「天タマ」第13号の2
(その1から続く)
教師の実力
──先生の実力は誰が一番よく分かるのだろうか? 生徒なのか、
同じ教師なのか。高校生くらいになれば、この先生はよく勉強しい
てるなとか、教える意欲があるなとか、教え方が上手だなというの
が分かってくる。学校の先生が勉強を教えるというけれど、学校の
先生より塾の先生の方がよっぽど教え方が上手いし、分かりやすく
工夫されているし、分かるまで教えてくれる。私は、学校の先生に
教えてもらったというより、中・高と、塾の先生に教えてもらった
ことの方が印象的だし、覚えている。
教師も塾の先生も同じ勉強を教えるという仕事なのに、こうも違
うのは何故だろう? それは、塾の先生には、自分の専門教科を学
習する時間があるし、塾によっては生徒による評価もある。学校の
先生は公務員であったり、教師という組織の中で守られている。実
力主義ではない。塾は実力主義である。この違いも大きいと思う。
もっと教師は自分の専門性を理解し、自分の仕事をしてほしい。組
織に甘んじてはいけないと思う。
学校カウンセラー
──先週の学校カウンセラーのVTRを見てカウンセラーの存在の
大きさを知った。私は不登校の経験はないが、ちょっと悩み事のあ
る時はいつも保健室に友達と行ったのを覚えている。進路のことと
か、特に私が看護学校を受験しようと決めた高校3年の夏以降は、
けっこう聞きに行った。誰かに自分のことを聞いてもらう、誰かに
自分の意見を受け止め、共感してもらうということは、すごく心強
いことがということを感じた。
親に感謝
──最近、私の両親の子育て、私が受けてきた社会での教育(学校
)を振り返り、私の両親がこの両親でラッキーだったと思う。愛情
等はもちろんだが、それは別として、しつけに限らず、教養をつけ
てくれたと思う。私の中では出来上がってないものの、感性や性格
、教養など、本当にお金では買えないものを与えられた。今のとこ
ろ自分を好きでいられる自分があり、感謝している。
俵万智と読む恋の歌
──俵万智と読む恋の歌は心あたたまるものでした。そして、すご
くその場の雰囲気が伝わってきます。そして、自分も「ある、ある
」と、うなづいてしまうものでした。ただの男友達だったのに、ふ
とした時に2人になってしまい、ドキッとしてしまったことなど、
思い出しました。やっぱり2人ともギクシャクしてしまい、思い出
しても笑ってしまうような行動をとってしまいました。これも青春
の1ページなんだと思いました。あの時、もっと女らしくしていた
ら~と後悔することもあったけど、彼とは今でもいい友達です。
──私は銀色夏生さんの詩がけっこう好きです。こんど本を全部集
めようかと思っています。心にジーンときたり、妙に納得してしま
う詩ばかりです。
ピカソの絵
これは極端に二つの意見に別れるようです。
──私はピカソの絵のどこがいいのか分からない。それは価値観の
違いだと思う。お金持ちの人がピカソの絵を売ってくれると言って
も、お金を出してまで欲しいと思わないし、タダでくれるといって
も迷うかも~。目の左右上下がバラバラで,鼻がどっか向いてて、
顔が青くて~などという絵はスバラシイのか? 発想は豊かだと思
うけれど。芸術とは難しい。
──ピカソは、不思議な絵しか見たことがなかったので、小さい頃
の絵を見てびっくりした。笑っている顔や、楽しそうな絵は1枚も
なかった。どんな気持ちでかいたのだろう。どんな人だったのだろ
う。もっと知りたくなった。
──私はピカソの不思議な絵になんとなくひかれます。画家になっ
た頃の絵は、自分の目に写ったそのままを描いていたような気がす
るけれど、不思議な絵は違います。不思議な絵には、絵の中に出て
くるものの訴え、雰囲気など様々なものが読み取れるし、またピカ
ソ自身の感情も読み取れるような気がします。いつも何か考えさせ
られるような感じだけど、あの絵にはピカソの人間全部が出ている
ような感じがします。
──先月、名古屋市美術館にピカソ展を見に行った時のことを思い
出しました。それまでの私のピカソに対するイメージは、理解でき
ないようなキバツな絵を描く人といった感じだった。そのピカソ展
では、ピカソの絵が時代にそって飾られており、その時代のピカソ
