人は過去を清算しないと前に進めない。
今回の望月亀弥太(音尾琢真)がそうだった。
半平太への想い。土佐勤王党で過ごした熱い日々。
それを簡単に捨てられなかったのであろう。
龍馬(福山雅治)はそんな亀弥太の気持ちはわかると言ったが、幼なじみの半平太への思いはあっても土佐勤王党への思いは亀弥太ほどではなかった。むしろ否定していたし。
だから亀弥太を説得できなかった。
人の気持ちを理解することは難しい。人の行動や主体性を変えることも難しい。
死の間際、亀弥太は<後戻り>したことを後悔したようだが、後戻りすべきか海軍繰練所で未来に生きるかの葛藤はあまり描かれていない。
だから亀弥太の最期があまり胸を打たない。亀弥太自身もそれまであまり描かれて来なかったし。
今回のもうひとつのドラマは陸奥陽之助(平岡祐太)。
紀州藩の重臣の息子で脱藩して繰練所にやって来た変わり者。少し斜に構えた所がある。
そんな陸奥と龍馬の出会い。
作家としては龍馬の「ここにはいなくても良いもんは1人もおらん。船は1人で動かす事はできんがじゃ」というせりふに感銘を受けて、陸奥が龍馬に心服するというドラマを作りたかったようだが、この龍馬の言葉が陸奥の心にどれだけ響いたかは疑問である。普通、陸奥のような斜に構えたキャラクターが、この龍馬のせりふを聞いたら、「何を言ってやがる」と言いそうである。
響かない龍馬の言葉。
「後戻りしてはいかん。未来に生きろ」「いなくても良いもんはひとりもあらん」という言葉は正論なのだろうが、響いて来ないのはなぜか?
ひとつは亀弥太も陸奥も描き込みが足りず、龍馬と激しく格闘していないせい。(陸奥は初登場であるが)
それとせりふがあまりにもストレート過ぎるせい。
これだったら弥太郎(香川照之)の「幸運を貯め込んだら不幸が来る。(だからお富さんに親切にしている)」というせりふの方が響いてくる。
というわけで今回の龍馬は少しイマイチ。
正論を述べる<いい人>というのはあまり魅力的でないのだ。
最後に今回のタイトルでもある「池田屋事件」。
敢えて血なまぐさい殺戮シーンを描かなくても、という意見もあるだろうが、しっかり描いてほしかったな。階段落ちとか。
何しろ忠臣蔵で言えば松の廊下、幕末名シーンのひとつなのだから。
今回の望月亀弥太(音尾琢真)がそうだった。
半平太への想い。土佐勤王党で過ごした熱い日々。
それを簡単に捨てられなかったのであろう。
龍馬(福山雅治)はそんな亀弥太の気持ちはわかると言ったが、幼なじみの半平太への思いはあっても土佐勤王党への思いは亀弥太ほどではなかった。むしろ否定していたし。
だから亀弥太を説得できなかった。
人の気持ちを理解することは難しい。人の行動や主体性を変えることも難しい。
死の間際、亀弥太は<後戻り>したことを後悔したようだが、後戻りすべきか海軍繰練所で未来に生きるかの葛藤はあまり描かれていない。
だから亀弥太の最期があまり胸を打たない。亀弥太自身もそれまであまり描かれて来なかったし。
今回のもうひとつのドラマは陸奥陽之助(平岡祐太)。
紀州藩の重臣の息子で脱藩して繰練所にやって来た変わり者。少し斜に構えた所がある。
そんな陸奥と龍馬の出会い。
作家としては龍馬の「ここにはいなくても良いもんは1人もおらん。船は1人で動かす事はできんがじゃ」というせりふに感銘を受けて、陸奥が龍馬に心服するというドラマを作りたかったようだが、この龍馬の言葉が陸奥の心にどれだけ響いたかは疑問である。普通、陸奥のような斜に構えたキャラクターが、この龍馬のせりふを聞いたら、「何を言ってやがる」と言いそうである。
響かない龍馬の言葉。
「後戻りしてはいかん。未来に生きろ」「いなくても良いもんはひとりもあらん」という言葉は正論なのだろうが、響いて来ないのはなぜか?
ひとつは亀弥太も陸奥も描き込みが足りず、龍馬と激しく格闘していないせい。(陸奥は初登場であるが)
それとせりふがあまりにもストレート過ぎるせい。
これだったら弥太郎(香川照之)の「幸運を貯め込んだら不幸が来る。(だからお富さんに親切にしている)」というせりふの方が響いてくる。
というわけで今回の龍馬は少しイマイチ。
正論を述べる<いい人>というのはあまり魅力的でないのだ。
最後に今回のタイトルでもある「池田屋事件」。
敢えて血なまぐさい殺戮シーンを描かなくても、という意見もあるだろうが、しっかり描いてほしかったな。階段落ちとか。
何しろ忠臣蔵で言えば松の廊下、幕末名シーンのひとつなのだから。
斬り合い場面はカットし、事後の惨状と返り血を浴びた新撰組の引き上げだけという演出、私は悪くないと思いました。ただ最近、演出や映像は凝っていても、肝心のストーリーがやや強引なのが気になります。
今回の龍馬には濠を泳いで魚津城に潜入した「忍者家老」の姿が重なりました。主人公に「冷たい」というイメージを抱かせないために軽挙妄動に走らせる、というパターンです。
>「いなくても良いもんはひとりもあらん」という言葉が響いて来ないのはなぜか?
