THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

HARD TO SAY I'M SORRY(EP)

2014-12-30 15:43:31 | CHICAGO

シカゴ14からのシングル・カットはここ日本ではなし(海外では2曲がシングル化されましたが、チャート的にはアルバム共にまったく振るわず・・・・)。

日本では「13」からの「マスト・ハブ・ビーン・クレィジー」からパッタリとシングル情報が途絶えてしまいました。

テリーの死、シカゴ育ての親ともいえるジェームス・ウィリアム・ガルシオとの泥沼決別、レコード会社の移籍とデビュー以来順調に積み重ねてきたキャリア史上最大の低迷期に。(これは本人たちも認めるところ)

テリー以降のギタリストも安定せず(それだけ彼の存在が偉大だったという事が改めて認識されました)、プロデューサー界の大御所ともいえるフィル・ラモーン、トム・ダウド(共に故人)とのタッグも思ったほどの効果を発揮することはできず往年の輝かしき栄光を取り戻すまでにはいたりませんでした。

そこで起死回生、最後の賭けに出ます。

駆け出しで売り出し中、新進気鋭のデヴィッド・フォスターが大抜擢されます(数年前にも彼の起用案がでたそうですが「まだ若い」との理由で却下)。

彼はデビュー時代からの熱狂的シカゴ・ファンでもあり「なんとか俺の力でシカゴを復活させてみせる!」と誓ったとか。

しかし、そのあくなき完璧主義、妥協を許さないデビフォスの姿勢(これはフォスターが尊敬してやまないクィンシー・ジョーンズの指導によるもの)にはシカゴ・サイドとそうとうに軋轢があったそうです。

まずはミーティングでシカゴのメンバー達が持ち寄ったオリジナル・ソングは「まったく使い物にならない」と切り捨て、外部のライター達に曲作りを積極的に依頼。

それ以外にも一流のセッションマン達を多数スタジオに招き入れます(TOTOのメンバー等も含む)。

その結果、本家シカゴ達が隅に追いやられる事態に。

曲調もそれまでのブラスロック色が大きく後退、ピーターが「愛ある別れ」で提示してみせた当時の流行最先端ともいえるバラードAOR路線を大きくプッシュ。

パーカッションのラウジール・ディ・オリヴェイラの解雇。それに代わるようにデヴィフォス人脈から元サンズ・オブ・チャンプリンのビル・チャンプリンが新加入。

そして満を持して発表されたのが「CHICAGO16,LOVE ME TOMORROW」です。

そこからの第1弾シングルがこの「素直になれなくて」(EDIT3:51)

1982年5月発売。作者はピーター・セテラ&デヴィッド・フォスター。ボーカルはピーター。

全米1位のゴールド・ディスク、UKチャートでも4位、日本でも27位を記録と奇跡の大復活を遂げます。ここから第2の黄金期に突入。

デヴィフォスにとっても生涯忘れられないプロデュース業の1枚となりました。

今現在でもシカゴといえばこの曲が文句なしにトップを飾るほどの人気曲で、一番の有名曲。コンサートでも必ず最大の山場で披露されます。

美しいピアノの旋律からピーターの切ない歌声ではじまるバラード史上、最も上位に君臨する曲。

この成功がなければ確実にシカゴは終わっていたでしょう。

しかし往年のファン達は「なんだ?これは??まるでTOTOかジャーニー、フォリナー??みたい・・・」と戸惑い離れていったものです。たしかに私も正直に申しまして最初に聞いた時には複雑な心境でした。「こういうのはシカゴでなくてもいいのではないだろうか?」

口の悪い評論家連中は「アメリカのエア・サプライかオフ・コース」と茶したものです。

まあどうであれ良い曲は良い曲。

この曲のおかげで今のシカゴがあるのです、感謝。ちなみにシングルではフェイドアウトという尻切れトンボのような編集がなされていますがアルバムでは「GET AWAY」という曲に引き継がれていきます。この曲がアルバ中一番往年のブラスロックを轟かせていてそれまでの鬱憤を晴らすかのごとく溜飲を下げてくれます。エンディングにみられる思い切りのよさが爽快。

初期ファンが離れた以上に新しい多くのファンを獲得、アメリカでも屈指のベテラン・バンドとして大活躍しているのですからね。

面白いのはバラードしか知らない観客がライブでのシカゴの迫力あるサウンドにぶっ飛んでしまい改めて新しい魅力を知って虜になっちゃったという事実。そこから逆行して古き良き時代のシカゴを聞きまくるそうです。

 