がどんな感じだったのかなどの説明もついていて、今まで理解でき
なかった絵も、なんとなくその思いを感じることができた。ピカソ
展では「青の時代」というシリーズにとても心がひかれた。VTR
にも出てきた「自画像」も青の時代の内の1枚だ。あのなんとも言
えないような青い色が今でも心に残っている。・・
★(絵画のシロウトとしての講師の感想)
人間は対象を自分の主観を通して受け取ります。印象派の絵でも
同じことだと思います。ただピカソなどではその「主観」が必ずし
も分かりやすいものではないだけではないでしょうか。対象に対す
る理解と愛情をどうしてもこのようなデフォルメ(変形)や色によ
ってしか捉えられず、表現できないその画家の心の必然性に、鑑賞
者がどこまで共感できるかの問題ではないでしょうか。
ピカソの大作「ゲルニカ」を見たことがありますか。スペイン内
戦の時、ファシスト・フランコの軍がゲルニカという町を無差別爆
撃しました。爆撃された民衆の阿鼻叫喚(あびきょうかん)を描い
ています。民衆に対する愛情とファシストに対する怒りがひしひし
と伝わってくる名画です。
アンケート
──この前、他の授業でアンケートを書く機会がありました。6段
階評価だったので、何を基準にしてよいのか分かりませんでした。
ここで哲学の授業のことを思い出しました。しかし、結局自分の中
で勝手に基準を決めて評価しました。みんな、どうやってつけてい
るのか気になりました。
★ 私も色々なアンケートをしてみて、アンケートを取りさえす
れば好いという考えは間違いだと分かりました。授業を良くしたい
という意思が教師と生徒に共有され確認されていて、或る程度以上
の信頼関係が必要だと思います。教師は返事をすること、それによ
って生徒は「これが授業の改善に役立つ」と知っていること、こう
いった前提が必要だと思います。しかし、哲学の無記名のアンケー
トでも全ての項目に「3」を付けた人もいます。人間というのはな
かなか難しいものです。
哲学の授業
──前回のレポートの感想に「あなたのレポートの雰囲気が以前よ
り落ちついてきたと思います」と書いてありました。それをみてち
ょっと驚きました。私はレポートが苦手で、このレポートを書くの
もいつも必死で書いていました。考えがなかなかまとまらず、あせ
ってしまうのです。何度も書いて慣れてきたのでしょうか。もっと
レポートがうまく書けるようになりたいです。
★ そのテーマについて思い出すままに箇条書きにする。全部書
き出してから、どう書こうかと考えて書きはじめる。これを実行す
るだけでも随分上達します。
──哲学は、今までの授業とは違った感覚があり、楽しかった。こ
れを続けていけば知的な人になれる気がする。人間は、広い範囲の
知識があると、頭がよく思える、私は。はじめは牧野先生とはどれ
ほどの人物かと思ったけど、結構笑顔のすてきな良い人でよかった
。あまり気合を入れすぎないようにして下さい。
──私はこの授業を受けて、自分の社会への関心のなさに気づかさ
れ、とても恥ずかしく思った。今後はもっと自分の身の回りからま
た日本や世界まで、深く考えられるような知識を身につけていきた
いと思う。
──今日でレポートも終わりということで、少し淋しい気がします
。90分という時間がそれほど長くないと感じられていたのは、その
時間、自分がいかに集中できていたかの表れだったと思います。私
でも集中できるのだということが分かり、それにはやはり授業の内
容というものが大きく関係しているということを実感できました。
このような授業に出会えて、本当によかったと思います。哲学とい
うものがどういうものであるのか、分かってきた気がします。これ
からも、筋道を立てて考えるということができるようになるために
、いろいろなことを考え続けていきたいと思います。
冬
──12月になって寒くなってくると恋しいのは鍋。今、私の家族の
中で人気なのがキムチ鍋。骨つきの鶏肉を水から入れて、アクを取
るのは大変ですが、後は切ったごぼうやきのこ類、しらたき、そし
てキムチなどを入れて、だしの素で味をととのえれば出来上がり。
これは簡単で私でも作れるので、私がキムチ鍋の係みたいになって
います。体もあたたまって最高です。
──今年、私は初めてスノボ(スノーボート)をやる予定です(冬
