上手いですね。
秀忠(向井理)と家康(北大路欣也)の問題、次期将軍の後継者問題を一気に片づけた。
ふたつの問題の共通の答えは、<やさしさ><弱さ>。
秀忠も竹千代(水原光太)も、やさしく、自分の弱さを知っている人間だった。
家康が秀忠を二代将軍に選んだのは、<やさしさ>があったからだった。
やさしく、自分の弱さを知っている人間は簡単に争わない。<人が死ぬこと>や<いくさ>が嫌いで、争いごとを避けようとする。
これからの平和な時代には、そういった秀忠の資質こそが大切だと家康は考えたのだろう。
ただし、時には覚悟を決めて、<鬼>になる必要もある。
そのことを学ばせたくて、豊臣を滅ぼす役を秀忠に科したのだろう。
そして竹千代も秀忠と同じ資質を持っていた。
秀忠との問答で、竹千代は「わたしは弱き男。いくさが嫌い」と言い切った。
前回、そして今回も回想として描かれた<千(忽那汐里)が悲しむ姿を竹千代が柱の陰から見ているシーン>も竹千代のやさしさを表すエピソード。
竹千代は千の痛み、つらさを深く理解し、感じたのだ。
この繊細な感受性。
これは才気煥発な国松(松島海斗)にはないもの。
才気に溢れ、ある意味、自信家の国松は、問題が起きた時、簡単にいくさに拠る解決に踏み切ってしまうかもしれない。
それは戦国の時代なら君主として必要な資質だが、平和な時代には不向き。
竹千代の化粧が<母親を求めていたから>という理由づけも上手い。
少なくとも僕は予想できなかった。
これにより竹千代の印象はマイナスからプラスへ。
視聴者を見事に裏切り、同時に竹千代の繊細さも描いた上手い作劇だと思う。
ただし、少し客観的に見ると、この竹千代の<繊細さ><母親を求める気持ち>に最後の最後まで気づかなかった江(上野樹里)はおバカさん。
せっかく秀忠との問答で、竹千代が「いくさがない世を作ることは、母上が望んでいることだと思います」と母を求める意思表示をしているのだから感じてあげないと。
福(富田靖子)も知っていたのなら、もっと先に話すべきだし、ラストで母と子が抱き合うシーンに涙するのも、今までの福の描かれ方から考えると不自然、唐突。
そして秀忠と家康の語らい。
北大路欣也さんの名演技もあってよかった。
「そなたは立派な将軍よ」「そなたがかわいいのよ」
「今、父上を失いたくないと思っております」
「不器用よの」「親子ですから」
父と子の関係というのは、おおむねこんな感じ。
父親は抽象的な形でしか愛情を示せず、敢えて息子に試練を与えたりする。
息子は乗り越えるべき存在として、父親に反抗する。
そして、死ぬ間際になるまで腹を割って話そうとはしない。
秀忠が二代将軍にした理由を「自分(家康)の意のままに従う人間だから」と考えていたのに対し、家康は「自分に反抗的な人間だから」と考えていたのも面白い。
家康は、自分にない秀忠の資質を理解し、認めていたのであろう。
<やさしさ><自分の弱さを知っていること>
今回は秀忠と竹千代を通して、その大切さを描いた。
秀忠(向井理)と家康(北大路欣也)の問題、次期将軍の後継者問題を一気に片づけた。
ふたつの問題の共通の答えは、<やさしさ><弱さ>。
秀忠も竹千代(水原光太)も、やさしく、自分の弱さを知っている人間だった。
家康が秀忠を二代将軍に選んだのは、<やさしさ>があったからだった。
やさしく、自分の弱さを知っている人間は簡単に争わない。<人が死ぬこと>や<いくさ>が嫌いで、争いごとを避けようとする。
これからの平和な時代には、そういった秀忠の資質こそが大切だと家康は考えたのだろう。
ただし、時には覚悟を決めて、<鬼>になる必要もある。
そのことを学ばせたくて、豊臣を滅ぼす役を秀忠に科したのだろう。
そして竹千代も秀忠と同じ資質を持っていた。
秀忠との問答で、竹千代は「わたしは弱き男。いくさが嫌い」と言い切った。
前回、そして今回も回想として描かれた<千(忽那汐里)が悲しむ姿を竹千代が柱の陰から見ているシーン>も竹千代のやさしさを表すエピソード。
竹千代は千の痛み、つらさを深く理解し、感じたのだ。
この繊細な感受性。
これは才気煥発な国松(松島海斗)にはないもの。
才気に溢れ、ある意味、自信家の国松は、問題が起きた時、簡単にいくさに拠る解決に踏み切ってしまうかもしれない。
それは戦国の時代なら君主として必要な資質だが、平和な時代には不向き。
竹千代の化粧が<母親を求めていたから>という理由づけも上手い。
少なくとも僕は予想できなかった。
これにより竹千代の印象はマイナスからプラスへ。
視聴者を見事に裏切り、同時に竹千代の繊細さも描いた上手い作劇だと思う。
ただし、少し客観的に見ると、この竹千代の<繊細さ><母親を求める気持ち>に最後の最後まで気づかなかった江(上野樹里)はおバカさん。
せっかく秀忠との問答で、竹千代が「いくさがない世を作ることは、母上が望んでいることだと思います」と母を求める意思表示をしているのだから感じてあげないと。
福(富田靖子)も知っていたのなら、もっと先に話すべきだし、ラストで母と子が抱き合うシーンに涙するのも、今までの福の描かれ方から考えると不自然、唐突。
そして秀忠と家康の語らい。
北大路欣也さんの名演技もあってよかった。
「そなたは立派な将軍よ」「そなたがかわいいのよ」
「今、父上を失いたくないと思っております」
「不器用よの」「親子ですから」
父と子の関係というのは、おおむねこんな感じ。
父親は抽象的な形でしか愛情を示せず、敢えて息子に試練を与えたりする。
息子は乗り越えるべき存在として、父親に反抗する。
そして、死ぬ間際になるまで腹を割って話そうとはしない。
秀忠が二代将軍にした理由を「自分(家康)の意のままに従う人間だから」と考えていたのに対し、家康は「自分に反抗的な人間だから」と考えていたのも面白い。
家康は、自分にない秀忠の資質を理解し、認めていたのであろう。
<やさしさ><自分の弱さを知っていること>
今回は秀忠と竹千代を通して、その大切さを描いた。
私も竹千代がああいったときに、
ここで何かいうのでは!と思って期待してたのに福に言われるまで何も気がつかなかった
江にがっかりしてしまいました。
結局江は全然自分で何かを成し遂げてなく
流されるままですね。
もう最終回ってことですけど、結局
江は一体何を語りたかったんだろう?
