ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」を読んだ学生の感想と意見

2006年09月10日 | タ行

「天タマ」を読んだ学生の感想と意見

 大学で初級ドイツ語を担当していますが、私は夏休みにも沢山の宿題を出します。この点については、本ブログ第47号(夏休みの宿題について)に書きました。

 この所宿題の量は減り気味ですが、それでも夏休みを3回に分けて、途中の2回は郵送してもらいます。最後の宿題は後期の最初の授業で提出してもらいます。

 量はともかく、毎年いろいろと考えて、内容は少しずつ変えています。今年は、新聞記事の感想文に代えて、「天タマ」を3号以上読んで考えた事をまとめる、という宿題を出しました。期限は8月22日でした。

というのも、夏休み前の最後のアンケートをまとめた教科通信「ユーゲント」にこう書いたからです。

──これまで「ユーゲント」を見てきて、これほど内容の濃い学級通信は無いと思いました。それほどまでにこれは面白かったし、先生や他の学生達と多くの意見交換が出来、すごく良かったです。一番最初の「講師の自己紹介」が一番印象に残っています。

 ★ 「天タマ」はもっと充実しています。夏休みの宿題にしますので、良く読み良く考えて、更に上を目指して下さい。(引用終わり)

 集まってきた意見なり感想なりを読んでいますと、とても効果があったようです。やはり信頼するにたる学生たちだと思いました。それは後期の最初の「ユーゲント」の材料となるのですが、そこではほんの一部しか載せられませんので、「教育の広場」の場を借りて多くの文章を紹介しようと思いました。全文紹介するものと部分的紹介とがあります。

(「天タマ」と「ユーゲント」の1部はブログ「マキペディア」に載っています)

──「天タマ」を何号か読んで私が思い出したのは高校の学年通信のことだ。私のクラスには学級通信というものはなかったが、代わりに学年通信というものがあった。

 私の学校は3年間、転任などが無い限りは殆ど同じ先生達が同じ生徒達を教えるという方法をとっている。そのせいか、担任が3年間同じだった人もいるし、中には先生が嫌で登校拒否になった人もいる。だけど大概の人は先生達が好きであったと思う。

 その中でも絶大の信頼を置かれていた学年主任が不定期に発行していたのが学年通信である。内容は進学校なだけあってまず第一に勉強の内容が来るが、その他にもコラムを書いていた。「今(高校3年時に)勉強することがこれからの将来どのように活きるのか」が全体を通してのテーマであったと思う。また、生徒の意見を載せることもあった。特にアンケート形式で対話したりということはなかったが、先生に意見を言うと、ちゃんと聞いてくれた。

 また、学年主任と話していて私が一番驚いたのが、主任は学年の全生徒約 360人の顔と名前を全て覚えているということだ。

 私の親友が元々病弱なほうで、病気のせいで休みが続いたときがあった。その時に主任は私とその子のもう一人の親友のところにやって来て、「あいつは大丈夫か、根が生真面目すぎるくらい生真面目なやつだからたまには休まないといけないとは思うが流石にこうも続くと心配だ」と言われました。その後数十分ほど話をしたが、主任は本当にその子のことをよく知っていて、本当に驚いた。担任でもなく、週数回の授業でしか交流がないのに。

 更に私は主任の授業は補習以外で受けたことがなかったのに本当に担任のようによく知っていてくれて、全員を見ているんだなあと凄く感心した。他にも主任自身の人生経験が普通に教育大学出身の「先生」と違うことなどから生徒の尊敬を集めていたと思う。

 決して甘い先生ではなく、どちらかというと怒鳴り声のほうがよく思い出せるが、とてもいい先生だった。主任のいる学年で学べてよかったと思う。

 ★ 好い先生に恵まれて良かったと思いますが、敢えて問題点を指摘すると、担任と合わない生徒を救済する「制度的」保障はどうしたらいいか、学年主任の本当の仕事は「1人で」学年通信を出すことではなくて、学年の全教員をまとめて「全員で」学年通信を出すことではないか、という問題意識がないことです。しかし、ここまで要求するのは無理でしょう。

──「天タマ」を読んですぐに、普段の授業の教科通信「ユーゲント」ととても違うと思った。見た瞬間違いに気づいた。

 まず、1人1人の意見の量が違うと思った。「ユーゲント」では1人当たり約3行であるのに対し、「天タマ」では1人当たり約6行である。「天タマ」の意見の量は「ユーゲント」に比べて2倍である。私が見た瞬間気づいたのはこれである。