B面は「ソニー・シンク・トゥワイス」4:00

作者はダニー・セラフィンとビル・チャンプリン。

新メンバーのビルがボーカルを担当して、それまでにはなかった筋金入りの本格派ソウルフルヴォイスを余裕と貫禄をもって披露。

長年培ってきた才能を惜しげもなく切れ味鋭い喉でこれでもかというほどに聞かせてくれます。

ビルもそれまでは実力派にもかかわらず、よほどの通にしか認識されていない存在でしたが、これをキッカケに誰しもが知るミュージシャンとなりソロにセッションと引っ張りだこの売れっ子になってゆきます(日本でも)。

 

写真の5枚シングルは、国内盤が3枚。お洒落に着飾ったメンバー達がポーズして(ピーターがスマートになってビックリ、髪型で2度ビックリ)いるフォトと「16」そのままを配置したデザインのシングルジャケット。

ファースト・プレスから、大ヒットに乗じて「全米急上昇!」の赤文字入り追加プレスジャケット、タイアップとして三菱自動車のイメージソングに起用されたとの記載入りジャケット。レーベルデザインのカラーにも変更が見られます。ロングセラーを如実に証明する3枚。

他2枚は輸入盤(アメリカ盤はジャケなし)

いずれにしてもシカゴにとっては大きなターニング・ポイントともいえる1曲。

 

 

 

 

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SPAM(100%PORK)198g U・S・A

2014-12-29 17:46:39 | CHICAGO

1971年発表のアルバムCHICAGOⅢ(全23曲入り)には3つの素晴らしい組曲が収められています。

過酷なツアーの日々をメンバー各自が思い思いに音楽で紡いで表現した「トラベル・スーツ(全6楽章)」

ラストを飾るのはスモッグによる大気汚染公害、自然破壊、地盤沈下、工業排水などによるヘドロ被害、騒音被害、交通渋滞や交通事故の多発、地球温暖化現象・・・と深刻な社会現象をテーマにジミー・パンコウが作り上げたシリアスな6楽章になる組曲「エレジー(汚物を流し込む水洗トイレいきなりの音は最高のSEでしょう!)」。

そしてテリー・キャスのペンによるブルージーな異色の隠れた傑作5楽章組曲「AN HOUR IN THE SHOWER(邦題:シャワーの時間)」も捨てがたい。

ここ日本の公演では今だに演奏されたことはありませんが、ライノから発売されたライブ「カーネギー・ホール」のボーナスCDで遂に日の目を見た時には狂喜乱舞したものです。

寝ぼけ眼で朝目覚め、シャワーを浴びてからの朝食、そして仕事に出かけ疲れ果てての帰宅、横になって夢の中へ・・・そして再び朝を迎える、というある普通の男の何の変哲も無い一日の生活の断面を切り取った作品ではありますが、アコースティック・フォーク、マーチ風、ハードロック風、メランコリック・ハーモニー、ソウルブルース、そしてもちろん極上のブラスロックがさりげなくも贅沢に配されています。

アルバムLPでいえば2枚組の2枚目のA面3~7曲目まで。CDならば13~17曲目までがこの組曲です。

で、オープニングを飾る第1楽章「A HARD RISIN’MORNING WITHOUT BREAKFAST(邦題:朝食ぬきのつらい朝)」

ここの歌詞に「SPAM」なる単語が出てきますが、これってアメリカ人ならば誰でも当たり前のように食して長年愛されている肉の缶詰なのですね(豚肉のランチョン・ミート缶詰)。

日本人でいえばフリカケや納豆(関西の人は別として・・・)みたいなものかな?

テリーがやや抑え気味のシャウトで進行する内容では「眠気覚ましのシャワー後、お楽しみの朝食スパムとしゃれ込む。延々と食べ続けられるくらいのお気に入りだけどブランドにはうるさいぞ。おお!なんてことだあ!!それが本日、どこにも見当たらない・・・。仕方ないからハヤシ肉料理で食事。ああ・・・愛しいスパムよ・・・・」という感じです。

私個人は身近にあまりスパムを感じたことが無かったし、見かけることもなかったのですがこれが大好物のテリーが曲にわざわざ名指しで入れているくらいだからそれは飛び切りの美味なんだろう、どんなものかな?一度食べてみたい!と常々思ってもいました。

色々なメーカーから発売されているようなのですが写真は「SPAM CLASSIC」と書かれているくらいだから元祖なのかあ??

