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私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

スーチーとアリスティドとカガメ

2010-11-24 11:06:18 | 日記・エッセイ・コラム
 近頃,テレビの報道的番組でやたらとクイズ形式が用いられていることを私は好みませんが、今日は、あえて流行のフォーマットに従って、三つの名前をクイズとして出題します。この三つの名前をご存知ですか?
 まず、スーチー、これはほぼ誰もが知っている名前でしょう。ミャンマー(もとビルマ)の軍事政権は、去る11月7日に、1990年以来20年ぶりに総選挙を行い、11月13日、スーチー女史の自宅軟禁を解除しました。断続的に軟禁が始まった1989年から数えると通算15年間、彼女は拘束下の生活を強いられてきたことになります。この20年,軍の独裁下にある非民主国ミャンマーに米国を先頭とする国際社会が粘り強く圧力をかけ続け、ついにそれが実って、スーチー女史の自由が取り戻され、ミャンマーの真の民主化への可能性が膨らんだ--これが、先頃、米英や日本のマスコミが多くの時間を費やして報道したことの要点です。スーチー女史の自宅軟禁に就いては,過去に何度も取り上げられて来ましたから、日本での彼女の知名度は高いと思われます。
 では、アリスティドという名前はどうでしょう。私の単なる推測ですが、街頭で質問すれば、おそらく千人に一人ぐらいしか、かつてのハイチの大統領の名前だろうと答える人はいないでしょう。
 カガメは現在のルワンダ大統領で、2006年(平成18年)11月、我が国の招待で来日し、11月8日には、天皇と会見し、安倍総理と首脳会談を行ないましたから、日本での知名度はアリスティドより大分高い筈ですが、街角で急に尋ねられて、正しく答えられる人は稀でしょう。しかし、世界史的な、あるいは、グローバルな政治情勢の展望の視点に立てば、スーチーよりアリスティドとカガメのほうが日本人の政治意識の中ではるかに高い位置を占めるべき名前だと私は考えます。その理由はいくつも挙げることが出来ますが、今日は、公正な民主的選挙ということに焦点を絞ります。
 11月7日行なわれたミャンマーの総選挙では、軍事政権が本年3月に成立させた選挙関連法の規定によって、自宅軟禁中のアウン・サン・スー・チー女史及び刑務所に収監されている政治犯は選挙から除外されました。見え透いた卑劣なやり方ですが、いわゆる“国際社会”、特にアメリカ合州国には、1990年来のミャンマーの軍事政権を非難する資格は全くありません。彼らがハイチで、またルワンダで過去20年間にやってきた、そして今もやっている不法行為と罪業が、ミャンマーの独裁軍事政権の所業より遥かに悪質で大規模であるからです。
 1990年12月16日、ハイチ下層民の圧倒的な支持を得たアリスティドは67%の選挙得票で大統領になりましたが、1991年9月30日、アメリカが操る軍部のクーデターによって国外に追放され、支持者数千人が殺されました。その結果,ハイチ国内の混乱が大きくなり過ぎたため、1994年の夏,アメリカは厚顔にもアリスティドに一定の政治的条件を飲ませて大統領に復帰させたのですが、1995年初頭、アリスティドは突然ハイチ国軍を解散させ、その年の夏、アリスティドの政党ファンミ・ラバラスは議員選挙に勝利を収め、2000年11月26日、今度は92%の圧倒的得票でアリスティドは大統領に再選されます。民衆の支持を得て、アリスティドは米英、フランス、カナダの意向に逆らう政策を重ねて行きましたが、2004年1月1日、ハイチが奴隷反乱(世界史で唯一成功した奴隷反乱)でフランスから独立した200年記念を祝った一ヶ月後の2月5日、欧米を後ろ盾とする大規模な反アリスティド政府の争乱が起り、その騒ぎのただ中の2月29日、アリスティド夫妻は強制的に米国空軍機に乗せられて遠くアフリカ大陸中部の元フランス植民地であった中央アフリカ共和国に連れ去られました。その後、アリスティド夫妻は南アフリカに移され、国の客人として普通の市民と同じ生活をしているようですが、国外旅行は許されていません。旅券が出ないのです。本年初頭のハイチ大地震の後、ハイチ国内ではアリスティドの帰国を望む声が強くあがっているのですが、オバマ政府はダンマリを続け、南アフリカ政府に旅券を発行させる気配は全くありません。この11月28日には総選挙がありますが、アリスティドは遠いアフリカの地に軟禁されたままで、彼の政党ファンミ・ラバラスは選挙から完全に閉め出されています。アメリカ政府の傀儡が大統領になるのは見え透いたことです。
 ルワンダはコンゴの東部に隣接する小国ですが、1994年のルワンダ・ジェノサイド以来、世界のホット・スポットになりました。カガメは2010年8月9日の総選挙で100%近い票を得て大統領に再選されましたが、野党の有力政治家たちは惨殺されたり、国外に逃れた行き先でも刺客によって瀕死の重傷を負わされたりで、兎に角、目も当てられない独裁的翼賛選挙になりました。もし民主的に自由投票が行なわれたらカガメを打ち負かして勝利確実と看做された女性候補ヴィクトワール・アンガビレ・ウムオーザは早くから自宅に監禁されて選挙に参加できず、選挙後にはとうとう投獄されてしまいました。支持者たちは、彼女が獄死させられる可能性があるとして憂慮しています。こうした状況にも関わらず、オバマはインチキ選挙のずっと以前から全面的にカガメを支持し、2010年9月9日のカガメ大統領就任式には特使として旧友リック・ワレン牧師を送って「神への祈りの詞」を述べさせました。リック・ワレンは、2009年1月20日のオバマ大統領の就任式でも同じ任務を果たした人物です。やや太っちょで、憶えている人もおありでしょう。
 さて、ミャンマー、ハイチ、ルワンダでの総選挙三題噺、いかがお読みいただきましたか? ハイチやルワンダで起っていることは、我々に関係の薄い、遠い遥かな小国での出来事ではありません。世界を左右する暴力的権力機構の構造が醜い姿を露呈している注目すべき重要地点なのです。スーチーさんをめぐる感動的ストーリーだけがしきりにマスコミを賑わすのも暴力的権力機構の作動の一例にすぎません。
 ハイチについては、このブログの連載『ハイチは我々にとって何か』(1)~(6)で、ルワンダについては、連載『ルワンダの霧が晴れ始めた』(1)~(7)で取り上げました。その中に参考文献も掲げてあります。興味のある方は参考にして下さい。ハイチについては、最近のコレラの伝染、ルワンダについてはコンゴ東部の大虐殺の真相の浮上という大問題が持ち上がっていますが、これについては筆を改めて論じるつもりです。
 今日の締めくくりとしてもう一つクイズを出題しておきます。今日のはじめに「カガメは現在のルワンダ大統領で、2006年(平成18年)11月、我が国の招待で来日し、11月8日には、天皇と会見し、安倍総理と首脳会談を行ないました」と書きましたが、日本外務省のホームページには、カガメ来日の成果の評価が次のようにまとめられています。何故これほどまでに日本政府がカガメを大事にするのか、その理由は何なのでしょうか?
■(1)我が方招待によるカガメ大統領の訪日が実現したことは、良好な二国間関係のこれ以上ない証左であるとして先方の高い評価を得た。
(2)カガメ大統領は、94年の大虐殺の悲劇を経験した同国で、強力なリーダーシップを発揮しつつ「復興と開発」に向けた努力を続けている。このような姿勢は、「平和の定着」を重視する我が国の対アフリカ支援方針とも合致するものであるところ、カガメ大統領と我が国要人、さらには日本国民との間で、アフリカにおける「平和の定着」に関する意見交換が行われたことは、我が国の今後の本分野での政策決定等に資し、また我が国国民のアフリカの「平和の定着」に対する意識の啓発、理解の深化に繋がった。また、本格的二国間援助実施への礎が得られたものと思われる。
(3)今回の訪問により良好な二国間関係がさらに強化され、特に北朝鮮問題や国連安保理改革に関する我が国の立場への理解・支持を得られた。これは、今後我が国がこれらの外交課題に取り組んでいくに当たっての重要な基盤となり、大きな成果があった。■