 しかし、違いは量だけではない。それは、1人1人の意見の内容の濃さである。「天タマ」は量だけではなく、読んだ人を納得させるような内容があると私は考える。初めて見たときに、本当に生徒の意見なのかと不思議に思うくらい内容の濃いものであった。そのため、「天タマ」の中で意見の出し合いが活発に行われていて、現在の「ユーゲント」よりはるかに意義のあるものであると思った。

 このような「天タマ」の優れているところに気づき、「ユーゲント」のためのアンケートに対する考え方が変わった。今までは、とりあえず書けば良いという考えでアンケートに取り組んでいた。そのうえ、提出日間近になって書いていたため、早く書かなければという考えが強くアンケートに出てしまい、思った事や考えた事などの整理をつけずに書き始めるという事をしていた。

 「天タマ」を読んだ今では、アンケートを大切に考え、「ユーゲント」を意見交流の場としていきたいと思う。また、テーマに対して考えたことを整理して書き、「天タマ」に載っているような読んだ人を納得させる意見を出したいと思う。

 全員がアンケートに手を抜かずに取り組めば、「ユーゲント」はいずれ「天タマ」にも劣らない教科通信となると私は考える。

 ★ ドイツ語の授業のアンケートに取り組む自分の姿勢を反省してくれた人はかなりいました。これは特に良く書けた文章だと思います。今後の実行に期待しています。

 しかし、根本的には、「天タマ」は哲学の授業の教科通信で、哲学の授業では、問題提起と説明、3~4人での話し合い、休憩、レポート執筆(30分)となっていて、考えて話し合って書く時間も確保されていますから、条件が違うと思います。

 それに生徒が看護学校の2年生で、病院での実習などで、コンビニでのアルバイトなどとは比べものにならない経験をしていることもあります。

 でも、学生諸君の今後のがんばりに期待します。

──医療事故の問題を考えた時、医療事故の問題を学校の問題として捉えることを先生は求めていた。確かに、見方としては患者と病院との関係と生徒と先生との関係が、同じように見えるだろう。これによって、医療事故をまた新しい視点から見るということができるようになる。

 こう考えると、アンケートの答え方にもっと工夫を加えることか必要だと感じた。今までアンケートに対しては、単にストレートに考えて、答えることができれば良いと考えていた。しかし、これからは、なるべくストレートに考えるばかりではなく、もう少し見方を変えるようにして、アンケートに答えていきたいと感じた。様々な視点から見ることによって、他の生徒へいろいろな考えを伝えることができるので、積極的に行っていきたいと思う。

 また、「天タマ」の31号から45号までを全体的に見ると、一つの話題についての議論が深く行われ、先生についてもいろいろなことを話すといったことが行われ、とても生徒と先生の関係が良いものであると思える。今はまだ話をすること、アンケートを上手く活用するといったことを行えていないと思うので、先生とのいろいろな話を行っていきたいと思う。

 ★ この「与えられた問題を他の観点から、自分に引きつけて考える」ことにも多くの人が注目してくれました。ぜひ実行してみて下さい。

──私はこれまで数え切れないほどたくさんの授業を受けてきたが、授業のあり方を反省し互いに話し合った経験は一度もないです。まず、授業のあり方に疑問を持ち話し合う、という発想すら持ったことがありませんでした。何百人といる生徒のうちの一人に過ぎない自分が何を言っても状況は変わらないと無意織に思っていたのかもしれません。

 しかし、「この先生の授業はいい加減だなあ」と思う先生は何人もいました。そう思っていたのは私一人ではなかったらしく、その先生の授業は何度も校長をはじめ、何人もの先生方に観察され、評価されていました。でも結局何も状況は変わらなかったので、なんのために評価していたのか今でもわかりません。

 だから、実際に意見がしっかりと反映されるのであれば教師と生徒が話し合ったり、授業アンケートを取ることはとてもいいことであると思います。とくに授業アンケートはいいと思います。なぜなら教師に面と向かって意見(特に批判的な)を言える生徒は少ないと思います。もちろん直接言ったほうが気持ちは伝わるだろうが実際はなかなかできないと思います。それをアンケートという形で書き言葉にすることで自分の思っていることを伝えることができるよ
うになる生徒は多いと思います。

