ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第12号

2006年09月22日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第12号(1998年12月11日発行)

          市立看護専門学校 哲学の教科通信

   この哲学の授業は勉強だけを教えているか?

 これは問題の出し方が不適切だったかな、とも反省しました。と
もかく、私は「教師は勉強だけ教えていればよい」と考えているの
ですが、「勉強だけ教える」という言葉で考える内容が、皆さんと
私とでは異なっているようなので、それを確認する目的で出しまし
た。

 皆さんは「教師は勉強だけ教えればよいというものではない」と
考えていると思いますが、この哲学の授業については肯定してくれ
ているのです。しかるに、私の考えでは、この哲学の授業では「勉
強しか教えていない」つもりなのです。
 問題の出し方のどこが拙かったかと反省してみると、「教師は勉
強だけ~」がテーマなのに、今回は「この授業は~」と問題を出し
てしまったことだと思います。

 レポートから3つの意見を拾います。

──私のイメージの中の「勉強」は、授業中に問題を出されたりテ
ストがあったり、家へ帰ると宿題をするということです。英語・数
学などがそうです。その事から考えると、哲学の授業は違います。
「勉強を教わっている」というよりむしろもっと広い「教育を受け
ている」イメージを持っています。

 現にこの授業の休憩は、休み時間のような休憩ではなく、その日
の授業の本題からは離れていますが、考えさせられたり参考となる
話、ビデオが多く出てきます。そのため広い範囲での知識が身につ
きます。この点からこの哲学の授業は「勉強」ではなく、「教育」
なのだと思います。

──「勉強」の意味にも色々あると思います。哲学では物事のとら
え方、筋道を立てて考えることを学んでいると思います。それがこ
れから社会に出て、いつか親になろうとするために必要な事ならば
、「勉強」と言えると思います。

 しかし、私達自身に問いかけをして考えさせる哲学の授業は、教
えてもらっているというよりも、考えさせてもらっているという感
じがします。いつも私が思いもつかない考えを先生が述べる時は、
新発見として驚いています。

──この哲学の授業は、社会勉強、人としての勉強、病院のシステ
ムの勉強と多方面にわたっていろいろな事を考えさせるものだと思
う。分野的には別であるが、物事の実質を見抜く上では全てに共通
しているものがあると思う。

 ある(資料)事例をみると、自分の価値観、偏見が優先してしま
うのだが、先生は客観性を高めて、いろいろな考えがあると示して
くれる。そういう意味でもこの哲学の授業は物事をとらえるにはそ
れなりのルールがあるということを教えてくれているのだと思っ
た。

      無職氏の投書の件についての講師の考え

 (1) あの投書の出来事の核心はどこにあったのでしょうか。「指
導歴がある」ことで「問題がある」と判断したことだと思います。
「指導歴がある」ということは、前の学校の教師(他人)の判断で
す。間違っているかもしれません。又、「指導」したのですから、
その後改善されているかもしれません。

 ともかく自分で判断するべきでした。結果から見て、その女子生
徒は悪い生徒ではなかったのです(遅刻は問題になりません)。た
だそれだけの話です。悪くない生徒が入ってきたのですから、問題
の起きる筈がなかったのです。

 従って、これによって「悪い生徒を直すのは教師の仕事」という
「一般常識」とやらが証明された訳でもありません。無職氏が女子
生徒を救ったのは事実です。立派な事です。ただその解釈に誤解が
あったようです。

(2) この「一般常識」は、「悪い生徒を直すのは教師だけが全責
任を負ってなすべき仕事」という意味に理解されていて、これは完
全に間違いです。従って、教師の仕事の範囲を狭め、同時にその仕
事については厳しく要求する必要のある現在、このような間違った
理解を助長する不正確な表現は使うべきではありません。

 (3) Dさんの考え(学力検査で通っているなら入れて、後で問題
を起こしたら退学)に賛成です。しかし、日本ではこの退学が例の
「一般常識」のために難しい。そこで、学校は入り口で規制しよう
とするのです。根本は間違った「一般常識」にあります。

(4) 現在の学校には問題が多すぎますが、核心的な問題は2つで
す。第1は「学校教育は校長を中心とする教師集団の行うもの」と
いう考えが定着していないことと、第2に、教師に専門の実力のな
いことが最大の問題だということが十分に知られていないことです


 前者は今日の授業で取り上げます。後者は前回の授業で話しまし
た。「授業の神様」と言われている大村はま氏の『教室をいきいき
と』3の「あとがき」から引用します。

 「私は先生方の皆さんに、国語教師として一人前の学力、国語の
力を持つことに、もっともっと努力してほしいと言いたいのです。
~国語教師なら当然持っているはずの力、持っているかどうか~な
ど、自他ともに問題にもしないような素朴な基礎的な国語の力のこ
とです。子どものことばでいえば『国語ができる』ということです
。充実した読み、書き、聞き、話す力です。この基礎的な力が不足
しているために、いろいろ研究して来られた指導の方法が生かされ
ない、使えないことになるのです。」

