祖母・とり(草笛光子)の奪還作戦。
信繁(堺雅人)はいつもいい所までいくのだが、どうも最後の詰めが甘い。
結局、失敗して元の木阿弥。
まだ未熟なんですね。
才知のひらめきはあるのだが、本物になっていない。
もっとも父・昌幸(草刈正雄)のように、海千山千のなれというのも無理な話。
このことについて、昌幸は言う。
「失敗続きじゃな。
お前がなぜしくじるか分かるか?
己の勘に頼り過ぎるからじゃ。
わしも勘だけで生きておる。
だが、わしの勘は場数を踏んで手に入れた勘じゃ。
それでもたまには間違える」
<場数を踏んで>
そう、信繁には場数が足りないのだ。
だから、昌幸はいろいろとミッションを与え、信繁に場数を踏ませようとしている。
今度の上杉家の春日信達の調略もそう。
失敗して学んで、人は大きく強くなっていく。
策略もリアリティのあるしっかりしたものになる。
失敗についての昌幸の言葉も興味深い。
「源三郎は間違いは少ないが、くそ真面目で面白くない。
お前は過ちを犯すが面白い。
面白くなくては人は動かん」
喜劇を書いてきた三谷幸喜さんらしい言葉ですね。
喜劇の登場人物たちは皆、一生懸命で失敗ばかりしている。
そんな人物たちを三谷さんは愛している。
おばばさま(草笛光子)の言葉も深い。
「思うようにいかぬのがこの世」
明解で単純なことなんですけど、人はなかなかこれを認めることができない。
他人はそうかもしれないけど、自分だけはうまく行くと思っている。
若い時は特にそうだ。
思うようにいかないことで悲観して自殺したり、社会に恨みをもって自暴自棄な犯罪に走ったりする。
でも、「思うようにいかぬのがこの世」と認識できた時、人は少し楽に生きられる。
昌幸のように、思うようにいかないことを「たまには間違える」と言って、楽しめるようになる。
おばばさまは、さらに続ける。
「大事なのは思うようにいかぬ時、いかに振る舞うか。
源次郎、諦めてはなりませぬ。
望みを捨てなかった者のみに道は開ける」
これもまた三谷さんが、映画『マジックアワー』やドラマ『古畑任三郎』の津川雅彦回で言ってきたこと。
今回は三谷幸喜さんのメッセージが詰まった内容でした。
信繁はこうやって少しずつ成長していくのでしょうね。
人間の描き方も上手いですね。
滝川一益(段田安則)は人を簡単に信じてしまういい人。
沼田城と岩櫃城も返すといい、またいっしょに酒を飲もうと昌幸に言う。
視聴者は、こういう人だから清洲会議に間に合わなかったんだよな、と納得できる。
だが一方で、信濃を通るために人質を木曽義昌(石井愃一)に渡すようなドライさや知恵も持っている。
人物描写は一面的ではつまらないんですよね。
善と悪、軟と硬、さまざな面を描くことで、人物に幅が出てリアリティが生まれてくる。
木曽義昌も二面性。
とんでもなく粗野で乱暴な男&おばばさまに頭が上がらない子供のような人。
このギャップがいいんですよね。
おばばさまに頭が上がらないことが<信繁解放>にも繋がった。
なるほど、こういう物語の進行のさせ方もあるのか。
きり(長澤まさみ)は、ウザい困ったちゃん。
「この子、うるさい!」
と、おばばさまにも言われてしまった(笑)
でも、このうるさくて鬱陶しいことが<きり解放>に繋がった。
すごい伏線の張り方だなぁ。
きりに関しては、作品全体を通した仕掛けが施されているように思える。
すなわち前半は<鬱陶しい嫌な子>と描いておいて、後半で<とんでもなく魅力的な子>として描くギャップ萌えの仕掛け。
最後は地図。
この作品、地図の使い方が上手いですね。
これで、真田家を取り巻く勢力関係がよくわかる。
沼田城、岩櫃城、小諸城、福島城など地味~な城にもスポットライトがあたっている。
この地図の製作はシブサワコウさんらしいが、ゲーム『信長の野望』を真田家でプレイしているかのような錯覚を受ける。
信繁(堺雅人)はいつもいい所までいくのだが、どうも最後の詰めが甘い。
結局、失敗して元の木阿弥。
まだ未熟なんですね。
才知のひらめきはあるのだが、本物になっていない。
もっとも父・昌幸(草刈正雄)のように、海千山千のなれというのも無理な話。
このことについて、昌幸は言う。
「失敗続きじゃな。
お前がなぜしくじるか分かるか?