 ここでアンケートを記名にするか匿名にするかという問題が出てきます。私は書いた本人が決めるべきであって、「必ず記名」などはやめたほうがいいと思います。本人がよいのであれば記名するに越したことはないが、匿名希望なのに無理に記名させるべきではない。

 記名してしまえば、多少インパクトは弱まるが直接先生に言っているのと同じようなものだと思います。誰だって「批判的なことを書くと先生との人間関係が悪化するのではないか」など、少しは考えてしまうのではないだろうか。少なくとも私はそう考えてしまいます。だから記入者本人が決めるべきであると思います。

 次に「不満があるなら、直接言えばいい」という考え方については、確かにその通りだと思います。私たちももう子供ではないのだからいつまでも親に頼るべきではないと思います。しかし、先程も述べた通り直接不満を言うことは難しいことであるから、やはり紙面にするのがよいと思います。そしてその提出場所をしっかりと決めておくべきであると思います。

 「天タマ」を読んで今まであまり考えることのなかったことを考えることができてよかったです。ぜひ、私が中学生や高校生のときに「天タマ」に出会いたかったと思います。

 ★ 私の授業を受けるまで、授業のあり方についてきちんと考えたことはなかったという意見も多く寄せられました。

 裁判官になる人は、その前に、たいてい、「人が人を裁くとはどういうことか」と考え、悩むと聞きますが、教師になる人が、その前に、「人が人に教えるとはどういうことか」と考え、悩むという話はあまり聞きません。

 認識論的にも、教師の教えていることは8割は間違いだと証明できるのですが、ほとんどの教師は、自分の教えている事は正しいと思い込んでいます。

 校長が入学式の挨拶で、「私の学校運営については適宜、皆さんの意見を聞きますから、疑問点はそこで出して下さい」と、自己批判を制度化している人は、多分、一人もいないでしょう。

──先生に不満があるのなら先生に直接言えという考えですが、親というものは得てして小学生、中学生くらいの子供のいうことは話半分程度にしか聞いていないと思います。自分も小学校の時、先生に逆ひいきされ、すごく嫌な思い出があります。

 その時に親に相談して、先生に言ってほしいと頼んだことがありますが、「先生にも先生の考えがある」とか「あんたが悪いことしたんだろ」とか言われ、本当に悔しかったことがありました。この様に子供だからという理由で中々話を受け入れてもらえない場合が多いです。

 特に私のような場合だと、先生に嫌われているので直接訴えても効果が見られません。この様な場合の対策はどれも難しいと思います。私の場合は校長先生に訴えるという手段で解決しましたが、ど
の生徒も校長と仲がいいというわけではないのですから。

 ★ 親は保護者なのです。子供の訴えについては良く聞いて、夫婦で相談して、親が出るべきか子供に任せるべきか、考えて行動しなければなりません。しかし、世間的な圧力もあり、「逃げ」で、「自分で言えばいいじゃない」となるのです。これが問題です。

──私は勘違いをして全ての号を読んでしまったのですが、そのうちの何号かに「大学と専門学校」について意見が載っていました。私の高校では、大学の看護科を受ける人は市看か、他の医療専門学校を滑り止めにするように言われます。そのせいもあって、私は専門学校よりも大学の方が優れていると思い込んでいました。

 しかし、「天タマ」を読み続けるとその考えは違うことに気が付きました。一人ひとりの意見がとてもしっかりしているのです。特に、専門分野である「医療事故」についての意見は、さすがだなあと思いました。恥ずかしい話ですが、私が「情報学」について語るには2、3年早い気がします。

 ★ 看護大学が出来てから市看も少しレベルが落ちたようです。しかし、授業料が安いし、32人くらいのクラス単位で、ほとんどが必修授業だし、まだまだいい学校だと思います。

──「ひざまずいてスカート丈をみる」というのは私の通っていた高校でもやっていました。また、朝先生が校門に立ち、服装に問題のある生徒は違反切符のようなものをきられ、ひどい場合には親に連絡がいっていました。

 学校は社会へ出るための準備として、集団での規律を学ぶところでもあると思います。個性は確かに大事なものですが、なにもスカートを短くしたり髪の毛を染めたりして個性をアピールする必要はないと思います。