噂では欧米人の味覚に合わせて調合されているために日本人の舌にはちょっと不適格!と聞いていましたが、実際はとても美味しかったですよ。

まあ、大量にこれが毎日食卓に並ぶとなるとちょっとキツイものがあるかもしれないけどね。調理の工夫次第で色々と楽しめますよ。

私は料理はあまり得意ではありませんが・・・・。

ちなみに4楽章「ドリーミン・ホーム」はマサとシンのツボにはまった美しい曲でリラックスできます。本当に夢の中にいるみたいで心地よいです。

このあたりにもビートルズからの多大なる影響が伺えますね。

 

 

 

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MICHEL POLNAREFF

2014-12-29 14:16:27 | CHICAGO

私が洋楽にどっぷりとはまるキッカケとなったミュージシャンの一人がミッシェル・ポルナレフです。

「シェリーに口づけ」を初めて聞いた時には、理屈抜きに「軽快でキャッチーなかっこいい曲」とスムーズに思いましたね。

彼は本国フランスにおいては国民的歌手として絶大なる人気を現在も誇っていますが、ここ日本でも当時「フレンチ・ポップス」の伝道師扱いで大ブレークしました。

来日公演も数多く、日本のみで発売された「ライブ・イン・トーキョー」なんていうのもありましたね。

当時のキャッチ・コピーは「ロックとロマンの出逢い」(上手い表現ですなあ)

デビュー曲の「ノンノン人形」にはじまり、「渚の思い出」「哀しみの終わる時」「愛の休日」「愛のコレクション」「火の玉ロック」「忘れじのグローリア」などヒット曲も膨大。

そのフランス独特の甘美で流麗な美しきメロディ&歌声と共に、ブロンドのカーリーヘアと大きなサングラス(白内障を隠すためとか)がトレードマークの一度見たならば忘れられない強烈で個性的なルックス。

奇行も度々、気難しい性格、潔癖症も有名で

「日本は空気は汚いから酸素ボンベを用意しろ!」とプロモーターを走り回らせたり(べスト盤に酸素ボンベを横に浴衣姿でくつろぐ彼がジャケに使用されているものがあります)、ピアノの上に飛び乗ったため会場サイドから「もう彼には当ホールのピアノ貸し出し禁止!」令が出たり、来日本番直前に「ピアノの足を切れ!とわがまま言ったり(これは当然却下)、最も有名どころではお尻丸出しポスターでコンサート告知を行い逮捕&罰金刑、しかし次には全裸の上、股間部分に帽子を置いたポスター撮影を行っています(この時にはお咎めなし)などはほんの一部のゴシップ。

こういった話題にも事欠きませんでしたが、その後もサントラ盤の製作、テレビ出演にセッションとアクティブに活動。

フランス国内における彼の人気は不動のものに。

ポルナレフのコンサートやレコーディングに参加したミュージシャンは大物がズラリです。(中にはえええ!?と遂思っちゃう人も)

デビュー時にはツェッペリンのジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ。

他にもプロコル・ハルムのキース・レイド。

自他共に認める世界最高峰のベーシスト、ジャコ・パストリアス、シカゴ以前のまだ無名に近い頃のデヴィッド・フォスター、一流セッションマンのマイク・ベアード、プログレメタルギタリストのトニー・マカパイン、「チューブラー・ベルズ」のマイク・オールドフィールド・・・。

その後、彼の長年の夢でもあったアメリカに進出するべくロスアンジェルスに活動の拠点を移します(脱税による逮捕を逃れて・・などのトラブルもあり。これマネージャーの使い込みが原因でポルナレフはその後無罪放免)

そして念願のアメリカ・レコーディング作品第1弾を1975年に発表。

それが写真のLP&CD「FAME A LA MODE(邦題:ポルナレフU.S.A)」です。

全9曲入りでそれまでのフランス語から英語に挑戦。

バック・ミュージシャンも超豪華。

リー・リトナー、アンドリュー・ゴールド、スティーブ・クロッパー、フレッド・タケット、TOTO系列ではリー・スクラー&デヴィッド・ハンゲイト、ドゥービー・ブラザースからウィリー・ウィークス、エルトン・ジョン・バンドからはナイジェル・オルソンが、他にもジム・ゴードン、ジム・ケルトナー、ジェニファー・ウォーンズ(」愛と青春の旅立ち」のシンガー)、シカゴの「愛ある別れ」のオーケストレーションでグラミー・ベスト・アレンジ賞を受賞したジミー・ハスケル、ピーター・セテラのアルバムでも力を発揮していたマイケル・オマーティアンなどなど・・・・。