己の勘に頼り過ぎるからじゃ。
わしも勘だけで生きておる。
だが、わしの勘は場数を踏んで手に入れた勘じゃ。
それでもたまには間違える」
<場数を踏んで>
そう、信繁には場数が足りないのだ。
だから、昌幸はいろいろとミッションを与え、信繁に場数を踏ませようとしている。
今度の上杉家の春日信達の調略もそう。
失敗して学んで、人は大きく強くなっていく。
策略もリアリティのあるしっかりしたものになる。
失敗についての昌幸の言葉も興味深い。
「源三郎は間違いは少ないが、くそ真面目で面白くない。
お前は過ちを犯すが面白い。
面白くなくては人は動かん」
喜劇を書いてきた三谷幸喜さんらしい言葉ですね。
喜劇の登場人物たちは皆、一生懸命で失敗ばかりしている。
そんな人物たちを三谷さんは愛している。
おばばさま(草笛光子)の言葉も深い。
「思うようにいかぬのがこの世」
明解で単純なことなんですけど、人はなかなかこれを認めることができない。
他人はそうかもしれないけど、自分だけはうまく行くと思っている。
若い時は特にそうだ。
思うようにいかないことで悲観して自殺したり、社会に恨みをもって自暴自棄な犯罪に走ったりする。
でも、「思うようにいかぬのがこの世」と認識できた時、人は少し楽に生きられる。
昌幸のように、思うようにいかないことを「たまには間違える」と言って、楽しめるようになる。
おばばさまは、さらに続ける。
「大事なのは思うようにいかぬ時、いかに振る舞うか。
源次郎、諦めてはなりませぬ。
望みを捨てなかった者のみに道は開ける」
これもまた三谷さんが、映画『マジックアワー』やドラマ『古畑任三郎』の津川雅彦回で言ってきたこと。
今回は三谷幸喜さんのメッセージが詰まった内容でした。
信繁はこうやって少しずつ成長していくのでしょうね。
人間の描き方も上手いですね。
滝川一益(段田安則)は人を簡単に信じてしまういい人。
沼田城と岩櫃城も返すといい、またいっしょに酒を飲もうと昌幸に言う。
視聴者は、こういう人だから清洲会議に間に合わなかったんだよな、と納得できる。
だが一方で、信濃を通るために人質を木曽義昌(石井愃一)に渡すようなドライさや知恵も持っている。
人物描写は一面的ではつまらないんですよね。
善と悪、軟と硬、さまざな面を描くことで、人物に幅が出てリアリティが生まれてくる。
木曽義昌も二面性。
とんでもなく粗野で乱暴な男&おばばさまに頭が上がらない子供のような人。
このギャップがいいんですよね。
おばばさまに頭が上がらないことが<信繁解放>にも繋がった。
なるほど、こういう物語の進行のさせ方もあるのか。
きり(長澤まさみ)は、ウザい困ったちゃん。
「この子、うるさい!」
と、おばばさまにも言われてしまった(笑)
でも、このうるさくて鬱陶しいことが<きり解放>に繋がった。
すごい伏線の張り方だなぁ。
きりに関しては、作品全体を通した仕掛けが施されているように思える。
すなわち前半は<鬱陶しい嫌な子>と描いておいて、後半で<とんでもなく魅力的な子>として描くギャップ萌えの仕掛け。
最後は地図。
この作品、地図の使い方が上手いですね。
これで、真田家を取り巻く勢力関係がよくわかる。
沼田城、岩櫃城、小諸城、福島城など地味~な城にもスポットライトがあたっている。
この地図の製作はシブサワコウさんらしいが、ゲーム『信長の野望』を真田家でプレイしているかのような錯覚を受ける。
武田家滅亡から始まる本作では、これまでの事情は一切描かれていませんでしたが、昌幸の父と共に真田家の礎石を築いてきた女傑の正体が今回ではっきりしたと思います。
おっしゃる通り、若者たちは未熟ですね。
特に、きりについて以前阿茶ノ局と比較するような書き方をしましたが、今回を見ると「まだまだ」です。
>前半は<鬱陶しい嫌な子>と描いておいて、後半で<とんでもなく魅力的な子>として描くギャップ萌えの仕掛け。
きりを本当に「とんでもなく魅力的な子>」にしてくれる仕掛けを期待したいところです。
ところで、最近昌幸についても今ひとつ、と感じています。
たしかに「めぐり合わせ」が悪いこともありますが、策略の空転が目立ちます。
今回も、滝川一益に対して信義を貫いていた方が良かった-史実としても、一益は国衆たちの城を平和裡に変換していたとする説が強いようです-わけですし。
つまり、信幸的な対応の方が正解だったわけです。
昌幸と信繁とは同質ということで、信繁と信幸が合わさって一人前という昌幸の言葉は昌幸自身にも言えるような気がします。
信長に臣従する際、自分を高く売るために敵対勢力で或る上杉との関係を仄めかしたのと同様の策略を、昌幸は次回北条につく際に用いるようです。
その際、息子にも真意を知らせずに手駒として使う(前回は信幸、今回は信繁)というのも前回と同様のようです。
目の覚めるような鮮やかな策というのでなければ、「またか」感を与えてしまうのでは無いか、と少し危惧します。
私事ですが、今週末から日曜日3回は海外(コンゴ民主共和国)に出かけます。ネット視聴が出来ればいいのですが。
いつもありがとうございます。
おばば様、存在感がありましたよね。
今まで登場シーンがそんなに多いわけではないのに、この存在感は、草笛光子さんの演技の力でしょうか。
昌幸は、おっしゃるとおりで、権謀術数をやり過ぎると、視聴者の共感が得られにくくなるかもしれませんね。
しかも、立てた策は、今まで必ずしも上手くいっていませんし。
昌幸に欠けているのは、信幸の実直さ、信義を重んじる姿勢というのも、なるほど、です。
昌幸は物事を複雑に考えていますが、案外、信幸の「織田の家臣になったのだから滝川一益につく」というシンプルな考え方の方が有効なのかもしれませんね。
アフリカでのお仕事、気をつけて行ってらっしゃって下さい。
南スーダンが隣接しているようですし。
僕は10年前くらいにタンザニアに行きましたが、コンゴもドバイ経由なのでしょうか?
結構、飛行機に乗りますね。まわりが英語ばかりだったので、帰りの関空からの飛行機で落語を聞いた時、めちゃくちゃおかしかったのを覚えています。