休みに)。去年まではスキーだけで十分だと思っていましたが、オ
リンピックでの里谷たえさんの金メダルを見たり、雑誌や友達から
の情報をもらったりと、どんどん夢はふくらむようになって、つい
に今年スノボをやることにしました。先週の土曜日にスノボ用品を
集めて買ってきて、家に帰って着てみたりして、今からワクワクし
ています。
──もうすぐお正月です。私の家は何かあるごとにお餅をつきます
。私は小さいころからお餅つきに参加していましたが、これが結構
大変なのです。朝早くから薪で火を燃やし、釜でもち米をたくので
す。つくのにもかなり力がいるし、もち米自体が熱くて火傷するこ
とがあります。ふつう四角もち、あんころ餅、きなこ、鏡餅なども
作ります。でも、小さい頃から食べているせいか、店で売っている
ものより、つきたての自分で作る餅の方がとてもおいしいです。ち
なみに、もち米も自家製です。
クリスマスとキリスト教
間もなくクリスマスです。彼との楽しい時間を夢見ている人も多
いでしょう。しかし、この機会にクリスマスとキリスト教について
少し考えてみませんか。
イエス・キリストというのは全体が個人の名前なのではありませ
ん。イエスだけが個人の名前です。苗字ではなく、名前の方です。
昔の人は出身地と名前で呼びました。「どこそこの誰々」と。イエ
スは「ナザレのイエス」と言いました。次に、キリストとは、元の
意味は「油を塗られた者」という意味ですが、そこから転じて「救
い主」、もっと正確に言うなら「旧約聖書でヤーヴェの神が約束し
てくれた救い主」という意味です。ですからイエス・キリストとは
「ナザレのイエスこそがキリストである」という判断を含んでいま
す。「帝王カラヤン」とかいうのと同じで、評価を含んだ通称なの
です。ですからキリスト者以外の人は本当はイエス・キリストと言
ってはならないのです。ユダヤ教の人達はイエスをキリストと認め
ませんから、絶対にイエス・キリストという言い方をしません。
クリスマスはそのイエス・キリストの生誕を祝うキリスト者の祭
礼です。一度でいいですから、クリスマス・イヴを教会で過ごして
みることをお勧めします。
(その1から続く)
教師の実力
──先生の実力は誰が一番よく分かるのだろうか? 生徒なのか、
同じ教師なのか。高校生くらいになれば、この先生はよく勉強しい
てるなとか、教える意欲があるなとか、教え方が上手だなというの
が分かってくる。学校の先生が勉強を教えるというけれど、学校の
先生より塾の先生の方がよっぽど教え方が上手いし、分かりやすく
工夫されているし、分かるまで教えてくれる。私は、学校の先生に
教えてもらったというより、中・高と、塾の先生に教えてもらった
ことの方が印象的だし、覚えている。
教師も塾の先生も同じ勉強を教えるという仕事なのに、こうも違
うのは何故だろう? それは、塾の先生には、自分の専門教科を学
習する時間があるし、塾によっては生徒による評価もある。学校の
先生は公務員であったり、教師という組織の中で守られている。実
力主義ではない。塾は実力主義である。この違いも大きいと思う。
もっと教師は自分の専門性を理解し、自分の仕事をしてほしい。組
織に甘んじてはいけないと思う。
学校カウンセラー
──先週の学校カウンセラーのVTRを見てカウンセラーの存在の
大きさを知った。私は不登校の経験はないが、ちょっと悩み事のあ
る時はいつも保健室に友達と行ったのを覚えている。進路のことと
か、特に私が看護学校を受験しようと決めた高校3年の夏以降は、
けっこう聞きに行った。誰かに自分のことを聞いてもらう、誰かに
自分の意見を受け止め、共感してもらうということは、すごく心強
いことがということを感じた。
親に感謝
──最近、私の両親の子育て、私が受けてきた社会での教育(学校
)を振り返り、私の両親がこの両親でラッキーだったと思う。愛情
等はもちろんだが、それは別として、しつけに限らず、教養をつけ
てくれたと思う。私の中では出来上がってないものの、感性や性格
、教養など、本当にお金では買えないものを与えられた。今のとこ
ろ自分を好きでいられる自分があり、感謝している。
俵万智と読む恋の歌
──俵万智と読む恋の歌は心あたたまるものでした。そして、すご
くその場の雰囲気が伝わってきます。そして、自分も「ある、ある
