「悪いのは私ですか!?
私は誰を恨めばいいのですか!?」
しの(貫地谷しほり)は誰かに怒りをぶつけたかったのだろう。
子供が出来ないことで自分を責めていたら、自身の心が崩壊してしまう。
そんなしのに対して、次郎法師(柴咲コウ)はどう対応したか?
「そこまで言うのなら、ご自害なされよ。
正室が亡くなり、誰もふさわしい者がおらぬとなれば、さすがに私の還俗も認めていただけるであろう」
次郎はわざと恨みを買った。
気持ちをぶつける対象になることで、しのを救おうとした。
結果、しのは叫んで、
「私は必ず子を産んでみせまする!
そなたを決して還俗などさせませぬ!」
これで、しのは死を選ばず、生きる決意をした。
次郎は自分が悪者になることで、しのを救ったのだ。
本当は、しのの気持ちをぶつける相手は夫の直親(三浦春馬)であるべきなんですよね。
しかし、直親は合理的で冷たく、他人の気持ちに疎い所がある。
だから、次郎は言ってしまう。
「あれはそなたの女房であろう。
なぜ、いつも左様に他人事なのじゃ?
なぜ、もっと共に悲しんでやらぬのだ? 悩んでやらぬのだ?
なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?」
最後の〝なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?〟には、ちょっとグッと来たなぁ。
次郎は、しのを「愚か」「情けない」「怖ろしい女子」と言いながら、その心の奥底にある<孤独>を理解していたのだ。
次郎には、人間の本質を見抜く力がある。
まだまだ感情的になってしまうこともあるが、心がしっかりできている。
だてに南渓和尚(小林薫)の下で何十年も修行してきたわけじゃない。
今回は主人公・次郎法師を描いた回でしたね。
しのと対比させることで、主人公を魅力的に描いた。
直親の共感力のなさを責めることで、主人公の大きな心を描いた。
…………………
最後は仏教講座。
<本来、無一物>
人間は何も持たずに生まれてきて死ぬのだから、物やお金や地位に固執する必要はない、という考え方。
作品では、次郎が鼓を売ろうとするシーンで使われた。
まあ、物やお金に固執してしまうのが人間なんですけどね。
これをクリアしてしまったら、仏様になってしまう。
仏教って宗教というより、人間の生と死を追及した思想哲学なんだよなぁ。
私は誰を恨めばいいのですか!?」
しの(貫地谷しほり)は誰かに怒りをぶつけたかったのだろう。
子供が出来ないことで自分を責めていたら、自身の心が崩壊してしまう。
そんなしのに対して、次郎法師(柴咲コウ)はどう対応したか?
「そこまで言うのなら、ご自害なされよ。
正室が亡くなり、誰もふさわしい者がおらぬとなれば、さすがに私の還俗も認めていただけるであろう」
次郎はわざと恨みを買った。
気持ちをぶつける対象になることで、しのを救おうとした。
結果、しのは叫んで、
「私は必ず子を産んでみせまする!
そなたを決して還俗などさせませぬ!」
これで、しのは死を選ばず、生きる決意をした。
次郎は自分が悪者になることで、しのを救ったのだ。
本当は、しのの気持ちをぶつける相手は夫の直親(三浦春馬)であるべきなんですよね。
しかし、直親は合理的で冷たく、他人の気持ちに疎い所がある。
だから、次郎は言ってしまう。
「あれはそなたの女房であろう。
なぜ、いつも左様に他人事なのじゃ?
なぜ、もっと共に悲しんでやらぬのだ? 悩んでやらぬのだ?
なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?」
最後の〝なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?〟には、ちょっとグッと来たなぁ。
次郎は、しのを「愚か」「情けない」「怖ろしい女子」と言いながら、その心の奥底にある<孤独>を理解していたのだ。
次郎には、人間の本質を見抜く力がある。
まだまだ感情的になってしまうこともあるが、心がしっかりできている。
だてに南渓和尚(小林薫)の下で何十年も修行してきたわけじゃない。
今回は主人公・次郎法師を描いた回でしたね。
しのと対比させることで、主人公を魅力的に描いた。
直親の共感力のなさを責めることで、主人公の大きな心を描いた。
…………………
最後は仏教講座。
<本来、無一物>
人間は何も持たずに生まれてきて死ぬのだから、物やお金や地位に固執する必要はない、という考え方。
作品では、次郎が鼓を売ろうとするシーンで使われた。
まあ、物やお金に固執してしまうのが人間なんですけどね。
これをクリアしてしまったら、仏様になってしまう。
仏教って宗教というより、人間の生と死を追及した思想哲学なんだよなぁ。
「早くもネタが尽きたか」とか「不要の回」とか厳しい見方をする人もいますが、森下びいきのA型視聴者としては、今回のエピソードにも狙いがある筈だ、ということで考えてみました。
将来的には次郎法師としのとは井伊直政の養母と生母という関係になります(このくらい先の話はしてもいいですよね)。
現時点では人物関係の布置からして当然緊張関係にある二人の軋轢を、むしろマキシマムにして爆発させてしまってガス抜きをし、将来築かれるであろう安定した、おそらくは互いに好意的な関係の土台を据えようとした、というのが私の仮説です。
ヒントとなるのは公式HPでの 貫地谷しほりさんのインタビュー。
>最後の〝なぜ、しの殿はかようにひとりなのじゃ?〟には、ちょっとグッと来たなぁ。
まさにこのシーンについて貫地谷さんも「そばで聞いてウルウルしました。こんなにわかってくれているのに、素直になれなくてごめんねって」と述べています。
演じ手(貫地谷さん)がそのように感じる思い、当然キャラ(しの)にも届いていることでしょう。
貫地谷さんのインタビューが示唆するもう一点は直親の描写。
婚礼の場面で「演技中、三浦さんの優しさがこぼれ出てしまうみたいで、監督から「もっと見ないで。ぞんざいに」と言われていました」とのこと。
つまり、制作側は明らかに直親に「冷たさ」を要求していたわけです。
やはり直親を欠点の目立つキャラとして描く意図があるようです。
今回を見る限りでは「悪役」とまでは言わぬまでも「未熟」という感じ。
その意味で三浦さんの「若さ」はハマりなのかもしれません。
松平元康・瀬名夫妻については、出世しろと夫の尻をたたく妻ということで「昭和の夫婦」と評するブログもありました。
桶狭間をきっかけに元康は独立し、徳川家康として出世してゆくことになるわけですが、今川の世界がすべての瀬名にとっては、そのような「出世」は望まぬところでしょう。
幼少時に会って以来、おそらく文通だけだと思いますが、次郎法師の盟友である瀬名にとっても桶狭間は悲劇の始まりなのでしょうね。
いつもありがとうございます。
書いていらっしゃることを読みますと、HPのインタビューは、作品を深く識るために役に立ちますね。
「そばで聞いてウルウルしました。こんなにわかってくれているのに、素直になれなくてごめんねって」
は、まさに、しのが抱いていた気持ち。
そして、おっしゃるとおり、今回の件は、次郎としのが将来、心をひとつにして歩んでいく布石ですよね。
>制作側は明らかに直親に「冷たさ」を要求していたわけです。
というのも興味深い。
三浦春馬さんは地がやさしい方なんでしょうね、どうしてもやさしさが滲み出てしまう。
今後の演技の変化が楽しみです。
松平元康・瀬名夫妻のやりとりは、毎回の見所のひとつですよね。
元康が天下人に覚醒するには、瀬名の存在が必要だった。
何だかんだで、いい夫婦になりそうです。
この夫婦の悲劇は、僕も『半蔵の門』を読んで知っているのですが、元康はどんな反応をするんでしょうね。