ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「天タマ」第05号

2006年09月13日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第05号(1998年11月 2日発行)
                    市立看護専門学校 哲学の教科通信

 今回はレポートが宿題になりましたので、レポートについての報告などはありません。今まで載せられなかった事、先輩たちの書いたものなどを特集してみます。

       学習日記から

1995年9月29日(金)3限
 初めに、日本の女性について。資料にあった日本の女性の世界での位置は、私にとっても印象強く、がっかりさせられた。日本で男女平等とさけばれ、最近では政界にも女性が多く見られるようになったので、かなり平等になってきたのだと感じていたが、「女性の社会進出度指数」の27位には、期待をうらぎられてしまった。世界女性会議の参加状況にも現れているが、日本人の性格である実行力のなさを破らないといけないと思う。口や頭だけでなく、実行していく行動力が必要だと思う。

 次に、いじめについて。個人的には、私の周囲で今までにいじめというものはなく、逆に生徒と先生の間柄はとてもよかったので、資料の恵さんほどに問題になってしまうのが考えられない。先生も行き過ぎだと思うが、恵さんも、もっと冷静になったらよかったのではないかと思う。又、先生もおっしゃっていたように、親が中に入ったり、子供と共に考えていたら、もっと丸くおさまったのではないかと思う。(21回生)

1997年1月10日(金) 4限
 初めに1月の授業について先生の意見をうかがった。「1月は授業がやりにくい」と先生は言う。冬休みが終わり最初の授業が今日で次回が2月の終わりになってしまい、授業間隔があきすぎる程、あいてしまっているため、前回の授業内容とのつながりが薄くなってしまうからである。人間は忘却の生き物であるので、記憶は話を聞いた直後から薄れて行く。それは先生でも生徒でも同じであると思う。授業を行う先生も記憶をたどりながらの進行で大変だが、生徒も記憶をたどりながらの授業で、けっこう大変である。

 ケーキのレシピについて、先生がなぜケーキを作るようになったかという理由を聞いて、先生の家の父親と娘の関係に大変興味を持った。以前、授業で家庭内の会話が激減しているという話を聞いた。我が家においても言える事だが、家庭内の会話でも特に父親と娘の会話はすごく減少していると思う。先生の家でも我が家と同じく、父親と娘の会話は少ないらしい。

 しかし、先生が家に一人でいる事の寂しさをまぎらわすためにケーキをつくり、そのケーキを先生の娘さんが批評する事によって、娘さんとの会話がはずんだ。先生はそれからケーキを作り始めるようになったと言う。

 女性は大半の人が甘い物が好きである。甘い物を食べている時は、すごく幸せな、やさしい気持ちになる。「先生が作ったケーキ」と「女性の好きな甘い物(ケーキ)」という父と娘においての共通点ができ、また、「先生(男性)が作った」という意外性と、「甘い物を食べている時の気分」が会話を盛り上げたのだろうなと思う。

 「娘さんとの会話がはずんだ」と話している時の先生の顔はうれしそうに笑っていて、自分の父親も私と会話がはずんだら、先生みたいにすごく喜ぶのかなと思った。「父の日のプレゼントは話をしてあげるのが一番喜ばれる」と、男性であり父親である先生がそう言うのならば、年に一度意識的に父親との会話の機会を設けてもいいかな、と思う。

 休憩では、「指圧」についての話を聞いた。高校生の時、自由研究でも体の「ツボ」について取り上げた事もあり、すごく興味を持った話題であった。しゃっくりを止める指圧は初めて聞いた。時間がたって、ちょうどしゃっくりが出たのでためしてみたら、その効果か否かはいまいち分からなかったが、止まった。信じる者は救われると昔から言うので、指圧の効果であると信じておこうと思う。(22回生)

1997年12月5日(金) 4限
 今日の授業では「先生と生徒の人間関係、好き嫌いの関係」をテーマに、先生のレポートを基にして考えた。

 「善悪と高低と好悪を区別して考える」については、私も「好きだ」という言葉をよく使うということに気づいた。「好き嫌いに理由はない」と逃げられるというのも、全くその通りだと思った。なぜこう言ってしまうのか。私は、自分の言葉に自信がないからではないかと思う。「好きだ」という言葉で答えをあいまいにしてしまっている気がする。

