやコーチを招いて各種の講習会を開いた。そこでも中学校の部活動の問題に関心が集まった。

 中学校の部活動で一番大きな課題は指導者の問題である。部活動の指導はこれまで教員が担ってきたが、教員が部活動の指導者であることが難しい時代になってきたのである。その理由には次のことがある。

 まず、教員は担当教科だけでなく、生活指導や進路指導、地域社会や保護者への対応など多くの仕事を抱えている。学校教育の一環であるとはいえ、部活動の指導者として積極的に活動し、指導レベルの向上を図るには、あまりにも多忙である。

 また、今の子どもたちの中には小学生の段階で専門の指導者によってあるレベルまで指導を受けている子がいる。そうした子どもやその保護者は、中学校の指導者にそれ以上のものを期待してしまう。ところが、中学校の部活動が管理顧問だけだったり、指導者がまったくの素人であったりすると、子どもはスポーツヘの意欲をそがれたり、保護者は不満に思ったりしてしまうのだ。

 時代に合わなくなった現在のシステムでは、教員が部活動を指導することが難しいばかりでなく、子どもたちが願う指導者像ともかけ離れたものになってしまう。従って、部活動の指導者確保とその養成方法そのものの改革が必要になっているのである。

 そこで一つの提案は、地域と学校が一体になって、小中学生の一貫指導システムを構築するのである。例えば、近隣の小学校で各種目の指導をしている指導者と、中学校の指導者が一緒に「地域少年スポーツ指導者協議会」(仮称)といった組織を設立し、情報を交換しながら、子どもたちの意欲や能力に応じた指導をする。もちろん教員は、一指導者として参加する。

 また、それぞれの種目の指導者と子どもたちのレベルアツプを図るために、各界で活躍したトップアスリートやコーチの巡回指導を組み入れる。都市部であれば、トップアスリートやコーチの人材は豊富である。多くの運動選手も、自分がやってきたスポーツで地域に貢献したいと考えているのである。

 行政が指導者の連携システムを整備し、地域と学校が協働して運営する。また、中学校体育連盟は新しい時代の新しい指導者を育成するための準備をする。

 学校数育と部活動との位置付けなど、まだ多くの課題もある。しかし、多感な年代である中学校時代に、地域協力で小中一貫指導を高い技術指導力と豊かな人間性を兼ね備えた指導者との出会いは重要である。

 あっという間に過ぎていく中学校3年間。子どもたちの瞳がいつまでもきらきらと輝いているためにも、部活動の問題を学校の中だけではなく、地域・学校・行政の三者が協働して考え、指導者同士が連携していく時代にきているのではないだろうか。

  (朝日、2002年04月02日。投稿者・藤川恭英)

働き方(01、オランダの場合)

2008年10月18日 | ハ行
     「一・五働き」の国に学ぶ

 景気回復の手ごたえにもう一つ力強さが感じられない中で、多くの人々は職場を失う不安をぬぐえずにいる。

 倒産したそごうグループのように、バブル時代からの問題の先送りが限界にきている会社も少なくない。

 世界中で進む企業間競争は、それに追い打ちをかけるように、人件費の圧縮を迫っている。情報技術(IT)革命は当面、人減らしを促進する要因ともなる。

 そんな厳しい時だからこそ、仕事の分かち合いにより、雇用を確保する方策を真剣に考えなければならないと思う。

 いわゆる「ワークシェアリング」の先進地として、日本など各国から視察が相次いでいるオランダでは、たとえば夫婦で「一・五働き」が当たり前になっている。

 共働きであっても片方が、そして時には2人ともパート労働の形をとる。会社に行く日数や勤務時間を減らし、余った時間は自由に使う。別な働き口を持つこともあれば、家事や育児に充てたり、学校などに通ったりする人もいる。公務員が勤務時間外に別の仕事をするのも、原則としてOKだそうだ。

 日本では、労働時間と給料を合わせて減らすことを「ワークシェアリング」と呼ぶことがある。しかし、こうした急場しのぎの措置とはまったく異なった制度だ。

 アムステルダム郊外にある欧州日産の本社では、370人のうち20人がパート契約だ。オランダ全体のパート比率が30%に達しているのに比べると少ないが、人事部長つきの秘書もパート労働である。

