せっかくなので今回のエピソードを三段論法で考えてみます。
★論法1
自分は失明する可能性がある。
失明した人間は周囲に迷惑をかける。
自分は周囲に迷惑をかける。
★論法2
失明した人間は本を読めない。
本は読まれるためにある。読まれなければ意味がない。
失明した人間にとって本は意味がない。
これが坂口昌志(中村獅童)の考え方だった。
でも、人の愛や感情というのは、こんな論理学の理屈なんか簡単に突破してしまうんですね。
まず、坂口の妻・しのぶ(佐藤江梨子)にとっては、失明した夫は迷惑でも何でもない。世間一般的に迷惑だったとしても彼女にとっては、目の見えない夫に付き添うことは喜び。
次に、本は読まれなければ意味がないとしても、だったら夫の代わりに自分が読んであげればいい。
こうして坂口の論法は簡単に論破されてしまった。
理屈は弱し、感情は強し。
さらに感情のバックに愛情があれば、それはもう最強なのである。
愛は理屈ではない。
さらにもうひとつ、今回のエピソードを論理学的に考察してみる。
今回、栞子(剛力彩芽)たちに提示された事実はこうだ。
★本を売りに来たサングラスの男
★男は慌てていたらしく、買い取り票に書いた名前がはみ出ている。
★コートのボタンがずれている。
★本の裏表紙に貼られていた私物許可証に拠れば、男は刑務所に服役していたらしい。
★外では脱走犯がうろついている。
これらの事実を帰納法で考えていけば、大輔(AKIRA)や志田(高橋克実)が導き出した結論<男は脱走犯>になるのは当然だろう。
「警察に追われている人が本を売りに来るでしょうか」といった栞子の疑問など、いささか矛盾はあるが、これが一般的な現状認識だ。
だが、真実はまったく違っていた。
男はただ目が不自由だっただけ。
大輔と志田は単なる勘違い。思い込み。
このように、人間の<現状認識>というのは、曖昧でいい加減なものなのである。
これは、ぼくたちの日常生活でも言える。
直接言われてもいない他人の言葉に一喜一憂したり、マスコミの報道で不安になったり怒ったり。
だからぼくたちは、目の前の現実や情報を正確に見定めていかなくてはならないのだけれど、これがなかなか難しい。
最低限、心懸けておかなくてはならないことは、<われわれの認識など曖昧でいい加減なものであること>を知って、振りまわされないようにすることなのだろう。
最後に、自分のことを話すのが苦手な坂口昌志と自分のことを話し出したら止まらなくなってしまうしのぶ、いい夫婦ですね。
★論法1
自分は失明する可能性がある。
失明した人間は周囲に迷惑をかける。
自分は周囲に迷惑をかける。
★論法2
失明した人間は本を読めない。
本は読まれるためにある。読まれなければ意味がない。
失明した人間にとって本は意味がない。
これが坂口昌志(中村獅童)の考え方だった。
でも、人の愛や感情というのは、こんな論理学の理屈なんか簡単に突破してしまうんですね。
まず、坂口の妻・しのぶ(佐藤江梨子)にとっては、失明した夫は迷惑でも何でもない。世間一般的に迷惑だったとしても彼女にとっては、目の見えない夫に付き添うことは喜び。
次に、本は読まれなければ意味がないとしても、だったら夫の代わりに自分が読んであげればいい。
こうして坂口の論法は簡単に論破されてしまった。
理屈は弱し、感情は強し。
さらに感情のバックに愛情があれば、それはもう最強なのである。
愛は理屈ではない。
さらにもうひとつ、今回のエピソードを論理学的に考察してみる。
今回、栞子(剛力彩芽)たちに提示された事実はこうだ。
★本を売りに来たサングラスの男
★男は慌てていたらしく、買い取り票に書いた名前がはみ出ている。
★コートのボタンがずれている。
★本の裏表紙に貼られていた私物許可証に拠れば、男は刑務所に服役していたらしい。
★外では脱走犯がうろついている。
これらの事実を帰納法で考えていけば、大輔(AKIRA)や志田(高橋克実)が導き出した結論<男は脱走犯>になるのは当然だろう。
「警察に追われている人が本を売りに来るでしょうか」といった栞子の疑問など、いささか矛盾はあるが、これが一般的な現状認識だ。
だが、真実はまったく違っていた。
男はただ目が不自由だっただけ。
大輔と志田は単なる勘違い。思い込み。
