THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

NEON(chicago)

2018-12-31 16:22:49 | CHICAGO
ネオン(英: neon [ˈniːɒn])は原子番号 10、原子量 20.180 の元素である。 名称はギリシャ語の'新しい'を意味する「νέος (neos)」に由来する。 元素記号は Ne。 単原子分子として存在し、単体は常温常圧で無色無臭の気体。
〜ウィキペディアより〜

 

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tower of power/back on the streets(CD)

2018-12-31 16:19:10 | free form space

宇宙一のファンクバンド、タワーオブパワー!
1979年リリースの10作目「バック オン ザ ストリート」
9曲入り。
ゲイリームーア初期の大傑作アルバムと同タイトル。
TOPの数あるアルバム中、あまり評価の高くないコロンビア時代。
3部作といわれる中の最終作。
まずは、たまに悪趣味なジャケットデザインがあるTOPの中でもこのアルバムジャケットは中々にカッコいい!タイトルも含めてロックしてます。
楽曲群はお約束の斬れ味鋭いリズムに乗って吹き荒れるホーンセクションに、ダンサンブルビート炸裂。
ただコロンビア上層部からダメ出しをくらったために、内容に多少の違和感やまとまり不足を感じるのです。
時代がディスコブーム全盛期だけに、職人気質のTOPの様なバンドは蚊帳の外に追いやられた辛抱の時期。
仕方なくホーンセクションのみがTOPホーンとして後輩のヒューイルイス&ザニュースなど数々のバンドでプレイしていたのです。
このアルバムで聴けるシェリルリンとのデュエットなんかはいかしてますが…。
まあ、それはともかくとしてここに揃ったメンバーたちが素晴らしい!ロッコはリハビリで叶わなかったにしてもガルバリディを筆頭にレニー、ミック、グレッグ、そして後にサンタナで大活躍のチェスタートンプソンらがエミリオとドックと共にガッチリとグルーヴを奏でてくれているだけで文句無しに嬉しいですなあ!

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cliff(chicago)

2018-12-31 13:51:23 | CHICAGO

崖とは、山や岸などの、険しく切り立った所をいう。地表の高度が急変する部分の急斜面との定義もできる。山腹の崖を日本語ではほき、そわ、そばともいうが、古語の趣がある。 垂直かそれに迫るほど切り立った崖は、古来の日本語で切岸/切り岸という。しかし現代語では断崖ということが多い。懸崖、絶崖ともいう。 ウィキペディア

masa's art chicago logo respect gallery

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ASIA〜XXX.ロマンへの回帰(CD)

2018-12-31 13:48:41 | CHICAGO

エイジア
「X X X〜ロマンへの回帰」
シカゴにも同タイトルのアルバムがあったなあ^_^。
驚異のスーパープログレバンド、エイジアの、結局はこれがオリジナルメンバーによるラストスタジオアルバムとなってしまいましたね…悲しい(;ω;)
世界中で大ヒットしたデビュー作品から30年ということで2012年に発表されたのがこのアルバム。
邦題といい、ジャケットデザインといい内容には嫌が上にも期待してしまいます。
ロックアルバムジャケットデザイン界の巨匠ロジャーディーンは大の日本好き。
干支にも精通していて、このアルバムの年が辰年だったことから、このデザインになったのだとか。
そう言えば「オメガ」のジャケットには虎が描かれていたけれど、あの年は寅年だったもんね。
さて、アルバムの曲やサウンドはさすがベテラン勢だけに、貫禄の楽曲群目白押し。ただし、往年の緊迫感溢れる場面は薄いかも。
その辺がうるさ型ファンから賛否飛び交う原因なんだけど、そんなことは最初からわかり切っていることでしょうが。
しっかりとツボを押さえた展開には唸ってしまうんだから素直に感動しましょう。
決める時にはバッチリと決めてくれてます。
それにしてもやはり故ジョンウェットンのダンディで甘いボーカルは説得力に満ちていてウットリです。
プログレギタリスト界の桂歌丸さんこと、スティーブハウもこの後、また脱退してイエスに合流してしまうけど、カールパーマー同様に個性的なテクニックは別格。
ジェフダウンズも唯一1人で長年にわたってエイジアを引っ張り続けてくれて、もはやライフワークと化していますが、なんだかんだでありかたいことです。

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engraving(chicago)