この大御所たちの中でシカゴ加入前の若きドニー・ディカスがアコースティック・ギタリストとしてクレジットされています。

しかしポルナレフの全米進出は残念ながら失敗に終わります・・・。

日本における彼の人気も次第に失墜。

終いには本国では発売されている彼のアルバムも、日本では長年未発売の憂き目をみることとなります。日本国内契約レコードも切れてポルナレフの記憶は薄れてゆき過去の人扱いに。

もっともフランスでの人気は衰える事も無く、またミュージシャンの間ではポルナレフをリスペクトする人も数多く、カバーやトリビュート作品も続々と発表されています。

70年初期に青春時代を送った若者達の間ではポルナレフを今でも愛してやまない支持者が後を絶ちません。そんな中、日本ではドラマ、映画、CMなどにポルナレフの名曲群がここ10年ほどの間にひんぱんに使用される現象が起こり、今の若者達からも新たな評価を得る事となり、数年前からベスト盤、オリジナル・アルバムのCD化が話題を集めています。

当の本人は一時、活動を休止していましたが、現在はマイペースで優れた作品を提供し続けています。

彼のコンサート、観たいなあ・・・・。(札幌にも彼は2度ほど来た事があります。北海道のポルナレフ人気は全国屈指だったのですよ!ラジオのリクエスト番組には必ず上位にランクインしていました。ほどよいポップスも涙が出るほどの華麗なバラード・ナンバーも天才的才能に溢れた彼ならではのもの。)

 

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STEPHEN STILLS

2014-12-27 22:44:30 | CHICAGO

アメリカ西海岸ロック・ミュージシャンの重鎮、ステーヴン・スティルスは、1960年代は伝説のバンド、バッファロー・スプリング・フィールド、CSN&Y,そして自身のソロ・ワークと現在も多方面において活躍中のマルチ・ミュージシャンです。

彼の名前を耳にしたならば、まずはCSN&Yを一番に思い浮かべる事でしょう。

ところが結構ブラスロックに接点があったりもします。

まずはシカゴのライバルバンドと言われていたBS&Tからのボーカリスト加入依頼を断ってもいます。その結成時のリーダー、アル・クーパーとのスーパー・セッション(1968年5月)はアルバム化しています。そこでのギタリストは、エレクトリック・フラッグの故マイク・ブルームフィールド!。

スティルスはジミ・ヘンドリックスとも友人関係にあり、他にも数多くの大物ミュージシャン達との友好関係は超有名。

ウッドストックをはじめ、60年代の歴史的ロック・フェスティヴァル全てに出演している数少ない大物ミュージシャン。

CSN&Yは、シカゴとの交流も長いバンド、あのアメリカにも多大なる影響を与えています(「名前のない馬」でデビューした頃の彼らはよくCSN&Yと比較されていました)。

さて、シカゴ12&13で2代目ギタリストとして活躍していたドニー・ディカスの音楽キャリアの中で、最も華やかなりし時代が1974年から加入した第2期ステーヴン・スティルス・バンド時代でしょうね。

写真は「ステーブン・スティルス・ライブ(LP&CD)」。ジョー・ウォルシュ、ニルソン、チャック・ベリー、ロバート・ジョンソンの名曲もカバー。レコード解説でもドニーは絶賛されています。

1975年発表の「スティルス」ではドニーも曲作りに参加。スティルスからの熱き信頼を受けての大抜擢です。

それはジャケット裏フォトで2人が向き合って座りアコースティック・ギターを気持ちよさそうにプレイしている姿を見ても伝わってきますね。とても雰囲気の良いショット。

1976年発表の「イリーガル・スティルス」にはシカゴのシングル「マスト・ハブ・ビーン・クレイジー」B面にのみ収録されていた「クローサー・トウ・ユー」のオリジナル・テイクが収められています。

ちなみに「ステイルス」「イリーガル・スティルス」はシカゴと同じコロンビアに移籍しての作品。シカゴのアルバムカバーでも有名なデザイナー、ジョン・バーグがこの2作でもデザインを担当しています。

そしてドニーとは無関係ではありますが、1994年、スティルスはCS&N再結成アルバム「アフター・ザ・ストーム」を発表。

ここでは何とトリス・インボーデンが数曲ドラムを担当しています(トリスではなくトリスタンと記載)。

1996年7月17日午後7時にはシカゴとCS&Nのジョイント・ライブも開催されています。(写真中央のポスター)

それにしてもドニーよ、今いずこ・・・・?