答えは簡単、この頃話題のレアメタルです。

藤永 茂 (2010年11月24日)



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5 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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藤永茂先生: (おにうちぎ)
2010-11-24 16:15:31
藤永茂先生:

昨年くらいから「私の闇の奥」を読み始めて、その深い歴史把握と異議申し立てのセンスに強い印象を受けました。さかのぼってこのブログの初めから通して読むこともしました。
歴史と社会がこれほどの巨大な長大な虚構を踏まえた言説によって、体裁の維持がなされていることを理解したあとの、先生の悪戦苦闘ぶりに頭が下がります。その虚構の中身とそれを支える仕組みの解明が続いています。
でも、例えば、アリスティドやカガメの名前に関心を寄せる人、ある程度事情に通じる人が、1000人に1人さえもいるのかどうか。仮にその割合だと、人口比でいえば日本全体で10万人以上、この数字は考えにくいと思います。
わたしには、先生のように、自力で新たな事実を発見しては整理してインターネット世界に伝えるという
力はありません。真実と思われるものを書籍やインターネット情報のうちに見出して、その真実が持ついわゆる社会と歴史の常識との大きなかい離に唖然としているのが実情です。
自分が理解した(つもりの)真実の苦さを、友人や知人に伝えることさえむずかしいと感じています。わたしがこれまでに掛けた時間とエネルギーを人に要求することはできないし、かりに努めて得たとしてそうして得た認識がかれらををハッピーにするとは到底信じることができません。
先生のように「一石を投ずる」ことを続けないと、変わるものも変わらないことは承知しますが、わたしには別の未来が想像できません。奴隷制廃止、男女平等、いずれ死刑廃止、これらは長い時間にわたる無数の活動の成果でしょうが、帝国主義の悪の跋扈を止めることができる未来図が見えません。先生には見えておられるでしょうか?見えていないまま、ただ今のような活動を続けるエネルギーをいかに維持できているのでしょうか?