 パートといっても、その待遇はフルタイムの人と変わらない。そもそも、日本のように「正社員」と「パート社員」という目で見ると、実態を見間違う。

 オランダでは、1996年に労働時間を理由にした差別待遇を禁じる法律ができた。同じ仕事なら、時間あたりの賃金も休暇や年季でも不利にはならない。

 日本では能力主義を掲げる企業が増えてきた。そうであるのなら、労働時間の長短よりも、仕事の質が問題になるはずだ。パートなら待遇は悪くて当然、という考えも変えていかなければなるまい。

 もちろん、正社員中心の労働組合も、意識改革を迫られる。雇用保険や年金、税制なども変える必要が出てくるだろう。

 若者、中高年の雇用確保に加え、定年後も健康で、働く意欲のある人たちの仕事場を増やさなければならない。それには、「一・五働き」のような融通性のある労働条件を受け入れられる賃金体系を考えることが必要ではないだろうか。

 今年の春闘では、経営側が「ワークシェアリング」の本格検討を働きかけ、労働側は渋った。それが賃金の抑え込みにつながると警戒したのだろう。

 人々が、自らの人生設計に合わせて、自身の雇用形態を決める。そこでは仕事の中身に応じた給料が支払われ、「サービス残業」もない。そんな姿を探るための議論の必要性を、オランダの試みは教えている。

  (2000年08月25日、朝日社説)

     感想

 オーストラりアでもこうしていると聞きました。ほかにもあるのでしょう。知っている人は教えてください。

 同時に、どのようにしてここへ持っていったのか、それを知りたいと思います。

教育の広場、第314号、藤原「よのなか科」の限界(その2)

2008年04月17日 | ハ行
 東京都杉並区立和田中学校で5年間民間人校長を勤めて数々の試みをして話題となりました藤原和博さんのインタビュー(聞き書き?)が、朝日新聞に連載されました。その8回目を引用します。

        記

 私企業の感覚だと、人事権も予算権もない校長が経営なんてできないと思うでしょう。確かに難しい。

 でも、実は教育課程の編成権、つまり時間割りを決める権限は、文部科学省じゃなくて校長にある。指導要領という最低基準をクリアすれば、どう授業を組み合わせ、総合学習の時間をいかに使い、どんなゲストを呼ぶかは自由に決められる。

 地域本部も45分授業も夜スペも、僕はすべての改革を、今の制度の範囲内でやった。トップのマネジメント次第で、できることはある。恐しいのは「何もしない権限」も校長が持っていることですよ。

 和田中の挑戦を大勢が見に来た。でも、区内の校長は来ないし、当初は地域本部にも無関心。企業では他社の実例をすぐにまねるけど、学校は違う。その保守性の根源は、校長が退職前の「上がり」ポストになっていることにあると思う。

 だから、民間人校長を年間 300人、10年で3000人増やそうと提案している。企業に戻るのもアリにして外の風を教育に入れる。「評論家はもういらない。参戦せよ」です。

 ただし、数値目標を持ち込んだり教師を馬鹿にしたりは間違い。勘違いして失敗した民間人校長もいる。

 すべて民間でなくてもいい。志と力のある教師を一気に校長にする。副校長や指導主事を3年以上やらせるのはムダ。早く校長にしよう。(後略)(朝日、2008年04月10日)
(引用終わり)

 考えたことをまとめます。

 何もしない校長、私の言葉で言えば「消化試合校長」がガンであることはその通りだと思います。しかし、それを許しているのは教育長であり、それを改革する責任と権限を持っているのも教育長だということを、おそらく「故意に」素通りしています。そして、「民間人校長を 300人にしろ」などと提案しています。ここに藤原さんの限界が好く出ていると思います。

 私はかつて藤原さんの「よのなか科」を論じた時、その欠点として2点指摘しました。第1は、学校運営において外部の人に協力してもらうのは例外であって、原則にはできないということでした。

