「隠していたことが露見した時に今川より落ち度を責められるのは小野だ。
そうなった小野を井伊は守りはせぬであろう」
直親(三浦春馬)は政次(高橋一生)にこう言い、隠し里を明らかにするかどうかを政次に委ねる。
政次としては、
「俺もいっしょに責任をとるから隠し里の件を黙っていてほしい」
「露見した時の策をいっしょに考えよう」
と直親に言ってほしかったんでしょうね。
それが<竹馬の友>の関係。
しかし、直親は<領主と家老><井伊と小野>という関係で話をし、露見した際の責任を小野に押しつけてきた。
おまけに〝竹馬の友であるお前を信じているからな〟と暗に念押し。
昔の関係を利用して、政治的な要求をしてくる。
井伊家を守る次期当主としては正しいのだろうが、政次としては寂しかったでしょうね。
だから政次は万が一のための対抗手段をとらなくてはならなかった。
隠し里の差し出しを破棄せず、いざという時の証拠として残しておいた。
そして隠し里が露見。
直親は逃げて、
「そこは、なにぶん帰参したばかりでございまして。
但馬、この里は井伊のものではないのであろう?
差し出しを渡した時も何も言うておらなかったが」
これは現代の政治家が秘書に責任を押しつけるのと同じですね。
政次はとっさの機転で難を免れたが、これでふたりの関係は完全に決裂したような気がする。
政次も差し出しを懐から出そうとしていたし。
表面にはあまり表れていないが、ふたりの間で交わされた壮絶な心のドラマ。
不信、友情、主君と家臣、おとわをめぐる想い、冷酷、怒り───
さまざまなものが入り交じって、ぶつかり合っていた。
直親は、かつての<友情>より次期当主として<井伊家を守ること><生き残ること>にシフトしたんでしょうね。子供の時の生きるか死ぬかの逃亡が彼にそうさせた。
一方、政次は、かつての<友情>を信じたかった。そのために、さまざまなことに耐えてきた。
しかし、ふたりは大人になってしまった。
<友情>などと甘いことは言ってられず、やらなければやられてしまう。
そんな中、次郎法師(柴咲コウ)が隠し里で唱えたお経が美しく印象的だった。
俗世のドロドロとした思いを浄めるお経。
この時だけ、直親と政次の心は鎮まり、穏やかな気持ちになったことだろう。
………………………
最後は仏教講座。
南渓和尚(小林薫)は次郎に語った「目に見えぬ所で何かの役に立っておるかもしれんし」
これは仏教で言う〝因縁〟〝因果応報〟ですね。
次郎の存在が、直親と政次の決定的な決裂を妨げ、政次に「南朝の皇子が隠れ住んでいた」という言い訳をさせた。
次郎がいなかったら、あの時、政次は差し出しを見せていただろう。
目には見えないが、次郎法師は直親と政次をかろうじて繋ぐ糸の役割をしている。
そうなった小野を井伊は守りはせぬであろう」
直親(三浦春馬)は政次(高橋一生)にこう言い、隠し里を明らかにするかどうかを政次に委ねる。
政次としては、
「俺もいっしょに責任をとるから隠し里の件を黙っていてほしい」
「露見した時の策をいっしょに考えよう」
と直親に言ってほしかったんでしょうね。
それが<竹馬の友>の関係。
しかし、直親は<領主と家老><井伊と小野>という関係で話をし、露見した際の責任を小野に押しつけてきた。
おまけに〝竹馬の友であるお前を信じているからな〟と暗に念押し。
昔の関係を利用して、政治的な要求をしてくる。
井伊家を守る次期当主としては正しいのだろうが、政次としては寂しかったでしょうね。
だから政次は万が一のための対抗手段をとらなくてはならなかった。
隠し里の差し出しを破棄せず、いざという時の証拠として残しておいた。
そして隠し里が露見。
直親は逃げて、
「そこは、なにぶん帰参したばかりでございまして。
但馬、この里は井伊のものではないのであろう?