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おにうちぎ様 (藤永 茂)
2010-11-25 19:16:02
おにうちぎ様

私にも帝国主義の悪の跋扈、人間の残酷さの跋扈を止めることができる未来図は、正直なところ、見えていません。おにうちぎさんと私の違いは、死期が近いという意識の有る無しだろうと思います。僅かな持ち時間を少しでも意味があるように使いたいという気持ちが私にはあります。しかし、物を書くという行為には、年齢によらず、何かうまいことを書いてやろうという虚栄心が必ず伴います。醜いものです。「本当に絶望したのなら書くな」とヴァレリーはパスカルをたしなめました。
私は若い頃から自分がアナーキストと呼ばれる人々に属すると思って生きて参りました。権力構造の中、組織の中の人間が発揮する暴力と残忍性は、個人としての人間のそれより遥かに大きく有害なものです。その意識がアナーキズムと呼ばれる考え方の底にあります。アナーキズムは既に世界史の舞台にあがる機会を逸してしまった過去の思想ではありません。

藤永 茂
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藤永先生がアナキーストであるとご自分でいわれたのには... (佐々木恭治)
2010-11-26 03:26:54
藤永先生がアナキーストであるとご自分でいわれたのには、正直に言って尊敬の念を更に強くいたします。文章を読んでいるうちにトルストイやクロポトキンの本を読んでいるような気分に陥ります。
私も一般的他人から見たら左翼と見られていましたが、穏当なアナキーストです。
立派な中庸を行く密教徒なのです。

私は先生と同じように曲がったことが嫌い、理を通さないことが嫌い、人を足蹴にしたり、踏み台にして恩返さないでのうのうと生きている奴は許せない、つまりは十善戒を守らない奴は許せないのです。
真実を少しでも多くの人に知ってもらいたいと言うのが先生の心根であろうと思います。
『私の闇の奥』は利他行としてのブログです。利他は自利に転ずるのです。
「物を書くという行為には、年齢によらず何かうまいことを書いてやろうという虚栄心が必ず伴います。醜いものです」と書かれましたが、確かにそういう面は若いときは強烈にあります。
しかしそういう卑しさは先生の文章から完全に消されています。
『私の闇の奥』はブログとしては第一級啓蒙のものであると思います。
先生がオバマやカガメや村上陽一郎を強烈に批判なさるとこなどバクーニンがマルクスを科学を理解してない似非社会科学者だと強烈に批判している文章によく似ています。
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佐々木恭治様 (藤永 茂)
2010-11-27 08:36:12
佐々木恭治様

いつも励ましのコメントをいただき大変有難うございます。
クロポトキンやエンマ・ゴールドマンの興味津々の古典的名著を今の若い人々が見つけ出して読んでくれるとよいのですが。

藤永 茂
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おにうちぎさん (佐々木恭治)
2010-11-29 09:27:33
おにうちぎさん
あなたの非力感のようなものが日本中に蔓延しているから日本が元気を喪うのでないかと思います。
相当の学歴と教養をお持ちのようですが、社会の矛盾や不正を見つけても悪いことだと注意も発言もせずただ黙って傍観している勇気のない幼児のような大人でしかないと見受けます。
やらないうちから「やれない、やっても無駄だ、」が先にたち結局なにもしないでいることの犯罪性は本当の犯罪者の共犯者と見なされても仕方ありません。
中途半端なインテリがこういう現象を引き起こしがちです。
ちょっとした勇気を出して、一人でも二人でもよいから身の回りの人に「正しいことこんな矛盾や不正が世の中にあるではないか」と言うことがとても大事であるのです。
藤永先生のエネルギーは、一人でも多くの人に真実を知らせたい知ってもらえば嬉しいと思えばこそこのブログを立ち上げられたのだと思います。
誰も読まなければ藤永先生は死んだも同然です。
私は藤永先生の静かだが暖かく大きな勇気、研かれた知性に励まされます。
先生の『私の闇の奥』を書かれているという利他の行為が結果として自利になることがご自分のエネルギーになっているのだと思います。
人の役にたつことや
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