Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高関健/東京シティ・フィル

2015年10月04日 | 音楽
 会場に着くと、ロビーコンサートが始まっていた。いつもと違って厚みのある音だ。見に行くと、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各2、コントラバス1の弦楽合奏だ。いつもは弦楽四重奏にコントラバスが加わる編成が多いので、今回の音はずいぶん違う。指揮は平川範幸。曲は「ある晴れた日に」(松原幸弘編曲)。

 席に着いて開演を待つと、場内アナウンスがあり、開演5分前に高関健のプレトークがあるとのこと。こういうやり方は珍しい。高関健が登場して、本日の演奏曲目の聴きどころを解説した。簡潔かつ的確なトークだった。

 ‘開演5分前’にこういうことができるのは、作品解釈が確固としていて、揺るぎがないからだろう。‘情念’で演奏するタイプは、自身のテンションを高めなければならないので、とてもこういう芸当はできない。

 1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番。高関健はプレトークで「私見だが、モーツァルトのピアノ協奏曲の中では第24番と第25番が頂点なのではないでしょうか」と語っていた。2曲ともオーケストラ書法が綿密で、ピアノと拮抗している。なるほど、指揮者だとそう見えるのだなと思った。

 だが、残念ながら、演奏はテンポが遅く、締まりがなかった。ピアノ独奏の伊藤恵は、モーツァルトというよりも、ロマン派の音楽のようだった。ところが、終演後、ブラボーの声が出た。その人が羨ましかった。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第10番。オーケストラは一転して引き締まり、焦点の合った演奏になった。曲に深く食い込むような演奏。意志にあふれた演奏。テンポにも、このテンポしかないという確信があった。

 第2楽章冒頭、渾身の力を込めてガッ、ガッと音を打ち込む大編成の弦が、まるで大地を揺るがすように聴こえた。この音は高関健が常任指揮者に就任した4月定期の「わが祖国」の「ターボル」と「ブラニーク」でも聴くことができた音だ。

 荒れ狂うこの第2楽章。スターリンの肖像ともいわれるが、わたしにはショスタコーヴィチの怒りの奔流のように聴こえた。ニヒルでグロテスクな音楽というよりも、抑えようのない真正な感情、つまりショスタコーヴィチの怒りの噴出。そう思ったら、激しく感動した。

 第3楽章、第4楽章と登場頻度を増すショスタコーヴィチ音型。その息詰まるようなドラマに息をのんだ。
(2015.10.3.東京オペラシティ)
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