2018-12-31 13:10:13 | CHICAGO

版画(はんが)とは、印刷を行う紙以外に、彫刻や細工を施した版を作り、インクの転写・透写等によって複数枚の絵画を製作する技法、またはそれにより製作された絵画のこと。 版画はその版の仕組みから大きく4つに分類される。 凸版画、凹版画、平版画、孔版画である。

masa's art chicago logo respect gallery

〜ウィキペディアより〜

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DAVID CASSIDY/CASSIDY LIVE(LP)

2018-12-31 12:53:57 | CHICAGO

去年の11月21日にデビッド キャシディが21日に亡くなった!と知った時にはビックリしました。
享年67歳…まだまだ若いのに。
私の世代で洋楽を聴く人ならば彼の事を知らない人はいないはず。
とにかく私と年齢の近い男性外国人で女の子達から絶大なるアイドル的人気を博したのは、俳優ならばマークレスター。そしてシンガーならば断然デビッドキャシディでしたね。
デビッドはテレビドラマシリーズ「パートリッジファミリー」が日本でも大ヒットして、これで大ブレイク。なんとあのお母さん役の女優さんは一時デビッドのホントのお母さんだったのです!
その後デビッドはソロシングルなんかも次々にチャートインしていました。
当時、周囲の女友達らが、こぞってデビッドキャシディにお熱で「ムラカミ君もデビッドみたいな髪型にして!」と言われて複雑な心境でした(T ^ T)。
私は猫っ毛だし、大体にして、みてくれだって違うじゃんかあ。無責任な事、言わないでちょ。
アイドルの悲しい宿命か、その後はぷっつりと話題が激減。
私生活では離婚を繰り返し、酔っ払い運転でも数回逮捕されて、闘病中と散々なニュースばかりが伝わってきました。
まあ、それはともかくも全盛期のヒステリックな人気はまるで今のジャニーズ並みでした。
写真は絶頂期に行われた1974年ワールドツアーからイギリス公演を収録したライブアルバム。
来日もしていますね。スケジュールが飛行機便目、宿泊ホテルまで詳細に記載されていて今ならばちょいまずいかもね。
セットリストにはシカゴも取り上げている「アイムアマン」をデビッドは自らドラムソロを交えて演奏していますが、アルバムには未収録であります…!

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ウォルター パラゼイダー ファミリー

2018-12-31 11:27:13 | CHICAGO

クリスマスにウォルターファミリーの幸せそうなフォトを公開してくれました。

残念な事に健康上の理由でシカゴから正式に脱退したウォルターではありますが、

元気そうでなによりです。彼がいなければ、今のシカゴは存在しないわけですから大感謝ですね。たまにはシカゴのスペシャルゲストでプレイして欲しいなあ。

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CREATION(LP's)

2018-12-31 11:22:30 | free form space

ジャパニーズロックドラム界の重鎮、樋口晶之さんが去年の7月3日に亡くなられたときには衝撃を受けました。
札幌のライブで元気いっぱいな姿をみせていたのに。実はここ数年は病と闘っていたそうです。享年63歳。
なんといっても樋口さんの名前がクローズアップされたきっかけは本格的ジャパニーズハードロックバンドのクリエイション。
全曲を英語詞で網羅。楽曲も洋楽に決してヒケをとらないほどの完成度。ソウルフルなボーカル。流麗に絡むツインリードギター。うねるサウンドのサウスポーべース。そして今までに生では見たことがなかった豪華絢爛なセットをカッコ良くパワフルに叩きまくる樋口さんのドラミング。
話題作「クリエイション」発表直後のクリエイションを私は第一回ワールドロックフェスティバルで初めて観ました!
当時最高に注目されていたバンドのライブ。
思っていた以上に貫禄漲るテクニックに圧倒されました。
全曲が素晴らしい!バンド名も含めてね〜。
世界進出を視野に入れているのは明らか。
このイベントで同じステージに立った伝説のミュージシャン、故フェリックスパパラルディと意気投合してニューヨークレコーディングの共演アルバムを発表。
全米ツアーも話題になりました。
そして誰もが知っている極め付け傑作インスト「スピニングトウホールド」
ザ ファンクスのテーマソングね。プロレス界にまでその名が轟き渡ることに。
その後もメンバーチェンジを繰り返しながら方向性を模索する中、まさかまさかのシングル曲が大ヒット!
ベスト10に出演した時には、「こんな日が来るなんて夢にも思わなかったなあ」と私は複雑な心境でしたね。
それは初期クリエイションからのファン達も同じ気持ちだったでしょう。
アイ高野さんを迎えて行われたライブを観た事がありましたが、なんか微妙な違和感を覚えた記憶があります。
ジャパニーズヘビメタやフュージョン、AOR、ディスコなどなどが流行ったあの時代の波に飲み込まれるように、どのジャンルにも属さないクリエイション人気は失速。過去のバンド扱いになっていく様を見るのはひじょうに辛かったですね。
是非とも今一度クリエイションのベストアルバムを聴いてみてください。竹田和夫さんが試行錯誤を繰り返しながらもクリエイションを長年にわたって牽引してきた見事な足跡を確認できますよ。ブルースクリエイションで天才少年ギタリストとして華々しくデビュー。
徐々にファンを獲得してポップ路線にシフトチェンジした途端に大ブレイク!
あのジャーニーのニールショーンを思い出してしまった。ちょい強引かなあ!^_^