 第2点は、世の中の根本的な部門として官と民があり、官のあり方が民のあり方の快適さを左右するのに、その点が取り上げられていないのではないか、ということです。

 今回の発言を聞いて、又それを考えました。

 藤原さんが「民間人校長を 300人にしろ」などと提案しても、現実には今では民間人校長は減っているのです。理由はいくつかありますが、1つは適齢期の教師が沢山いるということです。そして、教育長はそういう教師仲間の不文律を尊重して人事をするということです。

 こういう教育行政のあり方を変えなくては根本的な改革はできないのです。藤原さんはこんな事も知らないのでしょうか。もし知らないとしたら、よのなか科を教える前に、自分がよのなか科を勉強するべきでしょう。

 いや、知っているはずです。それなら、そういう現実を踏まえてどうしたらいいのか、改革案を出すべきでしょう。

 藤原さんはこの5年間の仕事ですっかり有名になりました。これからもいろいろな所で活躍されるでしょう。しかし、こういった点を反省しないならば、体制内での改革しかできないでしょう。

 そうそう、言い忘れました。藤原さんは他の校長が自分の仕事を見学に来ないと不満を漏らしていますが、ご自分は愛知県犬山市の教育改革を調査しに出掛けたのでしょうか。

 もし出掛けたのなら、どう思ったのか、聞きたいものです。出掛けないとした、なぜ出掛けないのでしょうか。夜スペと違う方法で「出来る生徒」を伸ばすことに成功しているとか聞いているのですが。

PS・藤原「よのなか科」の限界(その1)は第249号です。

国立大病院改革について

2007年08月07日 | ハ行
   国立大病院改革、文科省の実質支配が問題だ

          医師、元東大医学部教授 柴田 洋一

 安倍内閣は「教育再生」を最重要課題として教育再生会議で審議
を開始した。しかし私は、それより前に教育行政を担当する文部科
学者の適格性こそを、まずは検証すべきだと考える。

 以下の事例を経験し、その非民主的な行政手法や隠蔽体質を痛感
したためだ。

 2002年03月に国立大学病院長会議から国立大学病院の合理化案で
ある「提言」が発表された。その中で焦点になったのは、輸血部や
薬剤部、臨床検査部といった中央診療部門のリストラだった。同部
門はチーム医療の質を保持するために重要な基盤部門だが、提言で
は「専任教官を置かなくてもよい」などとしたため、猛反発が起こ
った。

 折しも、薬害エイズ事件への反省から血液新法の法案が審議され、
輸血医療の重要性が唱えられていたころである。とりわけ日本輸血
学会は「専門家を養成できなくなる」、「医療の国際的常識に反す
る」と強く批判した。

 輸血医学が専門の私も国民医療に重大な悪影響を及ぼすこの提言
に抗議し、2002年末に東大医学部教授と東大付属病院輸血部長の職
を辞した。

 そして2003年01月、病院長会議の議事録を情報公開請求した。会
議に出ていた文部官僚が提言作成を誘導したとの疑いを持ったから
である。しかし同年03月、「記録はない」として不開示決定通知を
受けた。

 文科省は、国会議員の質問主意書への答弁書などでも「記録はな
い」と説明していた。だが2003年04月、その存在を週刊誌が暴露。

 ここにきて当時の遠山敦子文科相は議事録の存在をようやく認め
て国会で陳謝し、虚偽答弁書作成の責任で同省の官僚7人を処分し
た。

 その後、私は入手した議事録を読んで、文部官僚が「まだまだ実
弾が入っていないので込めてもらわなければならない。検討が足り
ない部分について記載させていただいた」などと発言し、会議を誘
導していった過程を実際に知った。

 だが文科省は、2003年05月に再提出した政府答弁書でも「官僚の
関与はない、提言は病院長会議が自主的に作ったものだ」と主張、
国会審議は幕引きされてしまった。

 私は「議事録隠しの不開示決定は情報公開法違反」として提訴し
た。そして、今年03月の東京高裁判決を受けて私の勝訴は確定した。

 判決文は「会議の後半以降、文部科学者が会議を主導していった
こと、同省の意図が本件提言の内容に一定程度反映されていること
が認められる。(中略)同省ないし医学教育課としては、本件議事
録が公にされ、本件提言策定の過程が明らかにされることは避けた
いとの意向を有していたことがうかがわれる」と認定している。