 

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CHRISTMAS&行く年・・・

2014-12-25 20:56:12 | free form space

STAとしての2014年活動も一段落。

振り返ってみますと今年もいろいろありましたが、いくつかピックアップ。

1、名古屋の深夜ローカル・テレビ番組「アロワナ」の1コーナーに「長い夜」でインタビューも交えて出演(札幌ライブハウス810にて収録)

2、シカゴ初期の2曲が新たにレパートリーに加わりました。

組曲の最高峰「バレー・フォー・ア・ガール・イン・ブキャノン」から第2楽章の「言いたことが沢山」

ノブのシカゴ好きのキッカケともなった「ロウダウン」(日本語も交えて歌唱)

3、ススキノ・スペース・アートという新しいライブ・ハウスに今年は3回出演。同一会場に1年に3回立つのはSTA初。

4、サックスがAS,TS,BSの3管体制に。

5、今年は打ち上げも多かった。

6、体調を崩してしまったメンバーが何人かいましたが、そこはチームワークでフォローしあって事無きを得ました。

7、STA結成以来、一番平穏にかつ実験的にアクティブに過ごせた1年だったのではないでしょうか!

8、本番中にたまに起こる突発的事故に際してのしたたかな処理行動が上手くなった(笑)

9、今まで導入できなかったフルート、ピッコロ・フルート、スライド・ホィッスルが女子力で活躍。

10、過去に当時の面子では力不足でお蔵入り、もしくはそれなりの演奏でお茶を濁していた曲達がクォリティ・アップで蘇り、また新たな挑戦も来年に向けて水面下にて進行中。

11、STA結成時の基本コンセプト「シカゴ&ブラスロックの普及に心血を注ぐ!」が更に明確になった!(数年前のメンバー時にブレが出たことあり)

12、そしてSTAライブ回数101回目達成!!今後も山あり谷あり、紆余曲折で200回を目指していきますよ。

 

さて、今年最後のSTAメンバー達へのアンケートで締めです。

「今年を振り返ってみて音楽&私生活、その他ひっくるめて嬉しかった事や思い出に残った事、印象深かった事」

クニ・・・虎の穴STA加入~す

今年の夏は熱かった♪

息子の立命館ラグビーも花園惜しかったけど熱かった

マサ・・・シカゴ36の発売!!

車検代金が安かった。

シュアー・ヘッド・セット・ワイヤレス・マイクの導入(また機材ケースが多くなってしまった・・・)。

レコード盤の良さを再認識

ジュン・・・STAに入れたことです。久々に音楽の楽しさが、感じられています。完全にハマッてしまいましたー(笑)

ミユキ・・・念願の新築で初めて自分の部屋が出来、ハンモックを付けた!

 タクミ・・・音楽面では本番を体調不良に悩まされながらも降板せずにやりきったこと。

プライヴェートではiphoneに機種変更して感動しました

ミキ・・・今年からSTAにお邪魔させていただいた事で(コーラス&ちょいパーカッションのつもりでしたが)小物楽器の楽しさや、歌のレパートリー・ジャンルの幅を引き出していただいたこと。

メンバーの方や他のバンドの方など多くの人々と出会えたことが大きな思い出。

ノブ・・・自作スピーカーを完成させ、約30年前のLo-dのパワーアンプを手に入れてオーディオに力を入れたことかな~

後、やっぱり101回のライブですね。1回目から参加してよく続けられたと思います。

 ケン・・・嬉しかったこと

1、衝動買いだったツインペダル購入。

2、レコーダー購入

印象、出来事

なんであれ、テレビ出演できたこと(地元ではないが)

番外編

長年使ってたヘッドセットマイクのケーブル断線。

若い時には無かった夏風邪(声が出ない)

 

今年も一年を通して色々とお疲れ様でした。そして応援してくれた素晴らしき皆様にも大感謝!!引き続き来年もよろしくお願いいたします。

良いお年を!!ブラスロック界の益々の繁栄を祈りつつ・・・。

 

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打ち上げ&忘年会!2014

2014-12-25 02:30:59 | free form space

12月21日のライブ終了後、すぐ次の別口予約イベントが午後6時半からブッキングされているので、FUN☆FUN☆出演者と観客は速やかに会場を撤収!

あれだけの何かと面倒な団体さんにも関わらず見事な行動力には驚きです。

時間通り、迅速な後片付けにビックリ。これといった大きなトラブルもなく無事にエレベーターで1階へ。

皆の協力体勢とチームワークは凄い。

楽器が多いSTAはこのライブ会場が入っているビル横の駐車場に停めてあるクラッシュ・ビートさんの機材専用ワゴン車に一時的に収納させてもらうことに。

それにしてもライブ中は汗だらだら状態だったのが、一旦外に出た途端、凍りつくほどの極寒。

洒落にならないほどです・・・・。

我々道産子でもキツイ。しかも歩道がスケートリンク並みにツルツル。

あちこちで転んでいる歩行者続出。

それでも幹事担当のミユキの誘導に従って打ち上げ会場へ団体で列をなしてススキノで移動。

10月にも利用した「ホルモン食堂」で再び飲食でお世話になる事に。

ところが、いざ店に到着してみると「???」。

チェーン店らしくて、場所違いである事が、この時に判明!!

