新しい日本をつくろうとする美和(井上真央)と楫取(大沢たかお)。
しかし、まずは挫折。
奇兵隊の身分の低い者、農民・町民などの兵士が切り捨てられ、理不尽に殺されてしまった。
兵士のひとりの若者は「アメリカに行ってみたい」という夢を持っていたのに、反乱軍として捕まって、自分が殺されることを覚って「夢なんて見らんにゃよかった」
美和が望む<誰もが夢を持って生きられる国>が、早速、挫折したわけだ。
楫取も無力な自分を責める。
「あの者らの国を思う声を活かせんで、何が政(まつりごと)じゃ。何が国づくりじゃ」
でも、まあ、国や政治なんて、そういうものなんですよね。
国民全員が幸せになれる政策なんてあり得ないし、政治家は自分の利益集団(=この作品でいえば、武士階級)のために政治をしている。
敬親(北大路欣也)のように下々の者の所に降りてきてくれる支配者など、まれ。
大きなもの(=明治政府)を守るために小さなものは切り捨てられる。
兵士の若者が言ったように、支配階級にいない底辺の者は、夢など持ってはいけないのだ。
小さなものが夢を持って懸命に努力しても、大きなものに簡単にたたきつぶされる。
さて、今回も<偶然>が作劇で使われた。
カラスの鳴き声→銃の発砲→戦闘開始。
前回の偶然はいただけなかったが、今回のはよかったと思いますよ。
敬親の感謝と謝罪で事が収まるかと思った瞬間、カラスの声で事態が一変する。
人生が、些細な偶然によって左右されることがよくわかる。
人生はコントロール出来ない。
事件もコントロール出来ない。
人はこれを「運命のいたずら」「天の配剤」と呼んだ。
<比喩>は相変わらずダサい。
水仙の花が血で赤く染まる(笑)
深読みすれば、水仙は、春の訪れを告げる<雪中花>とも呼ばれているから、春(=新しい時代)がやってくる前の悲劇という意味合いか?
脚本の小松江里子さんは、『天地人』で紅葉をしばしば使っていたけど、こういうの好きだよな~。
あとはオープニングで、はじめて雷鳴が登場!
これに何の意味があるのだろう?
演出の方に聞いてみたい。
しかし、まずは挫折。
奇兵隊の身分の低い者、農民・町民などの兵士が切り捨てられ、理不尽に殺されてしまった。
兵士のひとりの若者は「アメリカに行ってみたい」という夢を持っていたのに、反乱軍として捕まって、自分が殺されることを覚って「夢なんて見らんにゃよかった」
美和が望む<誰もが夢を持って生きられる国>が、早速、挫折したわけだ。
楫取も無力な自分を責める。
「あの者らの国を思う声を活かせんで、何が政(まつりごと)じゃ。何が国づくりじゃ」
でも、まあ、国や政治なんて、そういうものなんですよね。
国民全員が幸せになれる政策なんてあり得ないし、政治家は自分の利益集団(=この作品でいえば、武士階級)のために政治をしている。
敬親(北大路欣也)のように下々の者の所に降りてきてくれる支配者など、まれ。
大きなもの(=明治政府)を守るために小さなものは切り捨てられる。
兵士の若者が言ったように、支配階級にいない底辺の者は、夢など持ってはいけないのだ。
小さなものが夢を持って懸命に努力しても、大きなものに簡単にたたきつぶされる。
さて、今回も<偶然>が作劇で使われた。
カラスの鳴き声→銃の発砲→戦闘開始。
前回の偶然はいただけなかったが、今回のはよかったと思いますよ。
敬親の感謝と謝罪で事が収まるかと思った瞬間、カラスの声で事態が一変する。
人生が、些細な偶然によって左右されることがよくわかる。
人生はコントロール出来ない。
事件もコントロール出来ない。
人はこれを「運命のいたずら」「天の配剤」と呼んだ。
<比喩>は相変わらずダサい。
水仙の花が血で赤く染まる(笑)
深読みすれば、水仙は、春の訪れを告げる<雪中花>とも呼ばれているから、春(=新しい時代)がやってくる前の悲劇という意味合いか?