 ところが、この判決後も同省は説明責任を全く果たしていない。

 文部官僚の主導を許した背景には、予算配分権を握る文科省によ
る国立大学の実質支配がある。法人化後も国立大学は同省の事務官
を受け入れているばかりか副学長や副院長などに昇格させている。
同省が大学を評価し、交付金を決める権限を握っているためだ。こ
うした構図にメスを入れない限り「教育再生」はあり得ないと考え、
あえて問題提起する次第である。

 (2007年06月14日、朝日。私の視点)

学校ホームページの必要条件

2007年01月08日 | ハ行
 学校のホームページによる情報公開というか説明責任の果たし方というか、それが極めて貧弱であることは、現今の学校問題の結果であると同時に原因でもあると思います。教育再生会議とやらにお集まりの有識者という名の無識者の方々にはこういう事がお分かりではないようです。そこで私が案を出します。

 第1に、校長の頁は第1条件です。校長の頁が無いなどという所もありますが、そういうのは論外としまして、校長の頁には以下の事が書かれていなければならないと思います。

 ①校長の職歴と業績

 学歴欄は除きました。業績欄はぜひ必要だと思います。「著書もなければ論文もない」情けない教育長もいますが、書くべき業績のないような人は恥ずかしくて校長になれないような状況にするべきだと思います。業績の発表では書名や論文の題名だけでなく、その内容の概要の説明が必要です。

 校長の写真は載っている所もありますが、これも必要条件です。

 ②入学式、卒業式、始業式、終了式での挨拶

 これは載せている所が少しあります。しかし、大学の学長ですらこれを載せていない人の方が多いです。これくらいはどんな校長でも載せられるでしょう。

 ③朝礼での話

 説明不要でしょう。

 ④週間活動報告

 これが非常に大切だと思います。ここには職員会議の報告は当然として、その他出席した校長会の内容なども報告するべきだと思います。

 思うに、我々が国政に関心を持つのは、それが新聞やテレビで報道されるからであり、報道される限りでの事です。報道されない事柄、例えば、今自衛隊がイラクで何をしているかはほとんど知らされておらず、国民もそれがあることすらほとんど知らないと思います。

 しかるに、国政以下の公的な事柄、つまり県政や市政(町政、村政)から特殊法人や学校や公的施設などで何が行われているかは、新聞やテレビは日常的には報道しませんから、国民は知らないし、関心も薄くなるのだと思います。

 これではいけないと思います。学校については生徒たちに新聞部を作らせることも有意義ですが、その前にまず校長自身がしっかり「週間活動報告」をするべきだと思います。つまり、実質的に「学校ニュース」となるような「週間活動報告」が必要なのです。

 ⑤所感(校長通信)

 その週間活動報告はかなり実務的になると思いますので、それとは別に校長たるもの、本を読んで(映画などを見て)考えた事とか、社会の出来事について考えた事などを所感として、最低でも1ヵ月に1回は発表してほしいものです。これくらいの見識のない人は校長の資格がないと思います。

 因みに、某市の教育長の「教育委員だより」はこれになっていると思います。内容も充実していると思います。ただ、1行が30字以内に組まれておらず、その点で読みにくいのが難点です。

 第2に、教頭の頁も必要です。

 その内容は校長の頁に準じます。式での挨拶はしていないので載せる事がないと思いますが、週間活動報告は必要です。そもそも公務員で「長」の付く地位にいる人は週間活動報告が必要だと思います。教頭はその中に入ると思います。

 職歴、業績のほかに、所感もやはり最低でも月に1回程度は書いてほしいものです。校長通信の中に載せてもいいと思います。

 第3に、教諭の頁です。

 その他の教諭等もおのおの自分の頁を持つべきだと思います。

 中学校のホームページの中でもかなり名の通っているらしい或る中学のホームページは、校長が張り切りすぎているのは悪くないのですが、各教諭の頁がないようで、これが残念です。