しかも、ここってかなり前にSTAの忘年会に利用した事があった店でもありました。

さて2階の店内に入ってみたら、なんと奥の一番大きな場所がもうすでにビッシリと埋まっているではないですか!!?

それでもギュウギュウに詰め込んでもらって、とりあえず座敷に着席。

ライブの時もかなりの人数でしたが、打ち上げ参加者も40人近いのでした。その中でもSTAは10人の出席ですから1番の参加率ではないでしょうか。

ですから、まず手始めにドリンク、そして肉の注文といっても全員に行き渡るまでに相当の時間を要してしまいました。

端から端までの距離もかなりあるし。

トイレにいくのも一苦労。

ということで店の配慮で30分ほど時間のオマケあり。

この多忙で予約がいっぱい詰まっている時期にしては、なかなかのサービスですな。

そんなわけでして全員お腹いっぱいに食べた、飲んだ、しゃべって撮影して笑って語り合いましたよ!!大満足。

写真にはクラッシュ・ビートのライブも掲載してありますのでチョッパー・クニとサンタ・ミユキの雄姿も堪能してください。

 

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JOE・COCKER 死去・・・

2014-12-25 00:45:44 | free form space

今年も残すところ、あと数日で終りを迎えようとしているところにまたまた悲しい知らせが届きました。

今月上旬のイアン・マクラガン、ボビー・キーズに引き続き今度は、あの伝説のロックシンガー、ジョー・コッカーの訃報です・・・。

彼はイギリス生まれですが、20年ほど前から妻と移住したアメリカ、コロラド州クロフォードにて長年の闘病生活の末、肺癌により死去。享年70歳。

私が青春時代に愛したロック・ミュージシャン達ですから、何十年も経過した現在、彼らの年齢を考えるに、このようなことに直面するのは致しかたないことですね。

この人の音楽人生は波乱にとんでいて、決して順風満帆とは言いがたいものではありますが、それでも多くのファンの心をつかみ、ミュージシャン仲間からもリスペクトされていた数少ない存在。

まずコッカーといえば、誰しもがウッド・ストックでのパワフルな魂の咆哮、身を捩じらせてエア・ギターにて熱唱する姿を(ギターはちゃんと弾けるそうです)思い浮かべると思います。

1964年にデビューするも不発、長い下積みを重ねた末に改めて1968年に再デビューを果たし、新人扱いにて乗り込んだのがウッドストック。

あれ一発でスーパースターの道を歩み始める事となります。その時に取り上げたビートルズの「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」は全英1位を記録(ポールがこのアレンジの曲を当時ジョー本人から初めて聞かせてもらった時には感動してうち震えたとか。それをきっかけに友情を育んでいたそうです)。

多くのカバーの中でも出色の出来と大絶賛されています。

その後も次々に話題作を発表。

そしてレオン・ラッセル、リタ・クーリッジ、故ボビー・キーズらと大所帯のバンド「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」を結成。アルバム、ツアー、ドキュメンタリー映画製作と話題を振りまいていきます。

ヒット曲も連発。

「デルタ・レディ」、トラフィックの「フィーリング・オールライト」、再びビートルズで「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ」

ただ、バンドのほうは金銭的にも成功には至らず、オーストラリアにて大麻所持が原因でコッカーは逮捕、レオン・ラセッルらが去っていきます。

しかし新境地を開拓するべくビリー・プレストンの「ユー・アー・ソー・ビューティフル」を発表したところ、これが大ヒット、復活を果たしますがこの頃から薬物やアルコール依存症に悩まされはじめます。

私は正直な話、若い頃はジョー・コッカーの名前は知っていてもあのだみ声と豪快なルックス、ステージ・パフォーマンス(独特の両腕をばたつかせる動き。知らない観客はジョーが神経の病気を患っている、と真剣に思ったそうです)が苦手でした。

1980年頃のジョー来日公演でもツアー・ローディー楽器裏方の先輩が「ジョー・コッカーの来日は喉の不調で急遽中止になったということだけど、本当は酒が原因らしい・・・」と聞かされ「あああ・・・」と益々焼きついてしまいました(事の真相は・・・?でも多くのファンが公演当日に会場前の張り紙を見て初めて中止を知り落胆したそうですよ)