差し出しを渡した時も何も言うておらなかったが」
これは現代の政治家が秘書に責任を押しつけるのと同じですね。
政次はとっさの機転で難を免れたが、これでふたりの関係は完全に決裂したような気がする。
政次も差し出しを懐から出そうとしていたし。
表面にはあまり表れていないが、ふたりの間で交わされた壮絶な心のドラマ。
不信、友情、主君と家臣、おとわをめぐる想い、冷酷、怒り───
さまざまなものが入り交じって、ぶつかり合っていた。
直親は、かつての<友情>より次期当主として<井伊家を守ること><生き残ること>にシフトしたんでしょうね。子供の時の生きるか死ぬかの逃亡が彼にそうさせた。
一方、政次は、かつての<友情>を信じたかった。そのために、さまざまなことに耐えてきた。
しかし、ふたりは大人になってしまった。
<友情>などと甘いことは言ってられず、やらなければやられてしまう。
そんな中、次郎法師(柴咲コウ)が隠し里で唱えたお経が美しく印象的だった。
俗世のドロドロとした思いを浄めるお経。
この時だけ、直親と政次の心は鎮まり、穏やかな気持ちになったことだろう。
………………………
最後は仏教講座。
南渓和尚(小林薫)は次郎に語った「目に見えぬ所で何かの役に立っておるかもしれんし」
これは仏教で言う〝因縁〟〝因果応報〟ですね。
次郎の存在が、直親と政次の決定的な決裂を妨げ、政次に「南朝の皇子が隠れ住んでいた」という言い訳をさせた。
次郎がいなかったら、あの時、政次は差し出しを見せていただろう。
目には見えないが、次郎法師は直親と政次をかろうじて繋ぐ糸の役割をしている。
>不信、友情、主君と家臣、おとわをめぐる想い、冷酷、怒り───
>さまざまなものが入り交じって、ぶつかり合っていた。
いよいよ森下脚本の本領が出てきた感じです。
>ふたりは大人になってしまった。
私は子役時代に4回もの時間を投入した真の理由は、おとわでも亀之丞でもなく、まさしく鶴丸を描き込むためではなかったかと思っています。
史実を調べる人たちは、小野政次については「悪役」のイメージを持つかもしれません(こうした書き方も一種の史実ネタバレですがお許しください)。
しかし、子役時代には「鶴丸が可哀想」という感想が方々で見られました。
おとわをめぐる三角関係をも含め、「小野の息子」である鶴丸はひたすら忍従の日々を送っていたと言えます。
しかし、父親政直の生き方を批判的に見ても来ました。
視聴者たちはもはや決して単なる悪役と見ることができないほどに政次の内面を理解してきているのです。
今こそ、子役時代から蓄積していた人物造形が火花を散らし、深みのある心情のドラマとして展開してきたと思います。
いつもありがとうございます。
直親と政次。
難しい心情表現を求められるエピソードでしたね。
直親を保身だけの<悪者>として描いてしまえば、わかりやすいのですが、それは出来ない。
政次には、これまでの積もり積もった、さまざまな思いがあるので、それを表現しなくてはならない。
ふたりとも難しい芝居だったと思います。
特に政次は、「小野の息子」という偏見であり、「父親の生き方の批判」であり、ダメになった「おとわとの婚礼」であり、すごく複雑。
政次にとっての最後の砦は<竹馬の友の友情>だったんでしょうね。
しかし、それも失われてしまった。
おっしゃるとおり、子供時代をじっくり描いてきたことが活かされて来そうですね。
前回(6話)から、見始めました。
俳優のせいで政次寄りの視聴をしていますので
直政には狡さしか感じませんでした。
幼馴染の情を利用するのも
次郎を間に挟む物言いにも
政次でなくとも嫌悪感でいっぱいになるでしょう。
史実とされていることが事実では無いとは思いますが
政次の今後を納得して見ることができます。
ついに参戦ですか!
一方、僕は『カルテッド』、挫折しました。
<自分の居場所>がテーマのフツーのドラマのように思えてしまって。
高橋一生さん、やはり上手いですね。
>直政には狡さしか感じませんでした。
と感じてしまうのは、三浦春馬さんの芝居が高橋さんに負けているから?