 これは国語教師だけのことではありません。どの教科でも同じで
す。では、このように先生に専門の実力がないという事態はどこか
ら来るのでしょうか。私は、例によって大げさに言いますが、一国
の教師の実力は大学教授の実力で決まる、と思っています。実力と
熱意のない教授が高校以下の学校教師を育てているのです。出来な
い教師が多くなるのは理の当然です。つまり、大学教授に根本の問
題があるのです。

 (5) 学校改革の基本は、学校の仕事を限定すること、情報の公開
を制度化すること、外部による評価制度(学校オンブズマン制度な
ど)を確立することでしょう。


           その他

──VTR「宝石博物館」で宝石がすごくきれいだった。原石が、
磨くことによってあんなにキラキラと輝く宝石になるなんてすごい
。宝石の輝きを生かすも殺すも職人次第だと言っていた。私にとっ
ての職人て誰なのだろう。私を輝かせてくれる人はいるのかなぁ。
そんな人が見つかるまでは自分で自分みがきに徹しよう。いつでも
輝いている女になりたいですね。

──私は今、2つ宝石を持っています。どれも成人式の日に母から
もらいました。1つは祖母の形見で、祖母の母親が大切にしていた
ものだそうです。VTRにも出てきたブラックオパールで、祖母が
死ぬ前に(その時私はまだ小学生でした)、これはK子の分と、母
にあずけてくれた、とあとで聞きました。

 もう1つの指輪も、母が若い頃大切にしていたものです。昔のも
のなのでデザインも古くて、あまりふだんは身につけることはない
けれど、ずっと昔から祖母も母も大切にしてきたものを引き継いで
いく感じがとてもうれしくて、あの十倍の大きさのものと交換する
と言われても、絶対に手放さないと思います。職人さんが一つ一つ
手作りで作っていく様子を見て、私の指輪もあんな風につくられて
きたのだと、さらなる愛着がわいてきました。

──この前の授業で講師の給与を初めて知った。なかなかいい給与
だと思った。でも牧野先生は、天タマを作ったり、みんなのレポー
トを読み、そして感想を書いたり、授業の題材を考えたり、とてつ
もない時間を費やしているんだということを知った。先生が私たち
のレポートを読んで感想や意見を下さるようになってから、他の先
生たちからレポートの感想がない時は、感想が欲しいなあ、と思う
ようになりました。でも先生達も忙しいから仕方がない、とも思い
ます。

──今日の「天声人語」にあった少年院の話。ここにいる人たちは
、小中学校、または高校でいろいろな体験をすることができなかっ
たのだと感じる。「やり遂げる、協力する、認められる」。私は幸
いこのような体験を今までに何度となく経験したことがある。もち
ろんこれは家庭、学校、地域を問わず経験していくことが出来ると
思う。そんな機会に出会わなかった、出会えなかった人にとって、
更生施設はとても貴重な場所だと思った。

──私の中学校、特に私たちの学年はとても荒れていた。私も小学
校が一緒だった人で不良グループ(のようなもの)の中でリーダー
のようになっていた男の子がいた。彼はいわゆる家庭に問題のある
子だった。だから学校で荒れるのか、よく分からないけれど、大酒
飲みでどうしようもない父親のかわりに妹弟のめんどうをみる母親
にとっては頼もしい長男だった。

 こういう場合誰に責任があるのか。いない父に代わり、働く母の
代わりに思春期の長男を妹弟のめんどう見のために犠牲にさせた家
庭なのか。私は彼にとって家庭に恵まれなかったことが非行の一番
の原因だと思う。しかし、2番目に、彼の非行行為が始まった時、
友達の誰一人としてとめる者がいなかったということもあると思う
(私も含めて)。見てみぬふりをした教師にも責任がある。誰か一
人の責任にはならない。でも彼の周りの彼を含めた誰もに責任があ
ると思う。

 ★ カウンセラーのビデオで出てきた「問題生徒」はみな、不登
校のように自分に籠もってしまうタイプの人でした。この場合のよ
うな「外に出て、非行をする」タイプにどう対処するのか。これも
知りたいものです。

 私の考えは、校長を中心として教師集団がまとまっていることを
前提として、教師は授業で勝負する以上の事は出来ないし、する必
要もないということです。そういう問題を考え話し合う授業の中で
、教師や同級生との関わりの中で本人が立ち直ってくれれば一番よ
いのですが、よい結果にならない場合は仕方ないと思います。原因
はともかく、暴力的な行動がある場合は更生施設の仕事になると思
います。

──小学校の頃、通信簿に性格評価のようなものもあり、◎○●で
なされていた。これは、学校がしつけをした結果こうでした、とい
う評価なのか、お宅の子供さんは学校ではこういう子なので注意し
て直して下さい、ということなのか。今日の授業を受けてふと疑問
に思った。私は●はなかったと思うが、いつも大抵同じ所が○で、
成績よりもそのことで怒られた記憶がある。自分の性格を評価され
ることは気持ちのいいものではなかったことを覚えている。

──「天タマ」をさりげなく机の上に置いておきました。お母さん
も読んでくれたみたいで、「おもしろそうだね。看護学校でこんな
ことまでやってるんだ」と驚いていました。お父さんはパソコン通
信をやっているので、「ホームページのアドレスあったよな。こん
どアクセスして、ダウンロードしといてやるよ」と張り切っていま
した。「天タマ」の威力は凄かったようです。