沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

伊江島(米軍基地)

2019-04-27 | 伊江島(伊江村)


湧出ワジー です。高さ60メートル断崖絶壁の下から湧水が海へ流れていく。

昔は、ここから汲みあげる大変な暮らしだったと。

「戦後、米軍らの手によって送水管が設置され便利になり、水不足に悩んだ島も解消された」と解説板にあります。

ボコボコの米軍補助飛行場です。

外国人の10代の子供達が9人、元気よく走って行きます。 さっきは登り坂で自転車のギアが外れた女の子がShit!って 10代だよね。

この子達に追い越されるのは、今日2回目です。

米軍基地の境界です。標識だけ立っています。

普通の農地のように見えますが、突然、米軍の管理区域になります。

伊江島の土地を守る会1955年5月 の団結道場です。

米軍占領下に、土地を奪われた農民の人たちが戦った拠点です。

「命こそ宝」阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)さんの活動拠点です。

無抵抗/非暴力による市民の抵抗。

インドのガンジーや米国の公民権運動のキング牧師と同じです。 生きていくために必要な塩を、植民地支配の英国が専売し収入源とすることに抗議したガンジー(ガンディー)の「塩の行進」が1930年。 阿波根さんも伊江島に来た牧師から闘い方を教わり、農民から農地を強制収容したら 乞食になるしかないと抗議し、1955年沖縄本島を半年かけて「乞食行進」を行い、土地奪還運動の礎となった。 初代大統領リンカーンが奴隷制度を廃止して100年経つのに、未だに残る人種差別に抗議したキング牧師たちが20万人以上の米国民とともにリンカーン銅像の前に集まった「ワシントン大行進」が1963年。

「金持ちの庭にも、貧乏人の庭にも、花は等しく美しく咲く。」

占領している裕福な米国と、土地を奪われた貧しい伊江島の人々。

どちらの庭にも、花は美しく咲く。

裕福か貧乏かは無関係に、花の命は生まれ、咲く。人間も同じであるべきだと。 相手の信じている聖書などから引用して問う。

バス停と米軍基地の境界。何の変化もない普通の風景なのに、今でもここから先は米軍基地だと。たぶん建物は規制されているのだと思う。米軍補助飛行場も農地も、有事の際には、基地そのものとなる。

内地ではあり得ない、不思議な風景が、伊江島では当たり前になっています。

戦後74年、沖縄の本土復帰から47年経つのに、変わらず…。

「求む 軍用地」。

米軍基地の区域内の土地、すなわち「軍用地」が、不動産屋の取引条件となる。

内地と違って、沖縄の米軍基地は殆どが民有地。

地主が強制収容所に収監されている間に米軍により基地が建設され、未だに多くが返還されていない。

「財産権は、これを侵してはならない。財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。(憲法第29条)。」国から、少額だけど財産権の制限に応じて借地料が入る土地という付加価値がある。阿波根さんたちは受け取りを拒否して裁判を起こした。

これも沖縄だけの風景。

牛さん です。放し飼いなのか、寝そべっております。牛さんも花と同じですね。



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