日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

光州民衆抗争から35年

2015-05-20 09:00:00 | (K)のブログ


 5月18日は韓国で光州民衆抗争が起こって35年になる日であった。「4.3」も「4.19」も「4.24」も、すべてそうだが、5.18も5月18日のその日だけで始まって終わったわけではない。軍隊に鎮圧される27日まで市民たちの戦いは続いた。
 光州民衆抗争を説明しようとすると、1945年の朝鮮の解放からアメリカによる南半部に対する軍政、朝鮮半島の分断、韓国の成立から話を始めなければならないが、少なくとも朴正煕による維新独裁から見なければならず、光州民衆抗争が浮き彫りにした問題、市民たちが命を賭して求めたものは、今にも続いていることである。
 光州民衆抗争はものすごい出来事で、朝鮮人はもちろん、日本人もそれによって人生が大きく変わったという人は多いのではないだろうか。

 1979年、私は大学3回生で、入学した時から朴正煕の絶対的な権力、維新独裁体制の強固さを見てきた。学生を中心に激しい民主化闘争が繰り広げられていたが、そう簡単に朴正煕政権が崩壊するとは考えもしなかった。そして、79年10月16日の釜馬民衆抗争から26日の朴正煕暗殺まで、あっという間の出来事だった。その時は、全斗煥という名前はまったく知らなかった。
 79年12月12日に全斗煥の軍事クーデターが起こるが、「ソウルの春」という言葉に、どこか楽観していたと、いま振り返ってみるとそう思う。

 光州で起こっていることが日本に伝えられたのが何日ごろだったのか、まったく忘れてしまった。が、最初、私が光州民衆抗争に対して間違った認識を持っていたことを今もはっきり覚えている。全貌がわかるようになったのは、市民が鎮圧されてからだし、各大学で同胞学生たちが本格的に集会を開いたりしたのも終わってからのことだったと思う。
 79年10月から80年末までの間、朝鮮半島情勢は本当に激動した(韓国だけでなく朝鮮民主主義人民共和国では80年10月に朝鮮労働党第6回大会が開かれたり)。その余震が今も続いており、その延長線の中で今の自分の生活があると思っている。
 ただ、光州民衆抗争をはじめ朝鮮半島で起こっているさまざまな出来事について、海を隔てた日本からながめ、本当の意味で理解していないのだという思いは常にあって自分を苦しめる。逆に、朝鮮半島の人々は在日同胞のことは本当の意味でなかなか理解できないのだろう。重要なのは、朝鮮史の大きな流れのなかに自分をおいて、その時代、置かれた場所で何をするのかということなのではないだろうか。光州民衆抗争から35年、この思いを新たにしたい。

 最後にイベントの紹介をひとつ。
 光州民衆抗争の時にその場で文化宣伝隊として活動した、韓国の画家・洪成潭さんの連作 「靖国の迷妄」の展示やトークイベントが行われます。まだ少し先ですがぜひ。

●東アジアのYASUKUNISM(ヤスクニズム)展
 「10年をかけ完結した洪成潭の連作〈靖国の迷妄〉――その巨大な絵画ひしめく圧巻の展示を軸に、トーク、詩の朗読、パフォーマンス、映画上映等をおこないながら、東アジアの歴史的課題〈ヤスクニズム〉を浮き彫りにしていくプロジェクト」(ちらしより)

日時:7月25(土)~8月2日(日)平日13:00~19:00 土日12:00~19:00
展示:洪成潭(ホンソンダム)の連作 「靖国の迷妄」
※会期中、連日トーク、上映会
場所:ブレヒトの芝居小屋(西武新宿線 武蔵関駅北口6分)

 洪成潭さんの作品展は2012年3月末から4月にかけて、今回の会場であるブレヒトの芝居小屋で開催されています。「5月版画展 ひとがひとを呼ぶ」と題された作品展で、光州人民蜂起での出来事を洪成潭さんが版画として表現した作品が展示されました(写真すべて)。
 今回はまた別の作品のようですが、月刊イオの誌面でも紹介したいと思っています。
 開催期間中、洪成潭さんによる作品解説もあるようです。



 本当の最後に、作品展「5月版画展 ひとがひとを呼ぶ」を紹介した月刊イオの当時の記事(2012年5月号)を紹介します。

 1980年5月に起こった光州民衆抗争。そのとき画家・洪成潭は、市民軍の文化宣伝隊長だった。「18日から27日夜明けまでのことは、頭の中に映画フィルムのように焼きついている」と言う。光州の真相を広く知らせるために洪は、80年代版画を彫り続ける。今回展示された作品は「光州民衆抗争・5月連作版画」としてまとめられた50点。そして、作品にはすべて洪自ら書いた詩がそえられている。韓国内はもちろん、日本や米国、ドイツなど多くの国で展示されてきた。
 洪は光州の10日間を「不当な国家システムや階層間の葛藤から完全に解放され抵抗の共同体が実現していた」とし、「光州は悲惨な言葉で語られることが多いが、韓国において軍事独裁を永遠に終息させることができるという希望を抱いていた」と振り返る。「血涙-1」「行こう、道庁へ」「大同世-1」などのすべての作品に、「記録」を超えて洪が込めた思想がここにある。作品たちは、民主化のための闘いの場に掲げられ、催涙弾の煙まみれになりながら人びとに力を与えてきた。
 昨年3.11後、すぐに福島を訪れた作者。いろんな部分で「沈黙」を強いられている日本の現状をどうにか変えたいという思いが版画展を開かせた。(k)
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