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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第4回「江戸の鬼小町」

2010年01月25日 | 大河ドラマ・時代劇
 龍馬(福山雅治)はまわりの人間に影響を与えていく。
 武市半平太(大森南朋)、弥太郎(香川照之)……。
 龍馬本人は試行錯誤しているだけで極めて自然体なんですけどね。
 まわりが意識してしまうみたいだ。
 そして今回は千葉道場の佐那(貫地谷しほり)。

 この作品では佐那を剣道一筋の頑なな人間として描いた。
 「楽しいご家族ね」のひと言が効いている。
 そんな佐那の心を開いたのが龍馬。
 太鼓の稽古で佐那を笑わせた。
 龍馬には人の心を明るくする天性のものがある。
 これは生まれついたもので、たとえば武市や弥太郎がそのようになりたくでも出来ないこと。
 だから彼らは龍馬を意識してしまう。

 さて佐那。
 龍馬との関わりの中で、自分の中の<女>を意識してしまったようだ。
 笑わせた一件だけで、そうなってしまったのは言葉不足の感じがするが、この作品、結構駆け足。溝渕と未知の場所に行くエピソードなどは後回しにして、佐那との関わりをもう少し描いてもよかった気がするし、禅問答に似た父・千葉定吉(里見浩太朗)とのやりとり、「お前に坂本殿は斬れぬ」もあまり佐那の気持ちを表しているように思えない。
 この辺はもったいない。もっと描き込みがあってもよかった。

 さて話を戻すと、女を意識してしまった佐那は「なぜ自分は女に生まれてきてしまったのか」と自分の気持ちを龍馬に吐露する。
 自分の性を否定することで、自分の中にうずまく<女>を否定しようとしているかのようだ。
 「女に生まれて来なければ、こんな気持ちに悩まなくて済むのに」と叫んでいるかのようだ。
 それに対して龍馬。
 「なぜ、そのようなことを言われます? お佐那様には他のおなごにないお佐那様だけの凛々しさがあります。それはとてもまぶしい」
 佐那の性を肯定し、佐那本人も肯定する。
 龍馬は<肯定>の人なのだ。
 ひとりひとりの個性を大事にし、それを愛する人なのだ。
 本当に大きくやさしい。
 これが佐那のせりふ「あなたは強い。強すぎるのです」に通じる。
 本人は気づいていないだろうが、そんな大きなやさしさが龍馬にはある。
 これが武市なら「おなごはおなごらしくいればいい」と佐那をおなごの枠にはめてしまいそう。

 今回の佐那とのやりとりは結構深いと思うが、少し説明不足なのが残念。
 というのは僕はかなり佐那という女性に思い入れがありまして。
 今後どう描かれるか楽しみ。

 さな子との出会いについてはこちらもご覧下さい。
 竜馬がいく 龍馬は恋愛の達人である



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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (おりょう)
2010-01-25 12:20:16
こんにちは
今週出会ったばかりなのに、もう!?というくらい さな子と龍馬の関係が変わっていきましたよね。 何回かに分けても良かったのに、と思うけど、そうすると先が詰まっちゃうのかな?

私も さなとお龍だったらさなのほうが好きです。でも、お龍を選ぶあたりが龍馬かな?という気もします。
返信する
そうなんですよね (コウジ)
2010-01-25 13:27:45
おりょうさん

コメントありがとうございます。
そうなんですよね。僕も
>何回かに分けても良かったのに
と思います。
せっかく福山さんなんだし、もっと恋愛要素を前面に出しても。
龍馬が歴史の舞台に出て活躍するのはまだ先ですから、ここはさなとのエピソードで膨らましてほしかったとも思いますし。

お龍さんは「龍馬伝」ではどう描かれるか楽しみですね。
今回のさなも「竜馬がいく」のさな子とは違って、鉄の女で描いていましたし。
また「竜馬がいく」のお龍は、借金があったりして結構可哀想な女性で描かれていましたし。

返信する
大きな優しさ (TEPO)
2010-01-25 18:49:52
今回は他ブログでも概して好評ですが「展開が早すぎる」という意見は結構あるようです。

>禅問答に似た父・千葉定吉(里見浩太朗)とのやりとり
「お前はもう坂本には勝てぬ」

龍馬の剣が急成長して佐那を追い越したとも、佐那が女心に覚醒してしまったとも解することができます。
あれだけ一方的に打ち込まれていた佐那の剣(竹刀)を無造作に奪ったのだから前者の可能性もありますが、それにしては龍馬の剣技の成長の描写がない。多分後者なのでしょうね。

ともあれ、司馬遼太郎風の「征服する」龍馬とは別に、「大きなやさしさ」の龍馬という人物像には好感が持てます。
前回弥太郎にからんでいた博打打ちたちを撃退する一方で、彼らに「恥をかかせてしもうて悪かったのう」と詫びていた台詞が私には印象的でした。
龍馬の底抜けの優しさが示されていました。
返信する
さな子派としては (Nolly Chang)
2010-01-25 22:40:38
今回は物足りなかったです。
龍馬の剣術の腕がめきめきあがったことや、さな子が龍馬を意識していく過程など、もうちょっとほしかった!
司馬遼太郎「竜馬がゆく」では、司馬先生はお田鶴さまやさな子さんが好きだったんでしょうね。私もこの2人が好きです。とくにさな子さん。だから今回はちょっと残念でした。
福山さんが汗を流そうと井戸で上半身裸になるシーンの美しさに、今回も気を失いそうでしたが。さな子もあの場面を見たから意識しはじめたのかしら。
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いろいろな解釈 (コウジ)
2010-01-26 11:38:25
TEPOさん

いつもありがとうございます。
「お前はもう坂本には勝てぬ」
おっしゃるとおり、いろいろな解釈が出来るんですよね。
僕は精神的な意味と解釈したのですが、一応、入門から二ヶ月が経っているそうなので、重太郎の謎の練習によって強くなったのかもしれない。
あるいは、あの投げ飛ばした戦い方を見ると、いくさ場の命を取り合う何でもあり場では、佐那の竹刀の剣は通用しないと解釈できなくもない。
その辺は実はよくわからないんですよね。

龍馬の大きな優しさについては今回無理やり解釈しましたが、弥太郎や武市の鬱屈した燃えたぎるものの方がわかりやすいんですよね。
龍馬の方はふわふわしてわかりにくい。
もっとせりふで心情を語らせてもいいのではという感じはしています。
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僕もさな子派 (コウジ)
2010-01-26 11:56:52
Nolly Changさん

いつもありがとうございます。
僕もさな子派でして、もっと龍馬とさな子の関わりを描き込んでほしかったと思っています。
龍馬はさな子をどの様に思い、さなこは龍馬をどう思っているのか。
いきなり「あなたはまぶしい」と言われても、その間の描写がないから唐突ですよね。
たとえば「JIN」の咲はそういう心情描写のシーンがあったから、恋心が明確に伝わりました。
でも、この作品にはそれがない。
大河ドラマだから少し気取っているのか、男性の脚本家さんだからなのか。
でも加尾や弥太郎に関してはしっかり描いていますしね。
今後、描かれるのでしょうか?

それに福山さんの体。
僕もジムに通っているのですが、あれほどの体を作るのは大変!
やはりスターですね。
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