 集団でのルールを守らなければ社会では生活できません。「校則などの程度であったらみんなに迷惑をかけることなく気持ち良く生活できるかということをしっかり考えた上で決められている」という意見がありましたが、その通りだと思いました。

──ルールというものは、学校ひいては社会というものが価値観や考え方の異なる他人同士の集団であるということを考えると、必要なものであると思います。なぜルールというものが必要なのか、それはおそらくなかった場合にとんでもないことをしでかしてしまう人がいるからだと思います。

 校則はないから自由にしていいですよとなったときに、その下にはまだ常識という名の守らねばならない基本的なルールがあり、自分のやりたいよう好き放題に行動して良いわけではないことを理解していない人がいるからだと思います。

 そしてそのために校則というルールは存在し、違反すれば相応のペナルティーが科されるべきだと思います。

 もちろん、だからといって全員をひざまずかせてスカートの丈をチェックするといった個人の意思をないがしろにしたことや持ち物検査のようなプライバシーの侵害にかかわることはやってはいけないことだと思いますし、校門を閉めて遅刻者を入れないようにするといった強行策は実際に兵庫県で事件も起こっているので賛成できません。

 ★ 民主的規則(規律)の最低条件は、公開されていること、改正の手続きが定められていること、人権の保障、校長と教師への批判の自由の保障、異議申し立ての手続き等が定められていることだと思います。これを守っていないのが問題だと思います。

──「天タマ」を読んではじめに思ったことは、ここまで生徒と教師の対話として成立したアンケートは初めてだと思いました。〔ドイツ語の〕授業アンケートの時でもそうでしたが、あちらは生徒が書いた内容が薄く抽象的な感じがしていたので気づきませんでしたが、内容が濃いとまるでその場で意見交換したり議論したりしている会話内容をメモしたように思えました。

 それにしても、「天タマ」に記載されている生徒一人一人の文章は長くて、思っていること、感じたことをよく表現して伝えているなと思いました。自分の考えをまとめて人に伝えるために文章にすることはすごくたいへんなことだと思います。

 「天タマ」33号で書かれていた和敬塾のビデオが良かったと言う感想について興味を持ちました。内容は、充実した学生生活だとか青春だとかいうもののようですが、一度どんなものか見てみたいと思います。

 先生は学生生活の意義をサークルに求めるしかないといって問題視しているようですが、今の学生生活が有意義だと思わせてくれるようなサークルはすばらしいサークルではないでしょうか。そんなサークルがあれば是非とも一度活動に参加させていただきたいと思います。

 また、専門学校の生徒の「楽しい授業だった」という感想に対して、「先生はもし自分が大学で哲学の授業を受け持ったとして、本校でしているような授業ができるかと考えると、答えは否定的です」というところが気になりました。少しだけ書かれていた理由はもっともだと思いますが、教師が生徒にものを教え共に学ぶための場という存在の大学で、教師が 100%の力を出し切れない環境にあるという現状はおかしな話で、どうしてそのような状況になってしま
ったのか不思議でなりません。

 「天タマ」を読んでみて、全体的にアンケートに対する生徒の積極性が感じられました。一言でいうと、「先生~聞いてよ~」と生徒が言うのを「よしよし、どうしたんだ?」と先生が話を聞いてあげているような~、そんなよく分からないけど暖かいような感じがしました。

 45号など別れを惜しむ生徒のアンケートの多さを見て、「まだまだ自分が知らない先生の魅力があるんだなと思いました。

 個人的にはドイツ語よりも哲学の授業の方を受講したかったと思っています。

 ★ 大学で「牧野先生の哲学の授業が受けたかった」と言う人はこれまでにもいましたが、署名を集めて、その授業を作ってくれと大学に要求した人はこれまでにいません。東大の平和学の授業は学生の希望で出来たと聞いています。

 後期のテーマは「社会への働きかけの第1歩を踏み出す」としませんか。大人になった今、発言権は行動と実績によって決まってくると思います。何もしないで、「こうなったらいいな」という発言は認められないと思います。

 今回のレポートはとてもがんばってくれたと思いますが、一番残念な事は、親や友人にも「天タマ」を読んでもらって話し合ったという報告が1つもなかったことです。後期はこの点を努力しましょう。