 いくら学校教育は校長を中心とする教師集団で行うもので、「学校は校長で8割決まる」と言いましても、各教諭がどういう考えを持っているのか、授業でどういう工夫をしているのか、どういう研究会に属してどういう研究をしているのか、といったことは報告するべきです。もちろん、職歴と業績は発表するべきです。

 大学教授でも、自著のない人が「意見の言える人間教育」などと平気で言っていますが最低以下です。

 そのほかに、教諭は授業を持っているのですから、「授業の記録と予定」の欄を作って授業のあった日には更新してほしいと思います。

 これをすると、欠席した人でもその日に何があったかが分かるという大メリットがありますし、また翌日の準備を親が確認することも出来ると思います。

 学級通信や教科通信を掲載することはぜひ必要です。

 第4に、行事予定はたいてい載っていますが、そのほかに時間割も載せてほしいと思います。地域住民が授業参観に行こうかなと思った時、どの授業がいつどこで行われているか、確かめなければならないとなると、気が重くなるからです。

 かつて某県立高校で1週間の授業公開期間を設定した時も、時間割が発表されていなかったので、FAXで送ってもらったことがあります。「お客さんに来てもらうおう」という気持ちを具体化してほしいものです。

 第5に、当然、各学級の頁も必要です。

 これは生徒のグループを作って、1ヵ月単位とか1学期単位で順番にやらせて、専門家に見てもらって、優秀な頁の制作グループを表彰するようにすると面白いと思います。

 第6に、部活の頁も必要です。

 これはそれぞれの部に任せればいいと思います。

 以上、ホームページという言葉で述べてきましたが、もちろんブログも積極的に活用するべきでしょう。ここでのホームページという語はウェブという意味に広く取ってください。

 又、今でも既にたいてい載っています「学校の歴史」とか「校歌」とかは敢えて確認するまでもないと思います。

 学校経営計画とやらを載せるように言われているらしく、載っていますが、表や図になっていて、意味が分かりません。こういう無意味なものは載せないことです。それよりは、校則を載せるべきです。

 大体、ウェブに発表するものは、原則として、言葉だけで(写真を補助として)、箇条書きとかで分かりやすくまとめてほしいと思います。

 最後に、学校のメールアドレスを載せるのは当然ですし、載っていない所の方が少ないと思いますが、問題は意見等に対する「回答の原則」を発表していないことです。

 公共的な所は、「いただいたメールに対しては3日以内に『受信確認のメール』を送り、『回答そのもの』は1週間以内に送ります」といった、原則をホームページ上に明記しておくべきだと思います。

 商店や会社でも、ホームページから注文した場合、ただちに「自動受信確認メール」が来るように設定してある所もあります。そういう所はたいていその後、担当者による受注の確認のメールも来ます。

 そして、発送した場合には、発送の通知が来て、その中には荷物の番号が書かれています。すると、途中で何かあった場合、その番号を手掛かりにして配送業者と連絡が取れます。

 民間はここまでやっているのです。官は遅れすぎていると思います。

 「最後に」を書いた後にもう1つ。

 更新日を頁毎に必ず載せるようにするべきでしょう。サボリ校長の指導する学校では、ほとんど更新されない所すらあります。そういう事をはっきりさせるために、校長の頁、教頭の頁、各教諭の頁、学級の頁等、1つ1つに更新日を入れることは義務だと思います
(ブログなら自動的に更新日が入ります)。

 実際、こんな事まで書かなければならないというのが現実です。情けない限りです。しかし、サボリ公務員をなくすためにはここまで言わなければならないのです。

 念のために、「忙しくてそこまで出来ない」という予想される言い訳について述べておきます。

 私の返事は「有意義な仕事を増やして無意味な仕事を減らすのが合理化である」です。

 このように自分(たち)の仕事の全体を自分で確認し合うと、無駄な仕事を整理するのにも役立つと思います。そして、生徒や教師の問題が少なくなって、その種の「仕事」が減るのです。もちろんここでも校長のリーダーシップが必要です。