って全然見えてこないです。
この場面は文句なしに良かったと思います。
特に、秀忠から「親として、息子として」という視点が引き出されて後の
>「そなたがかわいいのよ」「今、父上を失いたくないと思っております」「不器用よの」「親子ですから」
という展開は素直に感動できました
「仁」絡みでここでも何回か言及した大学生の長女曰く「主人公が逝ってしまった」とのこと。
娘の言う通り、本作の主人公は結局江ではなく家康だったように思います。
大阪の陣はやむを得なかったと語る家康に対して江が「私はそうは思いませぬ」と応じたシーンは重要な場面でした。本来はここで江になぜそう思うのか、その理由を語らせるべきでした。そこで江の口から家康の「論理」を凌駕する「論理」が出るならば、江は主人公でありえたのですが。
しかし作者はこれを逃げて江に言いっぱなしにさせただけ。
これまでの江の言動からは到底そうした「論理」が出てくる筈もなく、言えたところで精々家康に一蹴されたかつての秀忠のそれくらいしかないと思います。
コウジさんが常々ご指摘のとおり、江には葛藤も、自分を見つめることもなかったことの帰結でしょう。
他方、竹千代問題。
<やさしさ><自分の弱さを知っていること>はいいのですが、我が家ではもっぱら「唐突さ」が話題となりました。
国松相手の剣術の稽古で「そなたは豊臣じゃ。豊臣など滅びてしまえ」と叫んで打ち込んでいた竹千代(42話)、家臣たちと豊臣家滅亡を祝う宴会を主催していた竹千代(44話)と、「戦で伯母上たちを殺したのは父上ではありませんか」と秀忠に食ってかかった今回の竹千代とが同一人物とはとても思えません。
>視聴者を見事に裏切
るサプライズを演出したかったのでしょうが、<千(忽那汐里)が悲しむ姿を竹千代が柱の陰から見ているシーン>
だけではギャップを埋める伏線としてまったく不十分です。
長女は、林羅山抱き込みも功を奏さなかったとみた福が、起死回生の最終手段として江の抱き込みへと作戦変更した、というツッコミ解釈を展開していました。
ともあれ、おそらく次回最終回では江と福とは良好な関係となるのでしょうが、これまでの福の描かれ方はひどすぎました。
富田靖子さんは「デキる優秀な女性を演じて下さいと言われて演じていたのですが、オンエアを見てみると、コワい女性になっていました」(42回コウジさん)と言われたそうですが、それは脚本のせいだと思います。
本来は「篤姫」の滝山のように描かれればよかったのですが。
いつもありがとうございます。
>私も竹千代がああいったときに、ここで何かいうのでは!と思って期待してたのに
みのむしさんもそう感じられましたか。
僕もあのシーンは、竹千代なりのラブコールだと思ったのですが、江には響かなかった様ですね。
われわれ視聴者は気づいているのに。
>結局、江は一体何を語りたかったんだろう?
最終回で、どう表現されるか楽しみですね。
サブタイトルは「希望」ですが、果たして江は皆の希望になっていたのか?
「太平の世を求めた女性」というのも、江は結局見ているだけで何もしていませんでしたし。
さて、どうなるのでしょうか?
いつもありがとうございます。
>大阪の陣はやむを得なかったと語る家康に対して江が「私はそうは思いませぬ」と応じたシーンは重要な場面でした。本来はここで江になぜそう思うのか、その理由を語らせるべきでした。そこで江の口から家康の「論理」を凌駕する「論理」が出るならば、江は主人公でありえたのですが。
しかし作者はこれを逃げて江に言いっぱなしにさせただけ。
僕も同感です。
見ていて「あれれ?」と思ってしまいました。
ここが、江の主人公としての語り所だったのですが。
どうも江には、自分の言葉がないようですね。
<いくさが嫌だ><太平の世を作りたい>と言っても、江は言っているだけ。
そのために泥をかぶって具体的な行動をしたのは、秀忠。
結果、秀忠は千を失ってしまいましたし。
行動のない言葉は誰にでも言えること。
あるいは、江の言葉はうわべの言葉だから、家康から聞かれても反論できない。
そんな印象を持ってしまします。
竹千代に関しては、過去の言動をふり返ってみると、おっしゃるとおりですね。
過去の「豊臣など滅びてしまえ」という言動と今回の「叔母上たちを殺したのは父上だ」という言動の間を埋める何かが描かれなくてはなりませんよね。
その転機となる出来事が、<柱の陰から悲しむ千を見たこと>なのでしょうか?
少し言葉足らずのような気がしますね。
それにしても!
家族で大河ドラマを論評し合う家庭って何てステキなんでしょう!
うらやましいです!