日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

沖縄戦

2009-11-18 09:21:37 | (愛)のブログ
先日、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)写真展「世界187の顔-生命の現場から-」写真展へと足を運んだ。
新連載に協力頂くフォトジャーナリストである豊田直巳さんの写真が出品されていたので、デザインの参考がてらと思い訪れた。

そこには、世界のあらゆる現状をありのままに伝えてくれる写真たちが並んでいた。
ひとことで、圧巻でした。

次の約束の予定時間より時間があまってしまったので、せっかくだからとトークショーも何の気ナシに参加した。
トークショーのテーマは「沖縄戦を知る~沈黙を破った元兵士と住民たち」。國森康弘さんというフォトジャーナリストの方が追ったルポルタージュを写真を見ながら振り返るという内容だった。國森さんが急な取材で不在だったため、撮った写真をキャプションと共にフォトジャーナリストである森住卓さんが解説しながらスライドショーを見ていった。

その内容は壮絶なものだった。
沖縄戦は、「ひめゆりの塔」などを何となく知っていたものの、戦争体験者の真に迫った告白は、戦争という恐ろしさ、沖縄の方たちの深い深い悲しみなどを思い知らされた。

元日本兵の口から語られたあらゆる証言。その中には朝鮮人に関する事柄も言及されていた。
「たばこのくずがらを5本もっていただけで殺された朝鮮人」
「かわいそうなことをした」「無抵抗だったのに」
「朝鮮人の慰安婦。自分の娘がそうなったらどう思うか。あれは犯罪だ。補償しなければ」

自決せずとも生き残れたのに、集団自決を選ばざるを得なかった当時の状況。沖縄住民たちの底深い苦しみ。生き残ってしまった人たちの言葉は重く響いた。
「早く死ねてよかったね」「(集団自決した人たちが)うらやましかった」

元日本兵たちはこうも言っていた。
「人を殺しても何とも思わない。ただ機械のように遂行していく。そうして一人前の「軍人」になっていった」

衝撃的な事実たちが体験した人たちの重みを持って伝えられた。

そのスライドの最後にはこういう言葉で終わっていた。
環境や立場が変われば人は加害者にもなり得る。そういう危険性を私たちも孕んでいるのだと。だからその環境に近づかせてはいけないのだと。

國森さんのスライドショーを見終わって、戦争という大きな犯罪の罪深さを見せつけられた気がした。

トークショーが終わりに近づき、一緒に取材をしたという森住卓さんがこう語っていた。
戦争体験者たちにとってその体験を語ることは長らくタブーだった。集団自決のために、自分の子どもを殺してしまった人たちも多くいたから。
その体験を話してもらうのは傷口に塩を刷り込むようにとても残酷なことだった。
それでも、その体験を話してくれたのは教科書問題など、歴史の書換が行われるようになり、やっと重い口を開いてくれたのだと。

悲しい戦争が60年前にこの地で確かにあった。
一人一人が、見過ごしてはいけない歴史をしっかりと見つめることで、戦争が繰り返されることがないようにと切に思わされた、トークショーだった。(愛)
(写真は沖縄県糸満市の平和記念公園内にある、沖縄戦で亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」)


ps:トークショーで話された内容が本として出版されているので、紹介します。
【証言 沖縄戦の日本兵-六〇年の沈黙を越えて】 國森康弘著(岩波書店)
【沖縄戦 「集団自決」を生きる】 森住卓著(高文研)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。