 現に、内容はこの必要条件と異なるにせよ、仕事量としてはこの程度の事をやっている学校もかなりあります。

 「忙しい」とか「予算がない」というのはやる気のない官のトップの言い訳にすぎません。

 要するに「学校は校長で8割決まる」のです。教育再生会議や教育評論家や総合雑誌の編集部に分かっていないことは、校長問題が核心だということです。

 教育問題を取り上げる雑誌は多くても、教育長と校長がどのように作られて、どう評価されているのかを調べている雑誌や教育評論家は少ないと思います。

 これを調べたら、校長のあり方(選び方や評価の仕方など)をどう変えたら学校の質を「制度として保障」できるようになるかも分かってくると思います。

 (もちろん一番根本的な問題は、文部科学省の中で教育行政の方針がどのように決められ、どう実行されるかなのですが、今回はそこまでは言わないことにします)


藤原和博氏の「よのなか科」の限界

2007年01月04日 | ハ行
 東京の杉並区立和田中学校の校長に民間出身の人が就任して大きな改革をしているとのことで、大評判になっているようです。校長の名は藤原和博さんで、リクルート出身のようです。

 彼が教育にかかわるようになったきっかけは、自分の子供のだったか、忘れましたが、ともかく社会科教科書の内容があまりにも現実離れしているので、自分たちで代案みたいなものを作ったことだったようです。

 その後、杉並区の教育委員になり、3~4年前に校長になったようです。任期は5年だそうです。

 就任した当時は、廊下を自転車で走る生徒がいるような荒れた学校だったようですが、いまや学校選択制の同区で多数の入学者を集める学校になったようです。

 1校時を45分(普通は50分)にして授業のコマ数を増やすような時間割を作ったり、地域の人達の応援を得て土曜日に補修授業のようなものを開いたりしているようです。

 そして、その改革の中心が藤原さん自身が教壇に立つ「よのなか科」だそうです。藤原さんは教員免許を持っていないので形だけは専任教員が付いているようですが。

 この「よのなか科」について、先日放映されましたNHKの番組を見て考えたことをまとめます。これは3年生だけの授業ですが、多分、全員を一度に相手にして大教室で行っているのだと思います。

 そこで取り上げられていた課題は「自分がハンバーガー店の店長だとして地域に支店を開くとしたらどこに開店するか」といったことでした。生徒はどこかの駅長か誰かに、授業中に実際に携帯電話を使って乗降客数を調べたりもしていました。

 その他のテーマでは実際にあった殺人事件についてその犯人を裁くディベートのようなものもあったと思います。この時は実際の弁護士が何人か応援に来ていました。

 私はこのような現実の生活から出発する授業に賛成です。そして、実際藤原さんの授業は成果を上げているようです。これを確認した上で、この授業の限界と思うものを2点指摘したいと思います。

 第1は、授業に外部の人の応援を頼んだり、外部の人の所へ行ってインタビューしたりするのは、とても好いように思えますが、多くの学校でこういう事をするようになったり、総合学習のように毎年、そういう事が繰り返されると、同じ人が何回も協力させられるわけで、迷惑になることもあると思います。

 その意味で、これは藤原さんの授業だけで成り立つやり方で一般性がないと思います。基本的に授業は担当者と生徒とでするべきだと思います。私も現実の問題を出しますが、必要な場合には関係した新聞記事を読んだりビデオを見たりすることに止めています。

 第2に、根本的な問題として、藤原さんの「よのなか科」で取り上げるテーマは民間の仕事に関係したものがほとんどではないかと思いました。もしそうだとしたら、やはりそれは大欠点だと思います。

 「世の中」は官と民とから成り立っています。しかし、その時、両者は並立しているのではありません。官が作った枠組みの中で民は活動しているのです。換言するならば、官が作った土台の上で民は踊るのです。従って、官のあり方で民間の活動はしやすくもなればしにくくもなります。

 それに官は何よりも税金でまかなわれているのです。「販売」を考えなくていいのです。この根本的な違いを見落としては困ります。

 これらの点で日本と北朝鮮との違いは官の領域の大小にすぎません。

 ですから、本当の「よのなか科」では民だけでなく官についても勉強しなければならないと思います。いや、何よりも官のあり方を学び、官のあり方を批判的に見て考えて行動する方法を学ぶことが中心だと思います。

