平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

古典の授業は無駄か?~こんな議論が出ること自体、新自由主義の弊害。日本社会の劣化を表わしている

2024年03月01日 | その他
 タレントのカンニング竹山さん、ラジオ番組で「なくしたい無駄な時間」について尋ねられて
「今年で53歳のおじさんだけど、未だに古典が役に立ったなと思ったことが1回もない」
 と古典の授業を否定。
 まあ、話の流れで出て来た言葉で、個人的な見解であることも語ったようだが、
 面白いテーマだと思うので掘り下げてみよう。

 まずはネットの反応。

・教養だからな
 教養が必要ない人生ならお前の役には立たないだけでこの世に無駄な知識などひとつもない
 大河ドラマだって、漫画のキングダムだって古文漢文が読める人間がいるから今そこにある。

・古典を知ってることで味わえるものって結構多い気がするけどな
 日本にあるいろんな芸術的表現に関わってるし
 生きていく上で必要ではないって意味ならまあそうかもしれんが、
 豊かにしてくれるって意味では割と上位な気がする

・古典そのものじゃなくて古典の先生の授業がつまらなかったというだけ

・授業としての古典のダメなところは文法に重きを置くところ
 源氏物語も平家物語も物語として面白いんだから。文法ばっか教えるから興味なくすんだよ

・芸人なら古典の世阿弥は必読だろ

・古典も面白いから読んでみ?で終わる話だよね

・高校の古典の先生は上品な感じで素敵な先生だったな
 古典を極めると上品な大人になれるんだなとそんな風に感じてた
 芸人も少し古典落語や古典をかじると品が良くておしゃれな芸人になれると思うけど

・欧米の学校では教養でラテン語を学習させられるけどな

・学んだものを活かす努力をしないから本当に無駄になるのだ。

・役に立つ、立たないだけの発想しか出来ない奴

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 最後のコメント。
「役に立つ、立たないだけの発想しか出来ない奴」
 そう、世の中の風潮が「役に立つ」「立たない」の『新自由主義的』になっている。
 文化やイノベーション、あるいは新しい発想は無駄な所から生まれると思うんだけどなあ。
 効率ばかりを求めていたら社会や国は奥行きがなくなり、弱くなる。

 有益性という点で敢えて言えば、『漢文』は中国や韓国での「筆談」で役立つ。
 中国語、ハングルをしゃべれなくてもコミュニケーションができる。
 これって、すごく便利ではないか?

 映画評論家の町山智浩氏はXで──
「まあ、実際は日々、古典は役に立ってるんですけどね。
 意識してないだけで。故事成語、使ってるでしょ。
 矛盾、蛇足、四面楚歌、推敲、助長、杜撰、大器晩成……みんな中国古典の言葉です」

 漢語の便利な所は「ひと目見て意味がわかる所」「短い言葉で意味を伝えられる所」。
 作家の開高健氏は「漢語を使うことで文章が引き締まる」みたいなことを言っていたが、確かに。

 こんな薄っぺらいヤツもいる。
 テレビなどによく出ている自称・社会学者の古市憲寿氏だ。
「古典の授業が無駄といった議論に反射的に反論するひとって、授業時間が有限だということを忘れがちだよね」
「そりゃ時間が無限にあれば古典でも何でもすればいいけど、それはたとえば外国語よりも有益なのか」
 逆張り古市……。
 薄っぺらい古市……。
 どうしてこんなやつがテレビに出ているんだろう?
 これだからテレビは廃れるんだよ。

 同じテレビに出ている学者でも『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝氏は深いことを言っている。

「情報の新陳代謝の速度が急速に上がってきた現代において、古典はむしろ価値を増してきている。
 百年、千年の時を超えて読み継がれてきた書物を読むことで、『ここに足場があった』と自信を持つことができる」

コメント (4)
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