ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

泉州マラソンコースを歩いた11

2019年08月21日 20時59分48秒 | ウォーキング

貝塚に入って少し走り始めると
左側に「堀之町通」という
石が見えてきました。



たしか以前紀州街道を
歩いているときに
立ち寄ったりした場所ですねえ。
左に向かって少し立ち寄ってみると、



コースの一本山側に
静かな通りが続いています。



まあ普段だったらこの辺も
じっくり見ていくのですが、
今回のテーマは泉州マラソンですから、
浮気してはいけません。
元の道に戻りましょう。

こんな古い新聞屋さんや、



昔岬ランをしていたころから
ずっとそうだった目から光を放つ
狸なんかを眺めながら進んでいきます。



貝塚の駅から下りてくる道を
見ながらさらに行くと、





左側に大きな石垣のある
でかい土地が見えてきます。



ああ、これは大きいなと思っていたら、
入り口の門のようなところに
国登録の有形文化財の
案内の石が立っていましたよ。



「寺田家住宅」とありますね。

え~っと先ほどの五風荘は
寺田利吉でこの家寺田利治です。
きっと織物関係も関係していた
寺田財閥の一員なんでしょう。
血のつながりはよくわかりません。

マラソン走りながら
この三角の石垣のある家が
見えてきたらぼちぼち
23キロ地点です。

二色の浜にそそぐ川の新町橋を



わたったらここがその地点。



そしてここから水間の方に
つながる岸和田牛滝山貝塚線を
越えていきます。

実はこの辺りでdoironは
ここのマラソンを
リタイアしたことがあります。
泉州マラソンのリタイアは
この時と、あと38度の熱が
出ていた時と二回です。

その時は水間の方に上がっていく
コースを含んでいたので、ここが
30kmくらいの地点だったと思います。

昔からたまに出る頻脈発作が
起こったのです。
脈拍が一気に200を超えるほど上がります。
この発作はしばらく経つと
止むのでガードレールに座って
休憩していたのですが、
なかなかやみません。

これはもうやめた方がいいかな
と思い係員に声を掛けたら
救急車を呼んでくれはりました。

まあ心臓の事なので
それでもいいかと思い、
やってきた救急車に乗ることにしたのです。

この発作は長くても5分くらいで
終わるのですが
その時はなかなか終わりませんでした。

胸にセンサーを付けて
発作時の心電図が
初めて手に入ったわけです。

病院に着いた頃に発作は
見事に止まったのですが、
その発作時の心電図は
とても貴重なものになり、
その後カテーテル手術を
しないといけないことになったという
そんな思い出深い大会でありました。

今から思えばよくそんな体で
過激なことをやっていましたねえ。

今この辺を歩きながら、
思えばdoironマラソン人生の
大きな出来事だったわけですな。

水間の方から流れてきている
近木川をこえていくと、



そこが第4収納地点です。





23.9km地点で170分。
だいたいキロ7分12秒
くらいの制限ですね。

ああ、ここまで来て制限とは
厳しいでしょうねえ。

ここが23.9km地点なので、
すぐに24キロがくると思っていたのに
見つけることができませんでした。



あ、これかなあ。

いやそんなはずはありません。
少し戻ってみますと、
ああ沿道の草の陰に隠れていました。



草をていねいにどけて撮影です。



道に書かれてある印も、
自転車専用道の下に
半分隠れていましたねえ。

まあこの自転車道は最近
書かれているようです。

そしてさらに進んでいきましょう。

旧街道の和歌山との分岐点となる
鶴沢橋をわたり、



道を眺めていますと



そこにあったのは25km地点でした。

で、この辺で携帯を見てみようとしたら、
あれ?ありません。
け、携帯がありません。
ウヒャーこれはもしかして
落としたのか?
今回はナビも入れてないから
もしかしたら車に忘れてきたのか
とちょっとパニクってしまいましたね。

とりあえず歩くのはこれくらいにして
車に戻りましょうと、
その近くの鶴原駅から電車に乗ります。



蛸地蔵から



だんじり会館の駐車場に戻ったら、
座席の上に携帯が転がっておりました。

やれやれです。

まあ今日は暑いので歩くのも
これくらいにしといてあげましょう。

でもせっかく頑張って
持ってきたお弁当なので、



岸和田城の公園で食べて



今回の歩きはこれで終了。

次回は鶴原駅から歩行を
始めていくことになります。

続く



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