 しかし、日本の学校では官の本当の姿を教え、それに正しく対処する方法を教える努力はほとんどなされていないと思います。

 それは教師自身が官だということもあると思います。私立学校の教員でも給与や年金などで公立の教師に近く、一般の勤労者とは違う待遇を得ています。

 そういう理由もあって、ともかく、日本の社会科教育では官の本当の姿を教えないで、制度を教えるだけだと思います。

 藤原さんの「よのなか科」でも、現に、杉並区の学校選択制の是非でディベートをしているようには見えませんでした。愛知県犬山市のように選択制ではなく「学ぶ喜び」を力にして「すべての学校を良くしよう」という方針の所もありますが、それと比較して考える授業もないようです。

 更に、東京都教育委員会の君が代・日の丸の押しつけ方針について考える授業もないと思います。

 学校や役所のホームページにおける情報公開を検討する授業もないようですし、自分たちで「カウンター・ホームページ」を作る授業もないようです。

 これがこの授業の根本的な欠点と言うか、限界だと思います。察するに、藤原さん程の人ですから、この欠点は自分で知っていると思います。そして、この欠点を是正するには、自分がもっと上の地位に就かなければならないことも知っていると思います。

 藤原さんは後少しで退職するはずですが、その後どうするのでしょうか。その時の行動を見れば、藤原さんの認識がどの程度だったかが分かると思います。

教育の広場、第 247号、畑村失敗学の限界

2006年10月28日 | ハ行
 工学院大学の畑村洋太郎さんの失敗学が注目されています。以前から本も何冊が出ていましたが、この夏、NHKの「知る楽しみ」という番組で8回の連続放送がありました。これもつい最近、本になったようです。

 沢山の失敗をしながら何とかここまできた私も、個人的に、畑村さんの失敗学をもっと早く知っていたら、と思いますが、それはともかく、実際、失敗学はとても大切だと思います。その意味で、畑村さんの功績は大きいと思います。

 モリタワーでの回転ドアでの児童死亡事件の原因追求のために、独自に仲間に呼びかけて「ドアプロジェクト」を作って研究したことは模範的でさえあると思います。

 そのような畑村さんの仕事にケチをつけるつもりは毛頭ないのですが、個人の仕事にはやはり限界があるのも事実でして、私はその限界として以下の3点を指摘して問題提起としたいと思います。

 第1はこの放送の第5回の「組織が失敗を引き起こす」に関係しています。

 この時は例としてはJR西日本の宝塚線での脱線事故と東海村の核燃料加工施設の株式会社JCOでの臨界事故を取り上げたのですが、その放送の最後で畑村さんは次のような結論を述べました。

──〔JR西日本の宝塚線での事故では〕電車を安全に走らせるのは一番大事な事なのに、定時性という細かい事を求められている内に、運転手はその最大の大事な事が頭から消え去っていってしまうような組織運営が行われていたと思われる。

 JCOでも、臨界事故は絶対起こしてはいけない事なのに、そこに至る条件を知らない人達がプロセスの運営をしていた。これも又、組織がそういう人達をそこに配置し、十分な教育をしないで運営をしていたために起こっている。

 こういう問題は、直接的な原因の話をしているが、又、会社がそういう風に動いていくのにはつねに最大効率が求められる、コストを最低にすることが求められる、外部との競争があり、しかも一番大事な事が何かを忘れがちになってマニュアル化の弊害が起こったり、組織の隙間が生じてしまったりしてこういう事故が起こっているのです。(引用終わり)

 私は常々「組織はトップで8割決まる」と主張しています。多くの方々の賛同も頂いています。この私の主張と畑村さんの「組織」とか「会社」という言葉で終わってしまう考えと、どこに根本的な違いがあるのでしょうか。

 第2点は、昨年来、大問題になったNHKの不祥事とそれに対するNHKの対応を扱わなかったことです。

 たしかにこれは「純粋な工学上の失敗」ではありませんが、「失敗」ではあります。しかも、本当の学問が自己批判から始まるとするならば、NHKの番組では、本当ならこれも扱うべきだったと思います。

