Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ソヒエフ/N響

2017年11月19日 | 音楽
 トゥガン・ソヒエフがN響を振るのは今回で5度目だそうだ。わたしも何度か聴き、その都度感心した。1977年生まれなので、まだ40歳の若さだが、落ち着いた物腰なので、とてもそんな若さには見えない。大物の風貌をすでに備えている。

 今回はBプロとCプロを振るが、そのうちCプロを聴いた。曲目はプロコフィエフのオラトリオ「イワン雷帝」(スタセヴィチ編)。この曲は2006年9月にデプリースト指揮の都響で初めて聴いて、感銘を受けた。あのときもスタセヴィチの編曲版だった。中田朱美氏のプログラム・ノートによると、アトヴミャーン(ショスタコーヴィチの評伝などに出てくる名前だ)の編曲版もあるそうだが、さて、どんな編曲か。

 演奏は大変見事なものだった。堂々として重心が低く、かつヴィヴィッドな感性にも欠けず、N響の実力が発揮された演奏。N響も優秀だが、N響からそのような演奏を引き出したソヒエフもたいしたもの。

 本作は全20曲が連続して演奏されるが、たとえば第7曲「聖愚者」はプロコフィエフの諧謔味がよく出た曲で、その味がまったく危なげなく演奏された。また第20曲「終曲」では壮大な音が鳴った。ソヒエフは現在モスクワのボリショイ劇場の音楽監督兼首席指揮者を務めているが、そのオペラ演奏はかくあらんと想像された。

 独唱者の2名は、メゾ・ソプラノのスヴェトラーナ・シーロヴァが深い声を持ち、いかにもロシアといった歌唱。バリトンのアンドレイ・キマチも、出番は少ないが、しっかり歌っていた。2人ともボリショイ劇場の歌手。

 合唱は東京混声合唱団と東京少年少女合唱隊。ともに大編成だったので、(東京少年少女合唱隊のことは分からないが)東京混声合唱団は大分増員されていたと思う。だが、しっかり歌っていたので、問題を感じなかった。

 本作では語りが重要な役割を果たすが、それは歌舞伎役者の片岡愛之助が務めた。いくつかの声音を使い分け、また歌舞伎の見えを切るような台詞回しを取り入れて、熱演だったが、言葉のすべてが聞き取れたわけではなかったことも事実。それは語りの問題というよりも、台本作成上の難しさのように感じられた。

 語りの台本では、印象的な言葉をどのようなタイミングで入れるかは、想像以上に難しいと思った。全体的に言葉が多すぎると、言葉が埋もれてしまうし、また流れがよくないと、言葉が理解しづらい。
(2017.11.18.NHKホール)
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