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エルビス プレスリー&ジェリー シェフ

2018-12-31 10:27:46 | CHICAGO

1950年代にチャック・ベリーファッツ・ドミノリトル・リチャードカール・パーキンスジェリー・リー・ルイスビル・ヘイリーらと共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大な影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半のポピュラー音楽の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。ザ・ビートルズボブ・ディランエルトン・ジョン、ボブ・シーガーなど、後に音楽業界で成功したロック・ミュージシャンが憧れたことでも知られる。

初期のプレスリーのスタイルは、黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを融合した音楽であるといわれている。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことであった。

その後全国的な人気を得たが、保守層には「ロックンロールが青少年の非行の原因だと中傷され、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWKラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。さらにフロリダの演奏では、下半身を動かすなとPTAYMCAに言われ小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。

しかし、プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビジョンレコードプレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になった。さらに、音楽だけでなくファッションや髪型などの流行も若者たちの間に芽生え、若者文化が台頭した。晩年はその活動をショーやコンサート中心に移した。1977年8月16日、自宅であるグレイスランドにて42歳の若さで死去した。音楽ライターのネルソン・ジョージは、プレスリーが生涯トム・パーカー大佐の手の中で過ごした凡庸な二番煎じのミュージシャンだったと厳しい評価を下している。

プレスリーの記録は多数あり、例えば、最も成功したソロアーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第3位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位。

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JERRY SCHEFF(FIRE DOWN BELOW!)CD

2018-12-31 10:21:03 | CHICAGO

お前はベース弾いてるんだから、たまにはベーシストの記事を書け!と言われたので早速。
でもひねくれモノの私は誰でも知ってる人ではなく、マニアックなベーシストをピックアップ^_^。
ジェリーシェフ
「ファイアーダウンビロー」
世紀のスーパースター、エルビスプレスリー晩年期のボトムサウンドを絶対的な信頼を受けて支え続けた重鎮。
もちろんあの映画にも出演しています。
1969年のオフ日、ジェリーはエルビスに尋ねたそうです。
「もうロックは歌わないのか?」「歌いたい曲がないのさ」
ジェリーは帰宅してすぐに「ファイアーダウンビロー」という曲を書き上げた。
そのままバックバンドはレコーディングに突入。
スタジオに顔を出したエルビス。でも程なくしてレコーディングはストップ。
エルビスは「必ず歌入れをするからバッキングは完成させておいてくれ!」
でも結局それは叶わなかったのです。
この2001年に発表された29分のミニアルバムはその曲を中心としたもの。
よほどジェリーにとって思い入れのある曲なのでしょうね。
エルビスが歌うイメージ前提で制作されたのであろう雰囲気が随所に漂っていてニンマリしてしまいます。
ゲストミュージシャンも豪華。
ジェームズバートン、アルバートリー他…!
そしてこのジェリーは元キーン、元シカゴのジェイソンシェフのお父さんなのです!
よってバックボーカルとしてジェイソンと彼の盟友ビルチャンプリン もこのアルバムに参加していますよ。
ジェリーはドアーズ、ボブディランなどのバックを務めた後はエルビスつながりなのか、エルビスコステロのアルバムに参加。なんと来日公演にも同行。札幌にも来てくれました。私はその事を全く知らず知人が観に行っていて後からその話を聞き羨ましい思いに駆られました。
まあいずれにしても、親子2代にわたってベース界に名を残すなんて凄いなあ。

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