日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

現代日本の排外主義にどう立ち向かうか

2015-03-05 09:00:00 | (K)のブログ
 先週の土曜日、在日本朝鮮人人権協会の主催によるシンポジウム「現代日本の排外主義にどう立ち向かうか~ヘイト・スピーチ、歴史修正主義、民族教育を考える~」が信濃町で行われました。今日はその内容の一部を紹介したいと思います。
 会場となった東医健保会館は250人以上の参加者で超満員となり、関心の高さを示していました。在日朝鮮人の生活と権利を脅かす日本の排外主義の問題を、植民地時代からの歴史や民族教育権などの側面から論議する意義ある場となったと思います。
 テーマに沿って、金尚均・龍谷大学教授が「京都朝鮮第一初級学校事件とヘイト・スピーチ」、鄭栄桓・明治学院大学准教授が「『上からの排外主義』と在日朝鮮人の権利」、板垣竜太・同志社大学教授が「人種差別撤廃と民族教育権」というタイトルでそれぞれ報告しました。コーディネーターは東京「無償化」裁判の弁護団の李春煕弁護士が務めました。
 シンポジウムの内容は、月刊イオ4月号に掲載します。ここでは、金尚均教授の発言内容を中心に紹介します。

 金尚均教授は、2009年12月4日に起こった在特会による京都朝鮮第一初級学校襲撃事件とその後の裁判闘争について振り返りました。そして、民事訴訟を提起した理由について次のようにのべました。
 「理由は2つある。一つは、私たちが沈黙し裁判を起こさなければ、在特会の主張が世間の中で広く報道され「やはり朝鮮学校は悪いことをしていた」と被害者である朝鮮学校が加害者にされていたかもしれないからだ。きちんと法的に対処しなければならないと考えた。
 朝鮮学校は植民地支配のなかで奪われた民族的アイデンティティを回復するため連綿として続けられてきた事業だ。在特会はこのことを否定した。裁判を起こしたもうひとつの理由は、何もしないということは、自らが自らのアイデンティティ、民族教育の意義を放棄することになるからだ。在特会は朝鮮人による民族教育を否定した。在特会という日本人による否定を、日本の裁判所を通して否定しなおすということに意義があった」

 裁判は京都地裁で1226万円の賠償の支払いなどの判決が出たあと、大阪高裁で控訴棄却、そして昨年12月9日に最高裁で上告棄却され判決が確定しました。裁判での論点について金尚均教授は、「民族差別表現が行われたということと民族教育実施権が侵害されたという二つがあったが、一審では、民族教育実施権が侵害されたことはスルーされ民族差別表現のほうが強調された。それに対して大阪高裁では民族教育実施権について言及された。日本の司法の場で民族教育実施権について言及され認められたのは私の知る限り最初のことだ。法の統一性という議論がある。民事法上の権利性・違法性は憲法から由来し他の法律にも統一的に通底しなければいけないというものだ。「無償化」裁判は行政裁判で民事裁判とは異なるが、京都の判決を「無償化」裁判でも活かしていきたいし活かしていけると思う」と語っていました。

 そして最後に、現在われわれが受けている「上」(日本政府)からや「下」(ヘイトスピーチなど)からの不当な圧力に対して、同胞たちの中で「日本社会の問題」だから問題に関わらないという考え方があるとしながら、「確かに日本社会の問題ではあるが、不当な圧力や差別に立ち向かって闘うのは私たちである。そこから私たちは逃げてはいけない」と呼びかけました。

 
 鄭栄桓准教授は、在日朝鮮人の民族教育への弾圧の歴史を振り返りながら、「90年代以降、日本が朝鮮に対する制裁を検討していくが、制裁の手段として在日朝鮮人の権利を制限するようになる。民族教育に対してそれが行われたのが03年の大学受験資格問題だった。今の「無償化」、補助金の問題も朝鮮に対する制裁と絡み合って登場してきた。そして今の攻撃は、60年代~80年代の朝鮮大学校認可や再入国許可、補助金などの権利獲得に対して、制裁を口実にして、時計の針を60年代に戻そうとする動きだ」と指摘しました。

 板垣竜太教授は、自らの朝鮮学校とのかかわりについて語ることからはじめ、「京都での裁判は、単なる嫌がらせではなく、人種差別と民族教育権の問題を2本の柱としてすえたもので非常に大きな意義を有している。高裁では被害を受けたのが民族教育だったという一定の言及があった」と京都での裁判の意義に言及しました。
 そして、「違う判決が出てきたかもしれない。最低限、人種差別撤廃条約や自由権規約などに基づく差別禁止法が不可欠だ。日本政府は民族教育に対する「下」からの差別扇動をやめさせるだけでなく、「上」からの差別をやめ、国際的合意と勧告にもとづいた民族教育の保障を行うべきだ。それは植民地主義と冷戦の克服にとって第一歩となる。それが戦後・解放70年、日韓条約50年の歴史的課題だと言える」と日本社会の課題を提起していました。

 報告後のディスカッションも含め強調されていたのが、今の日本社会の排外主義の問題を一部の集団のヘイトスピーチの問題として矮小化してはいけないということ、在日朝鮮人の存在や民族教育権の問題を歴史的にとらえて論を張り闘う必要があるということだったと思います。
 現在の「無償化」、補助金の問題は、朝鮮学校の教育内容の問題ではけっしてなく、そこに議論が引きずられてはいけない、日本政府や行政が朝鮮に対する制裁を理由とした朝鮮学校に対する差別と弾圧を止めるか止めないか、植民地時代から今日までの歴史をきちんと認識して在日朝鮮人の民族教育権を認めるのか認めないのか――そういうことが指摘されていたと思います。
 そして、シンポジウムを通じて、京都朝鮮学校襲撃事件の裁判の勝利と判決内容の意義を改めて知ることができました。

 シンポジウムは大成功だったと思います。報告者とコーディネーター、そして準備に奔走した在日本朝鮮人人権協会のスタッフのみなさん、ご苦労様でした。(k)

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