脚本の小松江里子さんは、『天地人』で紅葉をしばしば使っていたけど、こういうの好きだよな~。
あとはオープニングで、はじめて雷鳴が登場!
これに何の意味があるのだろう?
演出の方に聞いてみたい。
的を得た言葉で、実際そうなんですが・・・
夢を捨てたら生きていく意味を失いそうで怖い言葉でもあります。
そして夢を奪われた人々が、お上の甘い言葉・勇ましい言葉にころりとだまされ悲劇の連鎖を生み出す原動力になっていく・・・
今回の事件はまだまだ前哨戦のようなもので、これから「萩の乱」が控えています。
会津藩とは反対に戊辰戦争での「勝ち組」だった筈の薩長側も決して全面的にハッピーだったわけではありません。
松下村塾の塾生で最後まで勝ち残るのは伊藤利助と品川弥二郎くらいのものです。
楫取も群馬県令になるわけですが、結構苦難の連続のようです。特に、現在に至るまで高崎市民からは反感を持たれているようですし。
今回まではまだ「出世双六」の延長で、銀姫の代となった奥御殿で美和が潮に次ぐナンバー2にまで登り詰める場面がありましたが、それも次回の奥御殿解散でご破算になります。
次回以降から本格的に始まる明治編は結構辛い話が続く予感がします。
もっとも私は松下村塾のメンバーには殆ど感情移入していません。
ただ、「土に生きた」杉家の人々-萩の乱には同調的な人が多かったそうです-の運命は気になります。
「新しい日本をつくる」という「志」なるものが本当に具体的で説得力のある内容を示していないと、「出世双六」の娯楽性のために戻ってきた視聴者が再び離れてしまうかも知れません。
アニメのOPみたいですよねーー^^;
このOPだけは本当に好きだったのに……
いつもありがとうございます。
すみません、すこし言葉が足りなかったですね。
『下の者は、夢をかなえるのが、上の者よりハードルが高く、成功するのは、ごく一握りの人。また、上の人間に簡単に潰される』
と書いた方がよかったかもしれません。
上の者には財力も人脈もありますからね、その分だけ困難は少ない。実際、現在、活躍しているアスリートや音楽家の一部の人は、親に財力があり、幼い頃からトレーニングやレッスンが受けられたから、現在があるわけで。
昔のように、バット一本、ギター一本で、のし上がるのは難しく、もはや幻想?
すみません!
偉そうに語ってしまいました。
いつもありがとうございます。
『軍師官兵衛』でも天下が治まる前に、黒田家の領地で反乱が起こりましたが、歴史はいつの時代も同じなんですね。
産みの苦しみ、世の中が治まるには、多くの血が流れる。
一方、時代や社会が変化しても、あまり変わらないのが、「土に生きた」人々なんですよね。
土を耕し、生活をする。
人間はどうしてこうした生活が出来ないのかと考えてしまいます。
楫取が群馬県令になった時にやったことが、どう描かれるのか、は一部の歴史ファンの間で話題になっていましたね。おしゃるとおり
>高崎市民からは反感を持たれているようですし。
どうするんでしょう。
美和たちが描く新しい日本の具体像も、<誰もが夢を実現できる国>というのは抽象的で、曖昧ですよね。
現在でも、安倍首相の<女性の輝ける社会><世界の真ん中で輝く国>というのも、現実とかなりギャップがあるわけで……。
ドラマでは仕方ないかもしれませんが、現実の政治ではこういう言葉を使ってほしくないと思っています。
いつも楽しく、くうさんのブログを読ませていただいています。
最近では、くうさんのこの作品に対する毒舌に、かなり影響を受けております。
ご指摘ありがとうございます。
先週分は録画で見たので、オープニングを早送りで見てしまいました!