再起不能か?と噂されていた矢先の1982年、映画「愛と青春の旅立ち」の中で歌われた「UP WHERE WE BELONG(ジェニファー・ウォーンズとのデュエット)が全米1位を記録。

アカデミー主題歌賞を受賞、再度の奇跡的復活を遂げます。

ジョー・コッカーや曲名は知らなくても誰しもがようく知っている名曲中の名バラードですね。

私は最初「ええ!!?あのジョー・コッカーがこんなにもお洒落な曲を・・・でも見事にはまっている!!」と愛聴しまくったものです。これ今現在では誰もが認めるスタンダード・デュエットですね。

ジョーのそれまでのワイルドで痙攣気味(失礼・・)、ドスの利いた男性シンガーというイメージが一掃されて一挙に音楽的フィールドが広まった感がありました(ジョーいわく「俺はシンガーにならなかったら殺人者になっていた」!!)。

その後もマイペースに活動を続行してはいましたが、遂に北海道の地は踏んではもらえなかったですね・・・残念。

STAでもジョー・コッカーの曲は2曲ほどレパートリーに加えさせていただいていますが,演奏してみて益々ジョー・コッカーの奥深い魅力にメンバー達は敬服、改めて再認識した次第であります。

コメディアンの故ジョン・ベルーシはジョーのモノマネが十八番。一度「サタディ・ナイト・ライブ」で「フィーリン・オールライト」を2人が競演しているところをビデオで見たことがありましたが、鳥肌が立つくらいに爆笑、かっこよかったです、2人とも。

ベルーシはコッカーが真横にいるのに、缶ビールを片手に持ってへべレケ状態を過剰表現。そのビールをジョーに勧めるんだけど、首を横に振りつつも照れて苦笑するコッカー。もうあんな神がかった共演は2度と見れないのですね。

で、今月他界したボビー・キーズ、イアン・マクラガンもジョーと共演しているわけですから(しかし同月に盟友同士の3人が)今頃、天国で素晴らしいライブを繰り広げていることでしょう。もちろん、真横にはジョン・ベルーシがモノマネで控えていたりして(笑)。

 

 

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FUN ☆FUN☆LIVE22 SPACE ART VOL,101

2014-12-22 15:26:43 | Live Set List

2014年12月21日(日)

hanamii・ナイト・フィーバー企画ライブイベント!

STA2014年の締めくくり、そして新たにライブ200回達成(!!)を目指しての第1歩ともいえるイベントです。

場所は札幌ススキノ駅前通に面した一等地ともいえる中央繁華街ビル7階「スペース・アート」

そうです!ここは去年の7月にオープン。STAは今年の春先に2カ月連続でお世話になった会場。そして三度目のライブ出演。

同一会場に1年を通して3回も立つということはSTA初。

とにかく以前のライブ・レポートにも書きましたが、広い、綺麗、機材が最高、安い、スタッフも丁寧で若い!!

何度足を運んでも快適そのもの。

1度目はSTA企画、2度目はラズベリーのヒコ企画、そして今回はミユキ嬢の友人でもあるhanamiiナイト・フィーバーのボーカリスト、みいこ嬢企画にお誘いを受けてのライブとなりました。ありがとう!!

ただ12月はどこもかしこもこのような店は忘年会やクリスマス・パーティーなどの営業も絡んでいますのでスケジュールを確保するのも至難の業。

この日も、あの元ジュディ&マリーのVO,ユキのコンサートが札幌で行われるそうで、そのファンの集いが午後6時半からスペース・アートで繰り広げられるとのことでひじょうにタイトなタイム・テーブルとなっております。

昼前に続々と主催者はじめタイバン達が会場入り。

迅速にセッティング開始。分刻みで進行していきます。皆の協力体制も徹底していて感心するほど。

マサも大量の機材群を持ち込み店長、スタッフ、主催者、タイバンの皆さんにご挨拶。

1分の時間も無駄にできませんのでトラブルなんてもってのほか。

全5バンドの出演ですが、かなりやっかいな編成が多いためにホール・スタッフも倍ハードでしょうね。

いつもはSTAが一番面倒なバンドなのですがこの日はそれを更に上回る人数やパート群のバンドが多いです。

そんな中でも皆、知人や知り合いのバンドばかりなのでお互いに助け合い、アドヴァイス、協力し合って比較的スムーズに進行。

よって掛け持ちで演奏や歌を披露する人もけっこういます。最大3つ掛け持ちのツワモノも!!