」と、うなづいてしまうものでした。ただの男友達だったのに、ふ
とした時に2人になってしまい、ドキッとしてしまったことなど、
思い出しました。やっぱり2人ともギクシャクしてしまい、思い出
しても笑ってしまうような行動をとってしまいました。これも青春
の1ページなんだと思いました。あの時、もっと女らしくしていた
ら~と後悔することもあったけど、彼とは今でもいい友達です。
──私は銀色夏生さんの詩がけっこう好きです。こんど本を全部集
めようかと思っています。心にジーンときたり、妙に納得してしま
う詩ばかりです。
ピカソの絵
これは極端に二つの意見に別れるようです。
──私はピカソの絵のどこがいいのか分からない。それは価値観の
違いだと思う。お金持ちの人がピカソの絵を売ってくれると言って
も、お金を出してまで欲しいと思わないし、タダでくれるといって
も迷うかも~。目の左右上下がバラバラで,鼻がどっか向いてて、
顔が青くて~などという絵はスバラシイのか? 発想は豊かだと思
うけれど。芸術とは難しい。
──ピカソは、不思議な絵しか見たことがなかったので、小さい頃
の絵を見てびっくりした。笑っている顔や、楽しそうな絵は1枚も
なかった。どんな気持ちでかいたのだろう。どんな人だったのだろ
う。もっと知りたくなった。
──私はピカソの不思議な絵になんとなくひかれます。画家になっ
た頃の絵は、自分の目に写ったそのままを描いていたような気がす
るけれど、不思議な絵は違います。不思議な絵には、絵の中に出て
くるものの訴え、雰囲気など様々なものが読み取れるし、またピカ
ソ自身の感情も読み取れるような気がします。いつも何か考えさせ
られるような感じだけど、あの絵にはピカソの人間全部が出ている
ような感じがします。
──先月、名古屋市美術館にピカソ展を見に行った時のことを思い
出しました。それまでの私のピカソに対するイメージは、理解でき
ないようなキバツな絵を描く人といった感じだった。そのピカソ展
では、ピカソの絵が時代にそって飾られており、その時代のピカソ
がどんな感じだったのかなどの説明もついていて、今まで理解でき
なかった絵も、なんとなくその思いを感じることができた。ピカソ
展では「青の時代」というシリーズにとても心がひかれた。VTR
にも出てきた「自画像」も青の時代の内の1枚だ。あのなんとも言
えないような青い色が今でも心に残っている。・・
★(絵画のシロウトとしての講師の感想)
人間は対象を自分の主観を通して受け取ります。印象派の絵でも
同じことだと思います。ただピカソなどではその「主観」が必ずし
も分かりやすいものではないだけではないでしょうか。対象に対す
る理解と愛情をどうしてもこのようなデフォルメ(変形)や色によ
ってしか捉えられず、表現できないその画家の心の必然性に、鑑賞
者がどこまで共感できるかの問題ではないでしょうか。
ピカソの大作「ゲルニカ」を見たことがありますか。スペイン内
戦の時、ファシスト・フランコの軍がゲルニカという町を無差別爆
撃しました。爆撃された民衆の阿鼻叫喚(あびきょうかん)を描い
ています。民衆に対する愛情とファシストに対する怒りがひしひし
と伝わってくる名画です。
アンケート
──この前、他の授業でアンケートを書く機会がありました。6段
階評価だったので、何を基準にしてよいのか分かりませんでした。
ここで哲学の授業のことを思い出しました。しかし、結局自分の中
で勝手に基準を決めて評価しました。みんな、どうやってつけてい
るのか気になりました。
★ 私も色々なアンケートをしてみて、アンケートを取りさえす
れば好いという考えは間違いだと分かりました。授業を良くしたい
という意思が教師と生徒に共有され確認されていて、或る程度以上
の信頼関係が必要だと思います。教師は返事をすること、それによ
って生徒は「これが授業の改善に役立つ」と知っていること、こう
いった前提が必要だと思います。しかし、哲学の無記名のアンケー
トでも全ての項目に「3」を付けた人もいます。人間というのはな
かなか難しいものです。
哲学の授業
──前回のレポートの感想に「あなたのレポートの雰囲気が以前よ
り落ちついてきたと思います」と書いてありました。それをみてち