 「教師と生徒の感情的な関係」については、平等にも二つの平等があるということが印象的だった。また学校での成績評価も私はとても興味があった。個々の生徒に対する好悪を持ち込まないで評価してほしいと思う。成績が何を基準につけられているかわからない。先生がおっしゃったように、成績に対する理由があってもいいのではないかと思う。また、教師に生徒に対する好悪を持ち込まないでほしいと思うなら、生徒側も教師に対する好悪の感情を態度やアンケートに出すべきではないと思う。

 今日の休憩は恋愛の歌をよんだ。二首ともとてもステキな歌だと思った。こんなに短い歌の中に、あんなにたくさんの「想い」が込められているのかと思うと、恋をするということはすごいことなんだと思った。また好意度診断テストはすごく盛り上がった。いろんな人に試してみたいと思った。(23回生)

      「群盲、象をなでる」

 この譬え話は古くからインドのバラモン教やジャイナ教の人々の間で使われていたそうです。仏陀(ゴータマ、というのが本名)もこれを使って弟子を教えたことがあるようです。日本には中国をへて、いろいろなルートで入ってきたようです。

 象のそれぞれ勝手な部分に触れた盲人が、自分の触った部分を象の全体だと思い込んで互いに争ったということです。牙に触った人は「象とは犂の先のようなものだ」と言い、脚に触った人は「柱のようだ」と言い、~というわけです。ここからどういう事が分かるのでしょうか。

 小学館の『現代漢語例解辞典』は「物の一部のみを見て、全体の把握のできないことのたとえ」と解説し、集英社の『暮らしの中の国語慣用句辞典』は「凡人は大人物や大事業の一部分しか理解できず、広い視野で全体を判断することができないという時のたとえ」と説明しています。

 講師の解釈(昔の人はこう解釈したのだろうという推測)

① 人間の(ある対象についての)認識は完全ではありえない。
② その事を自覚せず、自分の知っている事実だけから、全体を勝手に推測しながら、そ れと気づいていないことがある。これを盲人に譬えた。
③ この種の「盲人」が議論しても結論は出ないし、本当の事も分からない。

講師がここから更に引き出したい結論

④ ①はその通り。
⑤ 百パーセントの認識はないが、人によってどの程度完全かの違いはある。従って、個人は自分の認識がどの程度かを自覚して判断し、発言するように心掛けるべきである(ここで言う「盲人」にならないために)。

⑥ 話し合いでは互いに自分の認識の程度を自覚しながら話し合うことが大切である。より高い認識を持っている人がより低い認識を持っている人よりつねに正確な判断をするとは限らないから、高い人が低い人の意見を聞くのも有効である。ただし、低い人は自分の低さを自覚しながら発言するべきである。

⑦ 社会的に通用する認識の程度というものがある。これを仮に60パーセントとすると、それ以上の認識を持っている人は「(その対象について)知っている人」「識者」と言える(この60パーセントというのは、単に量的に理解するのではなく、質的につまりその対象の本質を一応理解しているという意味に理解するべきである)。

⑧ 自分にとっては未知の或る対象について、誰かに聞く時には、相手の認識がどの程度一面的かを考えながら聞くべきで、鵜呑みにするべきではない。

──「哲学の先生は怖い先生だ」という「噂」にフンガイして、私はここまで考えました。哲学の先生は怖くはないけれど、理屈っぽい。これは当然でした。──

      ビデオ「大隈通り」について

 専門学校生であることにコンプレックスを持っている人が多いという手紙を、元生徒からもらいました。又、第2志望でここにきている人もいるそうです。そういう人を傷つけるかな?と思いつつ、敢えて取り上げました。

 感想を読んでいると、やはり自分もこういうのを経験してみたかったという声もあるようです。しかし、テレビは好い面だけ描いているということもあると思います。ウィーンのハイリゲンシュタットのベートーベンの散歩した小川なども、「名曲アルバム」の背景ではとてもきれいでしたが、実際はそれほどでもありませんでした。

 それはともかく、専門学校で教えてみて、クラスがまとまっているということの良さを感じています。皆さんが、「自分たちは大多数の大学生より充実した勉強をしているのだ」という誇りを持てる授業にしたいと思います。