このように、人間の<現状認識>というのは、曖昧でいい加減なものなのである。
これは、ぼくたちの日常生活でも言える。
直接言われてもいない他人の言葉に一喜一憂したり、マスコミの報道で不安になったり怒ったり。
だからぼくたちは、目の前の現実や情報を正確に見定めていかなくてはならないのだけれど、これがなかなか難しい。
最低限、心懸けておかなくてはならないことは、<われわれの認識など曖昧でいい加減なものであること>を知って、振りまわされないようにすることなのだろう。
最後に、自分のことを話すのが苦手な坂口昌志と自分のことを話し出したら止まらなくなってしまうしのぶ、いい夫婦ですね。
今回のエピソードについて、一般的な現状認識を検証し、大方のそれ(現状認識)は、あいまいだったり誤っていたりしていると述べ、マスコミ、ネット、噂話などのあふれる情報や誤った認識に振り回されないよう心がけるべきとまとめるなんて、私にはとてもできない。
今回の話は、よかったです。でも、ヒロインがあと少しなんです。剛力さんも努力していますし、演出も苦労していますし、他の俳優さんも盛り上げています。若干、映像を加工しすぎという気もしますし、剛力さんの演技にもう少しメリハリが欲しい気もします。
それでも、今回の心情に深く触れるエピソードになると、ヒロインが若すぎて、嘘くさく思えてしまうのです。
個人的には、石原さとみさんに演じていただきたかったです。
ブログの趣旨とはズレますが、今回の放送で気になった点を書いておきます。
私も確かにイイ話だと思います。
前回、前々回のように、不倫の最中に、不倫でひどい目にあう話をプレゼントしたりしてませんし、盗んだ本を読む必要がないのに読んだりしてないので、大きなツッコミどころもありません。
前回、前々回はオチを知っていると、イライラしてくるようなヒドイ演出でしたが、
今までと演出家が変わったせいか、テンポよく普通に見れました。
ただ、問題はなぜ「論理学入門」なんだ、に尽きると思います。青木文庫で、50年代に共産圏の人の教科書だったものなので、共産圏の人たちが、当時これで「知」を学んだんでしょう。
獅童さんは、おそらくアラフォーだから古本屋でこれを見つけたんでしょうか。前回、前々回のお話の「それから」と「落穂拾い」にはその本でなければならない「こだわり」がありました。
ただ、獅童さんにとって、「論理学入門」とはなんでしょうか。
一応筋道を立てるならば、最初空き巣をやってしまうほど無知無学でダメな人間が本によって「論理学」という「知」を得て生まれ変わったんでしょうか。ただ、それにしても獅童さんの年齢を考えるならば、もう少し新しい本がいいような気がします。
原作を読んだとき、もう少し年配の人を考えていたので、獅童さんはミスキャストじゃないかと思います。
ほめていただき恐縮しております。
剛力彩芽さんの栞子に関しては、ぼくは大分慣れてきました。
ダンスをやられていて体幹がしっかりしているせいか、スッと伸びた背筋がきれい。(最近、人の体幹が気になるんです……)
大輔、志田がにぎやかなのは、<静>の栞子に対する<動>なんでしょうね。
こんな感じで、剛力さんの栞子をとらえています。
ただ、この役を他の女優さんがやられていたら、どんな感じなんだろうとも思っています。
元気な役が多い石原さとみさん、彼女の栞子も見てみたいですね。
>今までと演出家が変わったせいか、テンポよく普通に見れました。
演出家が変わったんですか。
ぼくも今回、前の2回に比べたら、見やすくなったなと思ったのですが、演出が変わったせいなんですね。
この作品の語り口に慣れてきたせいかと思っていました。
「論理学入門」に関しては、おっしゃるとおり、坂口にとって、なぜこの本だったのかは具体的に描かれていませんよね。
物語で<三段論法>を使いたいために、持ってきた感じがある。
なぜ「論理学入門」だったかが描かれれば、坂口のキャラはもっと深まったかもしれませんね。
>もう少し年配の人を考えていたので、獅童さんはミスキャストじゃないかと思います。
ぼくも原作を読んでいたので、最初見た時、「獅童さんか、若すぎる」と思いました。
でも、しのぶの言葉を聞いた時の、泣きの演技はなかなかよかったです。