元プロレスラーで新日本プロレスの顧問を務め、解説者・レフェリーとしても活躍した山本小鉄(本名・山本勝)さんが、8月28日午前7時前、低酸素性脳症により長野県軽井沢近郊の病院で急死。享年68歳。
「 スポニチアネックス 」
>8月30日付け記事より。
“鬼軍曹”山本小鉄さん急死 【写真あり】
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/08/30/01.html
「所属の新日本関係者によると、山本さんは家族と出掛けた軽井沢で28日早朝に体調を崩し、搬送先の病院で亡くなった。14日のG1クライマックス(両国)ではテレビ解説を務めていたが、関係者は「最近はあまり体の調子が良くなさそうだった。食べ物がのどにつかえる感じがすると言っていた」と話した。」
「 スポーツ報知 」
>8月30日付け記事より。
山本小鉄さん急死…新日本の「鬼軍曹」68歳、プロレス愛した48年 【写真あり】
http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/news/20100829-OHT1T00250.htm
「27日夜、家族との食事中に呼吸困難に陥り意識不明に。すぐに県内の病院に搬送されたが、28日早朝に帰らぬ人となった。山本さんは、数年前から食事中にせき込んで呼吸困難になることがしばしばあったという。周囲には1週間ほど前から「調子が悪い」と不調を訴え、東京・世田谷区内の新日本道場で、ほぼ日課にしていたという練習にも顔を出していなかった。」
得意技の屈伸式ダイビング・ボディプレスには、「ガメラ式ボディプレス」の愛称があったそうです。
この情報、ざっと検索した限りでは、Wikipediaの記述「 山本小鉄 」、「 ボディプレス 」及びそのミラーサイト以外に出典が見つからず、今ひとつ信頼性に疑問が残りますが。
「山本小鉄 Official web site 」
http://www.tvv.jp/kotetsu/index.html
の「小鉄写真館」中では、(クリックで全体を閲覧可)
ダイビング・ボディプレスの映像が、飛び出し、空中姿勢、落下中の三シーン並んで掲載されております。
なるほどこれは、確かにガメラと云われても不思議ではない…のか。
Blog記事でも、追悼文が多数アップ。
拙Blogでこれまでご紹介をさせて頂いた方々のBlogから、本日までに拝見できた分をまとめてみました。
『 シンカー無芸帳Ver.3 』
http://d.hatena.ne.jp/ks91/
さん、8月29日の更新。
ふたりでひとり
http://d.hatena.ne.jp/ks91/20100829
「昨日、へーシングの訃報を聞いたばかりなのに…。
好きだったなー。」
メルシー伯さんのBlogにも追悼記事。
『 メルログ 』
http://merci.blogzine.jp/merci/
さん、8月29日の更新。
山本小鉄氏の訃報に寄せて http://merci.blogzine.jp/merci/2010/08/post_d3a2.html
68歳という、やはり早すぎるご逝去を悼み、追悼記事をアップされました。
熱心なプロレスファンだった時代に、解説者として活躍されていた氏の思い出を語って折られます。
「私は山本氏の現役時代を知りませんが、きっと、真っ正直なストロングスタイルだったのではないでしょうか。
後年はご自身でもレフリーを務めていらっしゃいましたが、反則や卑怯な手段を嫌う姿勢は、その解説からも伺えました。
真面目で実直。そんなパワーファイターだったように思われるのです.
かつてのプロレスの大ブームと熱狂。
私もその中に居た一人でしたが、その私の「プロレス好き」の一因は、間違いなく山本氏にもあります。
そういう意味では、山本氏は私に影響を与えてくれた一人でもあるのです。」
『 考動記 』
http://losgringos.seesaa.net/
さん、8月29日の更新。
ヘーシンクに続き山本小鉄までhttp://losgringos.seesaa.net/article/160958034.html
指導者として、新日プロを盛り立てた小鉄さんの功績について、選手名を挙げつつ評価。
「選手としては小柄でしたし、必ずしも大成したとは言えないのですが、その分引退後には名伯楽として名を残したプロレス界への大功労者でした。」
『 特撮本舗 』
http://nwf.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-b066.html
さん、8月29日の更新。
山本小鉄さん逝去 http://nwf.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-b066.html
「蔵前国技館での、第1回MSGシリーズの予選トーナメントで、上田馬之助と対戦し、場外へボディプレスを敢行。避けられてしまったため、顔面が血だるまに。個人的には、IWA世界タッグ戦よりも、こちらの方が印象に残っています。」
―――ここから、8月31日付けの追加分です。―――
追悼記事、動画付き:
『 はれつのぶろぐ 』
http://ameblo.jp/haretsu/
さん、8月30日の更新。
山本小鉄さん 【動画あり】
http://ameblo.jp/haretsu/entry-10634041524.html
Youtube経由で動画二編を転載。
一本目「『新日本プロレス 旗揚げ』1972年3月6日」中に、
「1:30辺りから小鉄さんの現役時代。
技が美しくて力強い。
正面跳びのドロップキックしかり、ガメラ式ダイビングボディプレスと言われたボディプレスしかり。」
1:50から2:00にかけて、在りし日のガメラな飛翔が見られます。
――― 追加分は、以上です、―――
畑違いの更新で、小鉄さんご自身をはじめ、失礼も多々あろうかと考えましたが…、
小柄な身体に白いパンツでリング内を駆け回り、正統派ストロングスタイルを貫いた小鉄さんの勇姿は、特にプロレスファンでもなかったガメラ医師の脳裏にもしっかりと焼きついております。