 この哲学の授業は、皆さんの友達が大学で受けている哲学の授業と比較してみるとどうなるでしょうか? 冬休みにぜひ友達と話してみて、その結果を報告して下さい。レベルの高さ、内容の多彩さ、話し合いがどの程度充実しているか、先生と生徒の交流がどの程度あるか、などで比較して下さい。

      アプヘェル・クーヘン

 東京の銀座に「ケテル」というドイツ料理の店がある。散歩の途中でお茶を飲みに入った。リンゴのケーキも取った。美味しかった。もっと沢山食べたいと思った。随分昔の話である。

 ドイツでケーキの作り方を習ってきたという人が、4~5年前、NHK・TVで「アプヘェル・クーヘン」(英語で言えば「アップル・ケーキ」)の作り方を教えていた。忘れもしない昔の片思いの人に再会した気分だった。ビデオに取って練習した。

 いろいろと作ってみて、これはリンゴを味わうケーキだということが分かった。好いリンゴ(と言うのは、農薬と化学肥料で作られたのではない本当のリンゴ)でないと、本当の味が出ないことも分かった。

 私の通う病院から少し先に行った所に、H農園がある。そこでおばあさんが自家用に好い「ふじ」を作っていた。それを発見したためにこのケーキは我が家の秋を代表するケーキとなった。去年、「今年もアプヘェル・クーヘンの季節が来たんだな」と思いながら、H農園に車を走らせた。おばあさんには会えなかった。息子さんらしい人が「あのリンゴは止めた。木も切った」と、教えてくれた。私は呆然として立ちすくんだ。

 去年は生協で「完熟リンゴ」とやらを買って我慢した。今年は人に紹介されたものを買ったが、ニセものだった。本当のリンゴはどこに行ってしまったのだろう、と考えてながら、もう少し探してみようかと思っている。

        授業の記録

   10月2日(金)
講師の話──「授業要綱」を配り、その1枚目だけ説明した。
カンファレンス
 (1) 学級通信の思い出(どういう教科通信を貰ったかを含む)
 (2) 自分の受けた道徳・社会・倫理の授業
 (3) 「授業要綱」について
 (4) 成績について、内申書について
 (5) その他(「その他」は毎回あるので、今後は記さない)
休憩・「日本一短い家族への手紙」から10通を読む
レポート

    10月9日(金)
講師の話・・金大中韓国大統領が来日して「未来志向の関係」を確認した、ということが報じられていたので、朝鮮と日本の歴史的な関係についておさらいした。
カンファレンス
 (1) 新米の看護婦が、患者に、「あなたでは心配だから、他の看護婦に代わって」と言われた。これをどう考えるか。
 (2) 市看における縦の関係を強めるための方法
休憩・「ディベート甲子園」のVTR
レポート

   10月16日(金)
講師の話──レポートを読んだ感想。教科通信に書いた事の説明。
カンファレンス
 (1) 病院における苦情処理のシステムの現状とその改善案
 (2) 市看における苦情処理のシステムの現状とその改善案
 (3) 「天タマ」について
休憩・VTR「大隈通り」
レポート

    10月19日(月)
講師の話
 (1) 「組織はトップで8割決まる」
 (2) 欠点や間違いについて考える場合、根本的な欠点と部分的な欠点とを分けて考える必要があるのではないか。
 (3) 「先生の授業は早すぎて分からない」と言ったら、「予習や復習をしていないからだ」と逆に説教されてむなしかった、というレポートについて。
 (4) 昨年の学生版「アンケート」での「自分の考えが一番正しいと思っている」及び「理解不可能な人」という批評について
カンファレンス
休憩・心理テスト「あなたの恋愛のタイプは?」
レポート

   10月30日(金)
講師の話──学生版アンケートの発言「自分の考えが一番正しいと思い込んでいる」をどう考えるか。善悪と高低と好悪の区別。教師と生徒の好き嫌いの関係、など。
カンファレンス・(1) 講師の話、(2) 「授業要綱」の「(5) 成績」
休憩・中島らも『明るい悩み相談室』から2編を読む。
全体カンファレンス・学生版アンケートをどうするか。