Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

藤田嗣治、全所蔵作品展示

2015年11月26日 | 美術
 昨日は東京にも冷たい雨が降り、寒い一日となった。午後になって、仕事の都合がついたので、休暇を取った。貴重な休暇だ。見ておきたい展覧会が2つあったが、どちらに行くか思案の末、東京国立近代美術館で開催中の「藤田嗣治、全所蔵作品展示」に行った。

 本展は常設展として開催されている。同館所蔵の25点と京都国立近代美術館からの特別出品1点の計26点。その内14点が戦争画だ。藤田嗣治の戦争画と向き合う機会がついに訪れたと、微かな緊張感を抱いて出かけた。

 14点の戦争画は、今まで見たことのある作品が多かったが、初めて見る作品も数点あった。これが同館所蔵の藤田嗣治の戦争画の全貌かと――。

 あれはいつだったろう。初めて同館で藤田嗣治の戦争画のいくつかを見たとき、画面から漂う空虚な感じに驚いた。これは厭戦的な作品ではないかと思った。でも、それはまちがっていた。その後何度か見るうちに、少しずつ気付いてきた。軽薄で皮相なヒロイズムを含んだ時局に迎合的な作品であることは否めないと思った。

 先走って言ってしまうと、この画家を断罪する気はない。時局に流された多くの人々の一人にすぎないと思う。たまたま圧倒的な画力があり、しかも困ったことに、人一倍目立ちたがり屋だったので、時局に深く組み込まれた。そういう画家だと思う。

 本展のキャプションの一つに「今でいうメディアミックス」の一部だったという趣旨の記述があった。本展に展示されている当時の雑誌を見ると、それが実感される。政治、経済、軍事だけではなく、美術、音楽その他あらゆる文化を含めた‘国家総動員’に組み込まれた画家だ。

 妙に心が動かないまま歩を進めた。次の部屋に入ったら、靉光(あい・みつ)の「眼のある風景」(1938年)と「自画像」(1944年)が目に飛び込んできた。ともに何度か見たことのある作品だが、意外なほど衝撃を受けた。藤田嗣治にはなかった真摯さがある。藤田嗣治を見た後だけに、余計そう感じたのかもしれない。

 靉光(1907‐1946)は藤田嗣治(1886‐1968)とは親子ほども世代が違う。靉光は徴兵され、戦線に送られた。一方、藤田嗣治は戦争遂行の‘指導層’の一員だった。戦争にたいするリアリティの差はそこから来るのだろう。

 靉光は中国で終戦を迎えた。復員することもかなわず、1946年1月に病死した。
(2015.11.25.東京国立近代美術館)

本展のHP
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