平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 第41回「覚馬の娘」~困ったら大声を出して呼べ。お父っつぁまが助けに行く

2013年10月14日 | 大河ドラマ・時代劇
 覚馬(西島秀俊)VS槇村(高嶋政宏)。
 槇村は覚馬のことを「使っているつもりだったのが使われていた」と評価し、覚馬は「槇村の手腕を敬服していた」と語る。
 そして差し違えての問題解決。
 覚馬は職を辞し槇村の顔を立て、槇村は代わりに「集会の自由」を保障する。
 いろいろ対立していましたが、実はふたりはWINWINの良い関係だったんですね。
 覚馬は槇村の豪腕がなければ、考えていたことを実現できなかったでしょうし、槇村も覚馬の助言がなければ、暴走し、どこかでつまずいていた。
 対立しながらもお互いを認め合う関係。
 政治家とはかくあるべしと思います。
 駆け引き、妥協点を探りながら己のやりたいことを実現していく。そういうしたたたかさ。
 この点、大阪の橋下市長とかはダメだな。
 自分の主張だけをして、自分に従わないものは排除し、糾弾する。
 現在、朝日新聞に拠ると、維新の会の現在の支持率は1%だそうだが、橋下さんにも覚馬のような敵対する助言者が必要だった。
 最近は安倍さんも暴走の気味ですから、つまずかないように注意して下さいよ。

 新聞(マスコミ)を武器として使ったのも覚馬の卓見。
「これが新聞の力。これが言論の力」
「(暴力が物を言っていた)戊辰の頃とは勝手が違う」
 現在、自民党が進めている「秘密保護法」はどうなんだろう?

 いずれにしても議会や言論界(マスコミ)が機能しなくなる社会はヤバいです。
 権力は放っておけば暴走するものですから。

 さて、今回は覚馬のもうひとつの物語。
 前半が<政治家>だとしたら、後半は<父親>。
 娘・みね(三根梓)の恋愛と結婚。
 普通のドラマのパターンなら父親が反対するものなのに、今回は父親が物分かりが良く、娘の方が自分の恋愛感情に従うことを拒んでいる。
 いわば今までのパターンの逆をやったわけですね。
 だからドラマとしては、みねが決心すればいいだけなので、葛藤は薄い。
 姑の佐久(風吹ジュン)が激しく反対したり、時栄(谷村美月)が絡んできたりすれば話はドロドロになるのだが、今作はそこまでツッ込んでやらないようだ。
 ただ、結婚を決心したみねに言った覚馬の言葉はいい。
「そうか。決めたのか。だったらいい。どこまでもついでいけ。何があっても離れんじゃねえぞ。んだげんじょ、どうしても困ったら、そん時は大声を出して呼べ。お父っつぁまが助けに行く」
 覚馬が願ったのは、娘の幸せ。
 それはみねの母のうら(長谷川京子)も同じであっただろう。
 そのふたりの思いがこのせりふに凝縮されていました。



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4 コメント

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<政治家>と<父親> (TEPO)
2013-10-14 11:46:05
脚本家が交替したそうですが、人物像については客観叙述のスタンスは変わっていないようです。
槇村は強引な癖のある人物でしたが、「悪人」ではなく「功績」もある人物として描いています。
覚馬との関係も複雑で、最近は「敵」としての側面が強かったものの「盟友」だった時期もありました。
おそらく今回の「差し違え」をもって京都府政界における両者の「別れ」となるのでしょうが、覚馬は二人の関係を「盟友」の側面をもって総括していたので
>対立しながらもお互いを認め合う関係。
といういい感じにまとまっていました。

ところで、後半の<父親>の部
>娘・みねの恋愛と結婚
についてはストーリー構成のミスのように見えました。
みねは「母うらのためにも山本家の跡取りとして婿をとらなければならない」という事情は、今回唐突にでてきたように思います。
もしもみねにとってこの件が重大なのであれば、伊勢時雄と親しくなる時点で、彼が長男で婿入りはできないという事情について、みね自身がもっと悩んでいなければならなかった筈です。
(私が帰国後まだ視聴していない37話にそうした伏線があったのでしょうか。)
あるいは前回みねが伊勢に靴下を贈るところを祖母・佐久が見ていましたが、二人の仲を暖かく見守っているように見えました。
しかし今回、佐久は八重と二人で「そろそろ婿取りの時期だ」と覚馬に迫っていました。
「聡明で優しい祖母」としては、黙って見ているのではなく、伊勢への思いと「婿取り」との問題についてみねの考えを聞き、相談相手になってあげる筈だと思います。