そんなことを思いました。
記事にも書きましたが、このふたり、非常に難しい役なんですよね。
史実を詳しく確認していないのですが、
今後は<政次がどう追い詰められていくのか><どんなふうに変わっていくのか>が見所ですね。
役者さんとしては、演技のし甲斐があると思います。
「カルテット」は、挫折されたのですか。
レビューが無いので、不思議に思っていました。
リタイアされたのは、分かる気がします。
私は、首の皮1枚で繋がったような感じで継続視聴中です。
勿論、高橋一生さん見たさですよ。
彼が、ここまで注目されるのは嬉しい反面、複雑です。
(秘かに注目する、ファンでいる、そういうのが好きです。)
三浦春馬さんだけ若いので、ちょっとチグハグなんでしょうね。
NHKのキャスティングって「役者の年齢」を無視することが多々あって戸惑います。
舞台ならともかく、映像ものは実年齢も考慮していただきたいものです。
青年期を演じた俳優が、老けメークで老年期を演じるのは構いませんけどね。
「カルテッド」は関連イラストが描かれるなど、ハマる人にはハマっているようですね。
>三浦春馬さんだけ若い
なるほどです。
ただ直親も若い(20代?)ので、おとわの言葉を拠り所にして必死に生きてきた若者のまっすぐさとしては正解なのかもしれませんね。
一方、政次は、心の中に矛盾するさまざまなものを抱えているから、あの形。
演技というのは本当に難しいですよね。
私は最近はWikiをちょっと眺める程度ですが一応A型。
また、NHK自身が井伊直虎を題材として歴史番組を放送していたので、これを見た人もA型に入ることでしょう。
BをポリシーとされているコウジさんにA型のことを話題とするのは申し訳ないのですが、最初のコメントにも書いたとおりA型視聴者は政次を「悪役」と見る先入観を持ちがちになると思います。
しかし、ネット上の声としては、むしろ政次=善玉、直親=悪玉という見方の方が優勢のようで、Twitter(私はやりませんが)を見ている家内によれば、直親は「爽やかなイケメンの悪役」なのだそうです。
B型の視点から見ればたしかにそうなのだろうな、と思いました。
おそらく、森下さんはA型視聴者の先入観を打ち砕くことを狙って、子役時代から丁寧に鶴丸=政次の人物像を描いてきたのだと思います。
その結果、A型視聴者も政次がWikiなどの「史実」叙述とは全く違った人物造形となることを理解しているわけだと思います。しかし……
>直親を保身だけの<悪者>として描いてしまえば、わかりやすいのですが、それは出来ない。
私もコウジさんがおっしゃるとおり、直親が悪玉に見えてしまうとなるとちょっと行き過ぎな感じがします。
直親にある程度の悪役感を与えるところまで森下さんの計算のうちなのかもしれませんが、やはり直親には直親なりのやむにやまれぬ内的必然性があっての「悲劇」であってほしいと思います。
ここのところは、俳優の演技力の問題と言うよりは、今回のストーリーの問題のような気がしますが。
>ネット上の声としては、むしろ政次=善玉、直親=悪玉という見方の方が優勢のようで
やはり、そうなんですか。
人物を素直に類型に当てはめれば、そうなりますし、B型の僕も見終わった時はそう思っていました。
でも一晩経って、直親って単なる悪役ではないよな~、と思い直しました。
>「爽やかなイケメンの悪役」
というのも面白いですよね。
直親を悪役と見るべきかどうか、視聴者が戸惑っている表れのような気がします。
ポイントは<直親なりのやむにやまれぬ内的必然性>ですよね。
僕は、捕まれば死んでしまう少年期の逃亡劇が直親に影響しているのではないかと思っていますが、果たしてどうなるか?
演技に関しては、おっしゃるとおりストーリーの問題もありますよね。
さわやかなイケメンキャラというのはインパクトに欠けますし、僕はまだ直親という人物をとらえきれていないので、そのことが演技力不足を感じさせてしまうのではないか、とも思っています。