ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第06号

2006年09月14日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第06号(1998年11月13日発行)
                    市立看護専門学校 哲学の教科通信

 今回は皆さんの姿勢について、2・3の問題提起をします。お互いに感情的にならないように気をつけて、対話しましょう。

     「講師の話が分からない」

 こういうレポートがありました。

・・〔10月30日の「アンケートの記述」についての〕話の主旨がよくわかりません。哲学との関係性が見えてきません。人間的には自分の気づかない考えや、自分自身の考えを堂々と持っている人は、好意を持っているけど、理解できないとつらい時があります。でも、それは「=嫌い」になるとは限りません。わからないことを「わからない、11月2日にもっとくわしく教えて欲しい」と思います。この言葉を言える授業であることはとても幸いに思います。わからないから嫌いになる、そんな先生は今まで多かったように思います。勉強以前の問題です。

 ★ まず問題にしたいことは、Aさんが「分からない」という言葉で表現していることは、①言葉として理解できない、という意味なのか、それとも②賛成できない、という意味なのか、ということです。

 「それは『=嫌い』になるとは限りません」という言葉からみて、多分、②でしょう。「分からない」という言葉は本来は①の「言葉として理解できない」という意味だと思いますが、日本人はよく②の「賛成できない」という意味に使います。Aさんの場合もそうだと思います。

 しかし、一応両方の場合を考えて、①だとしたら、カンファレンスの時に他の人に相談してみるべきだったと思います。そして、レジュメのどこが「分からない」のか指摘して欲しいと思います。

 ②なら、自分の考えを展開すれば、それで好いと思います。講師の考えに賛成できないと、強く反発する人がいますが、哲学の授業の目的は、「授業概要」に書きましたように、「自分の考えを自分にはっきりさせ、発展させること」です。講師の意見は参考意見です。

 Aさんも全体として、やや興奮気味で、文章がつながっておらず、言葉が固くなっていると思います。これは反省して欲しいです(尚、Aさんも「この授業が嫌いだというのではない」と断っています)。

     「哲学の授業は楽しい」

 もう5回も授業をしたせいか、2日までの宿題のレポートには、授業についての感想を多くの人が書いていました。中には「授業が段々難しくなってきた」というのもありましたが、多くは「一つ一つ〔の事柄〕を深めていくのが、こんなに充実したものとは知らなかった」とか、「どの先生も牧野先生のように、生徒と言い合える機会がほしい」とか、「哲学の授業は他の授業と違って自発性が求められます。そのため、終わった後、軽い疲労感を感じますが、いまはそれが心地よい」とか、「話も関心あることばかりなので眠っている暇などありません。他の先生に見てもらいたいくらいです」とか、「哲学の授業がすごく楽しい」とか、「2回目くらいから、社会に出ていった時の考え方の基本を学んでいるのかなと思った」とか、「哲学の授業では、身近な問題であるのに、今まで考えたことのなかったこと、問題としてみていなかったことを考えていくので、新たな発見が一杯あり、おもしろいです」といったものです。「哲学の時間はすぐ終わってしまいます。それだけ充実した内容なのだと思う」という意見も複数あります。

 確かにこう言われれば嬉しいに決まっています。まず感謝します。しかし、本当を言うと「嬉しさも中ぐらい」です。なぜなら、皆さんが「他人を褒める時は陰で褒める」という原則を実行しているとは思えないからです。ゴマスリを書いていると感じるほど、私と皆さんの関係はもう浅薄ではないと思いますが、「どの先生も牧野先生のように、生徒と言い合える機会がほしい」とか、「他の先生に見てもらいたいくらいです」というのは、やはりどこか別の所で言った方が適切だと思います。

 去年の生徒がもし「怖い先生だ」と教えた先生達に、「〔牧野先生は〕怖くありません」と言っていたら、今年はそういう噂は出なかったと思います。この噂は別に大した問題ではないのですが、要するに、「褒めるのは陰で褒める」という原則を皆さんはどう思うかということです。