 第3の、そして最大の欠点は次の事だと思います。

 畑村さんの失敗学は、思うに、善意の人が善意でやった事が失敗した時、その失敗からいかに学ぶかを研究しているのだと思います。

 しかし、世の中は善意の人だけではないのです。悪意の人もいますし、しかも、残念ながら沢山いるのです。そして、そういう人もやはりそういう人なりに失敗学をやっていると思われるのです。

 それはつまり、隠し通せると思って悪意やごまかしをしたが、ある時それがバレてしまった。すると、その「失敗」を反省して、「今度はバレないようにやるにはどうしたら好いか」と考えるのです。

 私は、こういう失敗学も「裏失敗学」として考えるべきだと思うのです。なぜなら、大多数の行政トップは事実上この論理で動いています(裏金がバレたのを反省して、今度はバレないようにやるのもその1例です)から、我々はこういう裏失敗学にも精通していないと、行政の不正と戦って、世の中を好くしていくことができないからです。

 我が静岡県では数年来、教員のワイセツ事件が起きて、その度に教育長が謝罪し、校長会を開いて「綱紀粛正」を申し合わせていますが、全然なくなりません。これを見ていますと、本当の失敗学はやる気がなく、裏失敗学が通用しなくなっても、あくまでも地位と金にしがみつく人間の業の深さを感じます。

 私は静岡県の遠藤教育長に「畑村さんの失敗学でも学んだらどうですか」と提言しましたが、「これまでの方針の徹底を図っている」との返事でした。その後、又浜松市の教員のワイセツ事件が発覚しました。


PTA新聞での経験(投稿)

2006年08月15日 | ハ行

投稿(PTA新聞での経験)

                K・T

 ご無沙汰しています。いつもメルマガを拝読しています。

 もうお忘れになったかもしれませんが、以前にメールを差し上げたことがございますKです。

 〔「教育の広場」第237号の〕第1は、ニセの教師と本当の教師とはどこが違うかということです。それは「自分の事を言うか否か」だと思います。(引用終わり)

 このところを読んで、思い出したことがあります。息子の東京の公立高校で、PTA新聞の係をいたしました。

 先生方に「私の高校時代」を書いていただいたのです。担任はもちろん、校長先生も選科の先生も、お忙しい中を、先生皆さん(お一人抜けました)が書いてくださいました。

 野球の球を追って、毎日真っ黒になっていた、
 絵ばかり描いていて、勉強しなかった、
 将来の不安なのか、自分探しなのか、なぜか暗かった、
 生物が大好きで虫や魚を飼っていた、

等々あったように思います。

 生徒たちが、先生に親しみを感じてくれればとの思いがあったのですが、短い中にも、思いがけないようなお話も、いかにもあの先生らしい、というお話もあって、家庭でも話題になったようでした。

 高校といういろいろものを考える時代がテーマだったのが良かったのかもしれません。

 でも、先生ご自身の中学時代でも、小学校時代でも、また「私の父」「私の母」などというテーマでも、お書きいただいても良かったな、と思います。

 私はその1号だけが担当だったので、それ以上はしなかったのですが。

 当時は職業を持っていたため、学校を訪ねることも少なかったのですが、先生方とお話がなんだか通じやすくなったように覚えています。

 それでどうした、というような話題ではありませんが、何事もきっかけが必要かもしれない、こんなことで、親や生徒と先生方との良い関係ができれば・・・と思いました。

 失礼いたしました。 お暑い日が続いております。お体大切にお過ごしくださいませ。


     お返事(牧野 紀之)

 Kさんのことは覚えています。

 私が「自分の事を言う」と言いますのは、さしあたっては「自分がどういう研究をしているか、自分は授業のやり方でどいう工夫をしているか」を言うことです。

 多くの教師は、大学教員でさえ、その点で言うべきものを持たないので、学校や大学のホームページはお粗末になっているわけです。

 しかし、学生時代のこととか、個人的趣味なども言って悪いことはないし、学校の中では少しは言った方がいいでしょう。

 退職されたようですが、経験を生かして、後世によりよい社会を残すようにがんばってください。