心より、故人のご冥福をお祈り申し上げます。(―人―) i~~
本日は、あと2本更新の予定です。
「 スポニチアネックス 」
>8月30日付け記事より。
“鬼軍曹”山本小鉄さん急死 【写真あり】
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/08/30/01.html
「所属の新日本関係者によると、山本さんは家族と出掛けた軽井沢で28日早朝に体調を崩し、搬送先の病院で亡くなった。14日のG1クライマックス(両国)ではテレビ解説を務めていたが、関係者は「最近はあまり体の調子が良くなさそうだった。食べ物がのどにつかえる感じがすると言っていた」と話した。」
「 スポーツ報知 」
>8月30日付け記事より。
山本小鉄さん急死…新日本の「鬼軍曹」68歳、プロレス愛した48年 【写真あり】
http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/news/20100829-OHT1T00250.htm
「27日夜、家族との食事中に呼吸困難に陥り意識不明に。すぐに県内の病院に搬送されたが、28日早朝に帰らぬ人となった。山本さんは、数年前から食事中にせき込んで呼吸困難になることがしばしばあったという。周囲には1週間ほど前から「調子が悪い」と不調を訴え、東京・世田谷区内の新日本道場で、ほぼ日課にしていたという練習にも顔を出していなかった。」
得意技の屈伸式ダイビング・ボディプレスには、「ガメラ式ボディプレス」の愛称があったそうです。
この情報、ざっと検索した限りでは、Wikipediaの記述「 山本小鉄 」、「 ボディプレス 」及びそのミラーサイト以外に出典が見つからず、今ひとつ信頼性に疑問が残りますが。
「山本小鉄 Official web site 」
http://www.tvv.jp/kotetsu/index.html
の「小鉄写真館」中では、(クリックで全体を閲覧可)
ダイビング・ボディプレスの映像が、飛び出し、空中姿勢、落下中の三シーン並んで掲載されております。
なるほどこれは、確かにガメラと云われても不思議ではない…のか。
Blog記事でも、追悼文が多数アップ。
拙Blogでこれまでご紹介をさせて頂いた方々のBlogから、本日までに拝見できた分をまとめてみました。
『 シンカー無芸帳Ver.3 』
http://d.hatena.ne.jp/ks91/
さん、8月29日の更新。
ふたりでひとり
http://d.hatena.ne.jp/ks91/20100829
「昨日、へーシングの訃報を聞いたばかりなのに…。
好きだったなー。」
メルシー伯さんのBlogにも追悼記事。
『 メルログ 』
http://merci.blogzine.jp/merci/
さん、8月29日の更新。
山本小鉄氏の訃報に寄せて http://merci.blogzine.jp/merci/2010/08/post_d3a2.html
68歳という、やはり早すぎるご逝去を悼み、追悼記事をアップされました。
熱心なプロレスファンだった時代に、解説者として活躍されていた氏の思い出を語って折られます。
「私は山本氏の現役時代を知りませんが、きっと、真っ正直なストロングスタイルだったのではないでしょうか。
後年はご自身でもレフリーを務めていらっしゃいましたが、反則や卑怯な手段を嫌う姿勢は、その解説からも伺えました。
真面目で実直。そんなパワーファイターだったように思われるのです.
かつてのプロレスの大ブームと熱狂。
私もその中に居た一人でしたが、その私の「プロレス好き」の一因は、間違いなく山本氏にもあります。
そういう意味では、山本氏は私に影響を与えてくれた一人でもあるのです。」
『 考動記 』
http://losgringos.seesaa.net/
さん、8月29日の更新。
ヘーシンクに続き山本小鉄までhttp://losgringos.seesaa.net/article/160958034.html
指導者として、新日プロを盛り立てた小鉄さんの功績について、選手名を挙げつつ評価。
「選手としては小柄でしたし、必ずしも大成したとは言えないのですが、その分引退後には名伯楽として名を残したプロレス界への大功労者でした。」
『 特撮本舗 』
http://nwf.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-b066.html
さん、8月29日の更新。
山本小鉄さん逝去 http://nwf.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-b066.html
「蔵前国技館での、第1回MSGシリーズの予選トーナメントで、上田馬之助と対戦し、場外へボディプレスを敢行。避けられてしまったため、顔面が血だるまに。個人的には、IWA世界タッグ戦よりも、こちらの方が印象に残っています。」
―――ここから、8月31日付けの追加分です。―――
追悼記事、動画付き:
『 はれつのぶろぐ 』
http://ameblo.jp/haretsu/
さん、8月30日の更新。
山本小鉄さん 【動画あり】
http://ameblo.jp/haretsu/entry-10634041524.html
Youtube経由で動画二編を転載。
一本目「『新日本プロレス 旗揚げ』1972年3月6日」中に、
「1:30辺りから小鉄さんの現役時代。
技が美しくて力強い。
正面跳びのドロップキックしかり、ガメラ式ダイビングボディプレスと言われたボディプレスしかり。」
1:50から2:00にかけて、在りし日のガメラな飛翔が見られます。
――― 追加分は、以上です、―――
畑違いの更新で、小鉄さんご自身をはじめ、失礼も多々あろうかと考えましたが…、
小柄な身体に白いパンツでリング内を駆け回り、正統派ストロングスタイルを貫いた小鉄さんの勇姿は、特にプロレスファンでもなかったガメラ医師の脳裏にもしっかりと焼きついております。
心より、故人のご冥福をお祈り申し上げます。(―人―) i~~
本日は、あと2本更新の予定です。