それは、陸奥や長次郎-作者はわざわざこの二人と亀弥太との諍いを描くことで彼らの言葉から説得力をそごうとしたにもかかわらず-、惣之丞の意見の方がむしろ正論だからだと思います。
このことは、その場に勝先生がいたら、と想像すれば分かります。おそらく「頭を冷やせ!坂本!」という大喝が飛んできたことでしょう。
しかし勝カードは土佐帰郷阻止で使用済みなので、今回は止める者もなく龍馬は「走って」しまう。「幸いにも」間に合わなかったからいいものの、下手な間に合い方をしていたら龍馬も斬られていたでしょう。池田屋一味に亀弥太がいたことで後に勝塾は問題となりますが、そこに勝の愛弟子龍馬まで加わっていたらどうなることか。しかも今回最後、龍馬は新撰組に斬り込まんばかりの剣幕で、HP予告によれば来週それを実行しようとして桂小五郎に止められるそうです。もはや何をかいわんやです。
「優しく友だち思い」の「熱い龍馬」を描きたいのでしょうが、旧友の悲運に無理矢理関わらせるのはいかがなものでしょうか。
前回、以蔵を逃がすために近藤勇と数合斬り結んだ位が許容限度でしょう。
しかしこれとて突っ込もうと思えば龍馬は考え無し。探索のプロに追われている以蔵の名を大声で呼びながら探し回る。あれでは龍馬が新撰組を呼び寄せて以蔵捕縛のきっかけを作ったように見えます。歴史を変えることはできないのでどうせ失敗するにしても、せめて以蔵を京から脱出させる手筈の一つも整えてから探せ、と言いたくなります。
まず、亀弥太の死は感動をさそうストーリーとして意図されていないと思います。
私はむしろ、今回は武市の存在の大きさを語る回だったのだと感じました。
亀弥太は海軍にいても武市への忠義を忘れられません。それは犬猫同然に扱われていた下士の自分たちに大義をみつけて導いてくれた人だから。そのときの高揚感を今でも忘れられないと。
さらに牢役人の和助。
役目があるから勤王党には参加できなかったが、下士でありながら行動をおこした武市を尊敬していると言っていました。
今まで龍馬サイドから武市を見ると、極端なイデオロギストで、そのくせ出世欲もあり、ダークな描かれ方もしていました。
けれど、実際は土佐では銅像まで建てられているような立派な人。
今回は武市が土佐藩においてどれだけ下士の心を動かし、尊敬されていたかを違う側面から描いていたのではないでしょうか。
亀弥太の死は、来るべき武市の死(つまりは下士の希望や、ひとつの時代の死)を盛り上げる前菜にすぎないと思います。
陸奥のことも、今後長く出てくる人ですし、今回の龍馬の一言で改心するような話ではないと思いますよ。先は長いでしょう。
(司馬さんの本では、陸奥は最後まで毒舌家だたように記憶しています)
龍馬が走り回っているのは、主人公だから当然。あと、勝先生だったら「行ってこい!責任は俺がとる!」と言っていたと私は信じています。
いつもありがとうございます。
確かに今までの龍馬の言動を考えると、池田屋に走るのは必然なんですけどね。
でも少し引いて見ると、<軽挙妄動>になりますよね。
TEPOさんのおっしゃるとおり、<友達思いの熱い龍馬>を描きたいのでしょうが、度が過ぎると<軽挙妄動>する龍馬になってしまう。
難しいバランスです。
また
>龍馬は新撰組に斬り込まんばかりの剣幕で、HP予告によれば来週それを実行しようとして桂小五郎に止められるそうです
というのは逆に楽しみですね。
極端すぎる感じもしますが見てみたい。
作劇的には新選組との対立図式を完全に作るんですね。
龍馬には今まで心から怒り、憎む敵がいなかったのにそれを設定する。
どう描かれるか楽しみです。
いつもありがとうございます。
>亀弥太の死は感動をさそうストーリーとして意図されていないと思います。
そうですね。
大河ドラマでは、大きなドラマの前フリの話があっていいわけで、毎回の完成度を求めすぎているのかもしれないですね。
あるいは龍馬と土佐勤王党の友人話が、数話にわたり長く描かれすぎているからかもしれません。
<友人のために京に走る龍馬><泣く龍馬>は以前にも以蔵の話で描かれておりまして、これが続くのもちょっと芸がない。
また、おっしゃるとおり亀弥太の視点で<虐げられた下士のために闘った武市像>を描きたかった意図もあるのでしょうね。
そうすると武市の死はどの様に描かれるか興味津々です。
<極端なイデオロギスト><容堂と土佐藩のために闘った男><下士のために闘った男>、様々な描かれ方をした武市ですが、最期に何を思うのか?
陸奥のことは龍馬の言ったことに対する明確なリアクションはなかったのですが、何か心服したような表情に見えました。
まあ、陸奥と龍馬の話はこれからですよね。
今回の話がこれからの布石としてどの様に活きてくるか楽しみです。
様々な見方、感じ方があると思いますが・・・何よりも気になるのがドラマ中盤でもまだ”感情に流される”龍馬。
優しいのは魅力の一つかも知れませんが、この先の彼の働きを考えると人間像の辻褄が合うのかと”心配”になります。
池田屋事件ももっときちんと描いて欲しかったですね。
幕末における血生臭い出来事が、演出によってどこか”綺麗”にされてしまって・・・・息吹を感じられない・・と言ったら言い過ぎでしょうか?
今後、どう描き方が変わっていくのか、それとも変わらないのか、どちらにせよ見届けようと思います。
コメントありがとうございます。
感情に流される龍馬。
第二部もそろそろ終わりだと思いますが、もしかしたら僕は<新しい龍馬>を見たいのかもしれません。
もちろん龍馬の根底にある優しさはベースにした。
その点では、今回新選組を憎しみの対象にしたことは注目ですね。
容堂にも同じ感情を抱くかもしれません。
優しい龍馬が憎しみを知ってどう変わるのか?
第三部のポイントかもしれません。