THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

KENDO(chicago)

2017-11-17 22:50:25 | CHICAGO

古武道剣術のうち江戸時代後期に発達した防具着用の竹刀稽古(撃剣)を直接の起源とする。江戸時代末期(幕末)には流派を超えて広く試合が行われるようになった。明治時代以降、大日本武徳会が試合規則を定め競技として成立した。複数の流派が集まって成立したため、柔道嘉納治五郎のような特定の創始者は存在しない。太平洋戦争後に大日本武徳会は解散し、その後発足した全日本剣道連盟が事業を継承している。

現代の剣道は事実上スポーツにも分類されるが、全日本剣道連盟は「剣道は剣道具を着用し竹刀を用いて一対一で打突しあう運動競技種目とみられますが、稽古を続けることによって心身を鍛錬し人間形成を目指す「武道」です。」としている。

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〜ウィキペディアより〜

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MADURA&BANGOR FLYING CIRCUS

2017-11-17 22:48:07 | CHICAGO

シカゴ の弟バンドとして、1971年に鳴り物入りで登場した超スーパーロックトリオ「マデュラ」
このバンドの前身とも言えるのが「バンガー フライング サーカス」
やはりトリオ編成で、なんとあのスリードッグナイト、グラスルーツ、ハミルトンジョーフランク&レイノルズなどを擁したダンヒルレコードからアルバムを発表しています。
一枚のみですが…しかもドラムはロスサロモーンではありません。
当時、シカゴ 市内ではロス自身のバンドの方が有名で、とても稼いでいたそうですよ。
ロスは自身のバンドに不満を持っていたため、ギターのアランデカルロ、キーボードのデビッドホウクウォリンスキーと新たなるバンド「マデュラ」を結成。ロスの旧友でもあった売れっ子プロデューサー、ジェームズウイリアムガルシオと合流。マデュラのライブを観たガルシオは彼らの創造する計り知れないほどの新たなる音楽に衝撃を受け、バックアップする事を約束したのでした❗️

で、バンガーフライングサーカスですが、かなり実験的要素が濃厚で火花散るアドリブプレイの応酬を交えながらも、サイケデリックなサウンドを轟かせています。もちろんテクニックは申し分無しですが、結構野暮ったくジャジーな色合いもちらつきますが、まだまだ消化不良感は否めませんね。それはロスサロモーンが加入した時点で花開く訳です。
よって、よほどのマニアでなければ、このバンドは知らないでしょう。
特筆すべき点はラストに収録されているビートルズの「ノルウェーの森」
インストにアレンジしてホウクがのびのびと軽快なハモンドプレイで主張しています。結構スリリングな味もあって印象に残りますよ^_^

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BLACK HOLE(chicago)

2017-11-17 19:53:38 | CHICAGO

"black hole"(ブラックホール)という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"(コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである。一般には、アメリカ物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない

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〜ウィキペディアより〜

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MADURA

2017-11-17 19:50:50 | CHICAGO

伝説のロックトリオと言えばクリーム、ジミヘンドリクス&エクスペリエンス、BB&A、そしてポリスにラッシュなどが思い当たりますね。
1971年に鳴り物入りで颯爽とデビューした「MADURA」は現在知名度こそ低いものの、その確かなる音楽性とテクニックは他の追随を許さぬ程高度な水準を誇っていました。
彼らの当時のキャッチコピーは「シカゴ の弟バンド」
出身がシカゴ と同じシカゴ 市、そしてシカゴ と同じプロデューサー、ジェームズウイリアムガルシオに見出され、シカゴ 同様にガルシオから1年近く一軒家を与えられて共同生活しながら何不自由無く自分達の音楽をじっくりと鍛錬、デビューアルバムもシカゴ と同じく二枚組(ポスター付き)でシカゴ と同レーベルから発売されました。
シカゴ とは編成形態は異なるものの、卓越した懐の深いジャジーでサザンロックテイストな楽曲群は新人らしからぬ貫禄も備わっていて、うるさ型のロックファンをも唸らざるを得ませんでした(2つの実験的な組曲含む)。最初で最後のシングルもカットされています。
シカゴ 市の大先輩でもあるミスターロックンロール、チャックベリー「ジョニーBグッド」がそれ。
ドンマクリーン「アメリカンパイ」のように両面収録仕様です。
来日したシカゴ のメンバーらも熱くマデュラの事をアピール。
ジェームズパンコウは「あまりにも凄すぎて、彼らとは同じステージに立ちたくない」とコメントするほど。
その後、ガルシオが監督したニューシネマのカルト的傑作「グライドインブルー」の中ではマデュラの貴重なる唯一のオフィシャルライブ映像を堪能できます。
デビューアルバムから「悪魔から逃れて」を過激なドラムソロから圧巻のパフォーマンスで見せつけてくれます。
これって完全なるヘビーメタルナンバーだよねー^_^。3人とは思えないほどの迫力。
この映画のサウンドトラックにも参加した上、なんとキーボードのデビッドホウクウォリンスキーは重要なる役で出演も果たしています!
デビューから3年後、セカンドアルバム「アメリカ賛歌」を制作。
これ、私のフェバリットアルバム!久しぶりに聴いても、いまだ新鮮な鳥肌ものの感動をいただきました!
テリーキャスもコンポーザーとして参加した「我がアメリカ」はもろに初期のサンタナ風。
ウェザーリポートカバー「ドクターオノリスコーサ」やコルトレーンのそれこそ「マイフェバリットシングス」、ノスタルジースタンダード「恋の気分で」、テンプテーションズの「パパワズアローリングストーン」をファンキーに織り交ぜたインプロビゼーションとオーケストレーション。オールディーズ「いかさまリー」などを配した中にオリジナリティ溢れる卓越したマデュラワールドを形成。
しかし私は10代の頃に聴いても単純に痺れまくっていましたが、改めて今聴くとこれほどマデュラってジャズロックしていたんだなあ!とビックリ‼️
しかもめちゃくちゃにカッコいいのですよ。
数あるロックミュージシャンの中でもマデュラほど自然にロックとジャズを最高の形で融合させるのに成功したバンドはいないのではないでしょうか?
しかし残念なことにマデュラは大きな成功を手にする事なく、この後自然消滅してしまいます。
アメリカロック界の奥深さや、ミュージックビジネスのシビアな面を見せつけられちゃいますね。
タイミングさえバッチリはまれば大ブレイクしたであろうマデュラ。
彼らはシカゴ ファミリーとしてアルバムによく参加していました。
マデュラ解散後、ドラムのロスサロモーンはガルシオが見出した大所帯バンド「ジェラード」に加入。その後はエアサプライ、アリスクーパーに参加。あのエリックカルメンのメンバーとして札幌公演も行っています。
キーボードのデビッドホウクウォリンスキーはグレンフライ、マイケルジャクソンなどの超大物ミュージシャンらと共演。なんといってもチャカカーン&ルーファスの正式なメンバーとして長年八面六臂の大活躍をした超売れっ子ミュージシャンとして名を馳せています。

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