次回は八重とみねがそれぞれの夫と共に会津に帰郷し、うらと再会するようです。
ことによるとそこでもっと筋の通った収束に向かうのかもしれませんが。
返信する
悪人が出て来ない (コウジ)
2013-10-14 18:48:20
TEPOさん

いつもありがとうございます。

おっしゃるとおり、みねの「山本家の跡取りをとらなければならない」という悩みは唐突でしたね。
ふたりで脚本の書いているせいでしょうか、ご指摘のとおり前振りが抜けていました。37話にも描かれていませんでした。

次回のうらとの再会はどうなるんでしょうね?
みねが幸せに嫁いだことを喜ぶのではひねりがありませんし、作家さんは別なことをやって来るかもしれません。

あとは槇村もそうでしたが、この作品は<悪人>というのが出て来ませんね。
唯一、思い出されるのが、会津の女性を妻にもらってやってるんだと恩を着せたような商人くらい。
熊本バンドも結局いい人になってしまいましたし、みんな物分かりが良くて、佐久くらいは結婚に反対してもいい気もしました。
返信する
主人公にモヤモヤ (オランダ焼き)
2013-10-15 13:51:15
>この作品に<悪い人>が出てこないというのは本当ですね。

私は普段、科学番組などを好んで視聴するので、
ドラマを見る目は疎いのですが、
このドラマを見ていると、
雑兵の一人であっても、学生の一人であっても、
その人の人生においてはその人が主役なんだな、という
気持ちにさせてもらえます。
作者の方が、隅のほうまで照らしたいと思っているような優しい方なんでしょうね。

でも、
主人公の描き方に成功しているという
印象はもてないんですよね。
どういう人物なのか、という設定が曖昧というか...。

前夫のことにしても、
やむを得ない事情があったとはいえ、
夫の力にならず、自分の生活のほうを選んだのには
本人の意志も働いたはずなのに、
そのことについてどう思っているのかは、
本人のせりふなどを元に視聴者に察してもらうような
表現に留めているように思えます。

普段あれだけズバズバもの言わせているのにね。

それだけ前夫のことは
八重のみならず、作者の方にとってもタブーなんでしょうね。

いっそのこと、前夫を見棄てたおかげで今の成功があるのだと
自分自身への絶対的な自信でも見せてくれた方が
悪の華としての迫力が出るのではないのかと思うのですが。

この先、覚馬の後妻の不始末に関する話は出てくるんでしょうか。

どういう形で後妻を追い出した件を <八重に理がある> ように
描くんでしょうね。

アンタだって前夫を見棄てた後ろ暗い過去があるんだから、
自分を許したように、他人も許してやれよ~。
と、言いたくなるような気持ちになるのではないかと思っていますが。
返信する
桜が咲くように (コウジ)
2013-10-15 20:47:07
オランダ焼きさん

いつもありがとうございます。

>雑兵の一人であっても、学生の一人であっても、
その人の人生においてはその人が主役なんだな、という
気持ちにさせてもらえます。

まさにおっしゃるとおりですね。
登場人物ひとりひとりが丁寧に描かれている。
オープニングで傘がひとつひとつ開いて桜の開花をイメージさせるシーンがありますが、それはひとりひとりの人生の開花を意味しているのかもしれませんね。

一方、登場人物を丁寧に描くあまり、主人公に割く時間が少なくなってしまったのも事実。
明治に入ってやっと八重が主人公らしくなりましたが、それまでは登場人物の中のひとり。
尚之助とのことも新島襄と同じくらいに描き込まれていたら印象は違っていたのかもしれませんね。
いずれにしても八重は自分の心の中はあまり語らない主人公ですよね。
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