Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

旅日記(2):ばらの騎士

2014年08月02日 | 音楽
 リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」。オットー・シェンクの演出。1972年の初演なので(初演時の指揮者はカルロス・クライバー)、もう40年以上たっている。それがまだ現役で使われている。一度観ておきたいと思った。

 幕が開くとそこは元帥夫人の寝室。‘泰西名画’のような美しさだ。近くの席からどよめきが起きた。話し声も聞こえた。日本人が何人かいたので、その人たちかもしれない。ドイツ人の老夫婦が手で制したが、効果はなかった。

 第2幕ももちろん美しかった。だが、第3幕はウィーンの場末の薄汚い曖昧宿だ。そこがこのオペラの面白いところかもしれない。第1幕と第2幕が美しいので、それで十分ということだろう。人生とはそんなもの、虚構のなかにひそむ真実がこのオペラの要諦なのだから、第3幕も美しかったら、すべて虚構で終わってしまう、ということだろうか。

 演技はこまやかだった。でも、特別なことはなにもやっていないと思ったら、幕切れでファーニナルが一人でさっさと退場してしまい、元帥夫人も退場しようとすると、オクタヴィアンが駆け寄って、跪き、元帥夫人の手に接吻した。この場面ではファーニナルが元帥夫人に腕を貸して並んで退場する演出が多いと思うのだが‥。

 もちろんこの演出は‘伝統的’なものだ。‘保守的’といってもいいし、‘古風’といってもいい。それが博物館入りせずに、現役として残っている点が興味深い。一方には‘現代的’な演出があり、真に創造的な営みがあるが、同時にこういう古風な演出も残っている。その重層性がいいと思った。

 指揮はコンスタンティン・トリンクス。わたしたちには新国立劇場でお馴染みだ。初登場は2008年の「ドン・ジョヴァンニ」だった。並の才能ではないと思った。弾みのあるしなやかなリズムを持っている。1、2、3‥と機械的に拍を刻むことがない。カルロス・クライバーのようなカリスマ性はないにしても(そんな指揮者は一時代に1人か2人だ)、その音楽性は十分魅力的だ。

 歌手では元帥夫人のソイレ・イソコスキがよかった。滑らかな旋律線を描いていた。

 ゾフィーに予定されていたモイツァ・エルトマンが降りてしまい、がっかりした。しばらく立ち直れなかった。代役はゴルダ・シュルツ。でも、演奏が進むにつれて、段々よさがわかってきた。高音が美しいチャーミングな若い歌手だった。
(2014.7.26.バイエルン州立歌劇場)
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