ょっと驚きました。私はレポートが苦手で、このレポートを書くの
もいつも必死で書いていました。考えがなかなかまとまらず、あせ
ってしまうのです。何度も書いて慣れてきたのでしょうか。もっと
レポートがうまく書けるようになりたいです。
★ そのテーマについて思い出すままに箇条書きにする。全部書
き出してから、どう書こうかと考えて書きはじめる。これを実行す
るだけでも随分上達します。
──哲学は、今までの授業とは違った感覚があり、楽しかった。こ
れを続けていけば知的な人になれる気がする。人間は、広い範囲の
知識があると、頭がよく思える、私は。はじめは牧野先生とはどれ
ほどの人物かと思ったけど、結構笑顔のすてきな良い人でよかった
。あまり気合を入れすぎないようにして下さい。
──私はこの授業を受けて、自分の社会への関心のなさに気づかさ
れ、とても恥ずかしく思った。今後はもっと自分の身の回りからま
た日本や世界まで、深く考えられるような知識を身につけていきた
いと思う。
──今日でレポートも終わりということで、少し淋しい気がします
。90分という時間がそれほど長くないと感じられていたのは、その
時間、自分がいかに集中できていたかの表れだったと思います。私
でも集中できるのだということが分かり、それにはやはり授業の内
容というものが大きく関係しているということを実感できました。
このような授業に出会えて、本当によかったと思います。哲学とい
うものがどういうものであるのか、分かってきた気がします。これ
からも、筋道を立てて考えるということができるようになるために
、いろいろなことを考え続けていきたいと思います。
冬
──12月になって寒くなってくると恋しいのは鍋。今、私の家族の
中で人気なのがキムチ鍋。骨つきの鶏肉を水から入れて、アクを取
るのは大変ですが、後は切ったごぼうやきのこ類、しらたき、そし
てキムチなどを入れて、だしの素で味をととのえれば出来上がり。
これは簡単で私でも作れるので、私がキムチ鍋の係みたいになって
います。体もあたたまって最高です。
──今年、私は初めてスノボ(スノーボート)をやる予定です(冬
休みに)。去年まではスキーだけで十分だと思っていましたが、オ
リンピックでの里谷たえさんの金メダルを見たり、雑誌や友達から
の情報をもらったりと、どんどん夢はふくらむようになって、つい
に今年スノボをやることにしました。先週の土曜日にスノボ用品を
集めて買ってきて、家に帰って着てみたりして、今からワクワクし
ています。
──もうすぐお正月です。私の家は何かあるごとにお餅をつきます
。私は小さいころからお餅つきに参加していましたが、これが結構
大変なのです。朝早くから薪で火を燃やし、釜でもち米をたくので
す。つくのにもかなり力がいるし、もち米自体が熱くて火傷するこ
とがあります。ふつう四角もち、あんころ餅、きなこ、鏡餅なども
作ります。でも、小さい頃から食べているせいか、店で売っている
ものより、つきたての自分で作る餅の方がとてもおいしいです。ち
なみに、もち米も自家製です。
クリスマスとキリスト教
間もなくクリスマスです。彼との楽しい時間を夢見ている人も多
いでしょう。しかし、この機会にクリスマスとキリスト教について
少し考えてみませんか。
イエス・キリストというのは全体が個人の名前なのではありませ
ん。イエスだけが個人の名前です。苗字ではなく、名前の方です。
昔の人は出身地と名前で呼びました。「どこそこの誰々」と。イエ
スは「ナザレのイエス」と言いました。次に、キリストとは、元の
意味は「油を塗られた者」という意味ですが、そこから転じて「救
い主」、もっと正確に言うなら「旧約聖書でヤーヴェの神が約束し
てくれた救い主」という意味です。ですからイエス・キリストとは
「ナザレのイエスこそがキリストである」という判断を含んでいま
す。「帝王カラヤン」とかいうのと同じで、評価を含んだ通称なの
です。ですからキリスト者以外の人は本当はイエス・キリストと言
ってはならないのです。ユダヤ教の人達はイエスをキリストと認め
ませんから、絶対にイエス・キリストという言い方をしません。
クリスマスはそのイエス・キリストの生誕を祝うキリスト者の祭
礼です。一度でいいですから、クリスマス・イヴを教会で過ごして
みることをお勧めします。