     「『天タマ』をがんばって欲しい」

 「がんばりすぎて体調を崩したので、少しセーブしなければならない」と言いましたが、声援はいただいています。しかし、その声援にも2種類あって、A・ただ「がっばって下さい」というのと、B・「がっばって欲しいが、ムリをしないで」とか「金・月をまとめて1回ではどうか」といった提案などのあるのと、あります。自分の気持ちから出発するのは当然ですが、それをそのまま出すのではなく、相手の立場も考えて発言し、行動するのが大人ではないでしょうか。Aの発言は少し冷たいと思います。

 又2日に、1組の人から「〔今日は〕『天タマ』が配られなくて残念でした」という言葉もありました。これは誤解で、授業の終わりに配るということは伝えてあり、黒板にも書いてあったのですが、気づかなかったのでしょう。

 しかし、たとえ実際に配られなかったとしても、「『天タマ』がなかったけど、具合でも悪かったのですか?」と言うのと、どちらが親切でしょうか?

 「休憩」がなかった場合でも、なぜなかったのか、授業の組み立て方が悪くて休憩が取れなかったのか(これは教師の責任)、どうしても休憩を取る時間が作れなかったのか、一度考えてから発言するのが大人ではないでしょうか。

     VTR「病院、採点します」を見て

 知らない人が多かったようですが、こういう医療評価機構のようなものを作ることは好いことだという点で、皆さん一致していたと思います。改善点についても、ビデオに言われていた事が支持されていました。

 ここの病院がこの評価を受けたら、ということを考えた人も何人かいました。Bさんは「合格できるのではないか」として、内装の新しさ、患者をあきさせない、薬が院外処方である、待合室がロビーで広い、カルテも個人で1冊である、カンファレンス室や治療室
に戸がある、といった点を挙げています。

 Cさんは、病院や歯医者などは夜も開いているとよいのだが、と提案しています。同感です。徳州会系の病院はたしか夜も診察すると思います。役所も夜9時までやっている曜日とか、月に1回は日曜日にもやるとかするべきだと思います。

 Dさんは、学校にも評価団体が入ったら面白いと指摘しています。これも賛成です。学校の問題はそのうちに取り上げましょう。

 しかし、この評価機構(評価表)もNHKの人もゲストの人も、「組織は内部の研鑽体制(話し合いのシステム)が一番大切である」ということに気づいていないと思います。

 「長」の付く代表者だけの会議。それも30人以上集まって、二重の輪になって座っている。こんな会議で本当の話し合いが出来るのでしょうか。平の看護婦や看護助手はどこでどのように意見を言えるのでしょうか。下の人の方が本当の事を知っているのではないでしょうか。

 本県でトップを切って認定証をもらったS病院でも、皆さんの先輩でそこに務めるTさんは「何かあったみたい」と言っていました。つまり、平の看護婦レベルには浸透していないのです。あの番組にも朝日新聞の社説にも、こういう「本当の話し合いを保証するシステム」に対する問題意識がゼロでした。これが13日のテーマです。

 前回までは「組織はトップで8割決まる」と言いました。今回の事を合わせると、「トップの第1の最大の任務はその組織内の意思の疎通のシステムを絶えず改善すること」となります。この哲学の授業も始めからこうだったのではありません。皆さんの意見を聞き、他の人の実例を学び、反省して少しずつ改善してきたのです。

       成績について

 成績は皆さんの年からABCDEでつくことを知りました。Cを「真面目に努力した」とします。これを標準として、特に優れた点がある場合はBとし、それが大いに優れている場合はAとします。逆に、水準以下の点がある場合はDとします。

 C以外は、いずれも根拠を書きます。中間に一度成績を出して欲しいという要望については、少し考えます。アンケート形式にしたら、という提案は、今年はできないと思いますが、事実上今のでも項目別評価になっていると思います。

 成績の客観性を問題にする人がいます。これは哲学などの場合ではいつもいます。曰く「先生自身の考えが入ってしまう」、曰く「レポートの点数(悪い点だった)だけ書いてあって、コメントも何もなかったのは、納得がいかない」など。

 私の見る所では、ここには3つの問題があると思います。①数学などの成績は客観的だが、哲学の成績は客観的ではありえない、と多くの人が考え、言っているが、この考えは正しいか、②レポートで評価すると、文章のうまい人が有利になる、という考えをどう考えるか、③レポートで評価する場合、その根拠の説明が欲しいという要望をどう考えるか。

①は人間の価値判断は客観的でありうるかという難しい問題につながるのですが、それはともかく、こう考えたらどうでしょうか。数学の試験でもどういう問題を作るかは先生の主観であり、それによって成績は左右される。逆に、例えば音楽のコンクールなどで優勝した人はたいていその後世界的な音楽家になっている、つまりああいう評価も結構客観的である。私は、成績がどの程度客観的かは、その学問なり対象には何の関係もなく、ただ評価する人の能力と公正感覚によるだけだと考えています。

 ②については、Eさんは「他の学科はその先生の見方があるから、哲学は哲学の評価があっていいと思う」と書いています。同感です。哲学で要求される方面に得手な人は哲学では有利になる。当然ではないでしょうか。もしこれが悪いとするなら、走るのが速い人が体育で有利になるのも不公平だということになります。

 ③は、やはり根拠を説明するべきだと思います。

         その他

- 朝の通学電車の中で『囲炉裏端』を読んでいます。久々に字ばかりの本ですが、結構はまって読んでいます。もう少しで読了です。(Fさん)

- 〔レポートが宿題だったので〕ゆっくり時間をかけて、納得のいくレポートができると思う。(Gさん)

- 教師にはテストの成績(教科の理解度)を教師自身に対する理解度と勘違いしている人がいる。そして、好き嫌いの感情を持つ。しかし、高校の時のある数学の教師は「テストでいい成績をとれないのは生徒が理解できないような授業をしている教師が悪い」と言って、わからない所を聞き、そこを補強するという態度だった。お蔭で嫌いな数学が普通くらいになった。(Hさん)

 ★ 教師は生徒を嫌ってはならないという前半は賛成です。生徒の素質ややる気といった前提条件がありますから、全員に同じように理解させるのは、原理的に無理だと思います。これを口実にして授業の工夫を怠るのも間違いですが。

 私は、大学では、やる気と才能のある学生を最大限伸ばすのが教師の仕事で、下の人は60点に達してくれればよい、と考えています。現在の哲学の授業でも理解度は一人一人違うと思います。

- 病院付属のふたば保育園では、看護婦の子供だけ預かると聞いています。S病院ではその病院で働く人の子供はみな預かっているそうです。それにしても、1クラス15人に保母3人以上で、保母の多さにびっくりしました。(Iさん)

 ★ 患者に対するサービスと比較して、身内の者にばかり親切すぎるということはないのでしょうか? もしそうなら、公務員のあり方として問題だと思います。

- 病院は奇妙な空間だと思う。服を脱ぐにしても、なぜ病院の中ではあんなにも当たり前で、事務的なんだろう。(Jさん)

- 今日(30日)の休憩時間に「明るい悩み」の相談の本を読んで、見事私が「アタックNo.1」という所を読み、「♪苦しくったってえー♪」という所を本当に歌ってしまいました。ここは歌わなければ、と思い、はずかしながらも歌いました。本当にはずかしかったです。(Kさん)

       NHKラジオ深夜便

 皆さんは、NHKの「ラジオ深夜便」という番組を知っていますか? もう始まって10年くらいになると思います。眠れない中高年の人々を念頭においた落ちついた番組です。NHKのベテランまたは退職した名アナウンサーを選りすぐってアンカーマン(ウーマン)にしています。その知識と人格とが番組の味となって、聞くものに安らぎと喜びを与えています。そのため物凄い人気です。

 各地で「深夜便の集い」が開かれています。その模様が放送されるのですが、その発言を聞いていると、まるで恋人に会いに行くような雰囲気です。今では「ラジオ深夜便の治療効果」ということすら言われるようになっています。この番組を聞いている年寄りが元気になってくるというのです。最近何かの賞をもらったはずです。

 入院患者でもこれを聞いている人は多いはずです。若くて健康な皆さんはこれを聞く機会は少ないでしょうが、患者との対話のための予備知識として。

      授業の記録

    11月2日(月)
講師の話 - 裁判について
VTR 「病院、評価します」を見る。病院の評価から1年の「社説」カンファレンス - なし
休憩 - なし
レポート

 ★ 第1回のアンケート「より良い授業のために」を宿題とした。1組では全体カンファレンスのために15分取った。宿題のレポートと今回のレポートの2つを持ち帰った。