STAは8人で午後1時からのリハーサルで持ち時間は10分(タツのみリハは欠席)。とここでマサのワイヤレスが混線。目盛りを変更指示受けたのが原因でクニのワイヤレスと電波がぶつかったようで即座に周波数帯域を調整して難を逃れました。

ほんの触りほどしかチェックできないので、まずはタクミの希望で1曲のイントロ改造部分を確認してからもう1曲を通し演奏。

ケンとマサのモニター返しをもう少し大きくしてもらう以外は皆バッチリということで「それでは本番よろしく!!」クニとマサのワイヤレス・レシーバーはミキシング・ルームのスタッフにお預けです。

食事に出かける者、タイバンと和む者、じっくりと周囲の様子を伺っている者(!?)、ボーっとしている者と様々。

なんせいつものライブペースとかちょっと時差があります。

完全に全ての人達が撤収する本日の時間が通常ならば開場時間。

トップのバンドがリハーサルを終えた時間が開場時間の午後2時でした。

 

「hanamii・ナイト・フィーバー」が午後2時20分にトップでスタート。

このライブ・イベントの主催バンド。

江別を中心に活動するバンドでして、どこかで聞いたことのある名前だなあと思っていたら以前に「エイベッツ・ライブ」でSTAは同じ舞台を踏んだことがありました!

しょっぱなからド派手に決めまくってくれていますよ。まさにクリスマス・ムード満開を地で行く勢いで華麗に華やか。

ギラギラ衣装に身を包み、カラフルなアフロのカツラを装着。このようなゴージャスな様相を総勢12人が彩っているのですから見るからに煌びやか。

STAとは窮地の仲でもあるサックスのクドウ氏も加入しています。

ボーカルのミイコ嬢を中心に据えて賑やかに曲は進行。

このバンド名からもわかるようにディスコ系のナンバーを絡めてハデハデに踊りまくり。

会場の中央天井に設置されたミラー・ボールが回転してピカピカと、よりムードを盛り上げてくれます。

男性メンバーによる英語によるアナウンスからはじまってEW&F「セプテンバー」はゴヘイバンドでもお馴染み、振り付けも完璧にAKB48「恋するフォーチューン・クッキー」、クィンシー・ジョーンズの名曲「愛のコリーダ」、ビークルズもよく取り上げているボーイズ・タウン・ギャングのバージョンで「君の瞳に恋してる」、そしてビックリするくらいに高らかに吹き鳴らされたトランペットによるイントロでスタイリスティックス「愛がすべて」(舞台下に陣取ったキーボード奏者も忠実に良い仕事しています)。小樽からの合流クラッシュ・ビートからも白いスーツに着こんでパーカッション二ストが的確に効果を発揮。

最後の曲では会場全体がディスコ・ダンス・ホールと化して各自自由に踊りまくり。

フィナーレは「サタディ・ナイト・フィーバーのジョン・トラボルタ」ポーズ(コーちゃんもしっかりとなりきっていました)。ミイコ嬢は靴下に入ったプレゼントを客席に下りて配っていました8タクミもチョコレートもらっていました)

 

「めんたる豆腐モンスター」

略して「めるとも」とも言います。

フロント中央の女性ボーカルをフューチャーした5人組ロックバンド。

ボカロ・アニソンというジャンルだそうで、とても新鮮に響いてきました。

バックの男性陣の楽器は3TSジャズ・ベース、キルテッド・メイプルが鮮やかなレモン・ドロップのレスポール、もう一人のギタリストはたぶんニルヴァーナのカート・コバーンが大好きなのかなあ・・・と思わせるようなブルーのムスタング(時にはカポタストも装着)。彼はキーボードも担当。

 日本のバンド「LiSA」のカヴァーも交えてクリスマス・ソング「ジングル・ベル」をハイスピードなビートでメドレー演奏。常に動き回るメンバー達が若さ漲るステージングを見せつけてくれます。

女性VoのMCから男性メンバーにバトンタッチ。

彼がアニメや最近はまっているカップ麺の話題を盛り込むと会場からミユキが「あたしも大好き!!」。

そんなこんなとインターバル中、他のメンバー達が横でおしゃべりにふけっているのでMC遮断して「お前ら、助け舟出さんかい!バンド解散だあ!!」(もちろん冗談ですよ)

と、その間にお色直しを終えたボーカリストはミニのサンタさんになって最後をキュートに締めくくってくれました。

 

スペース・アート初体験という「SUN-G.O」

長身男性メンバーばかりのこの日最小人数4人組でオリジナルを中心に(1曲だけイエローモンキーのカバーあり)骨太のサウンドを轟かせてくれましたが音圧迫力はピカイチ。

ベースはグリーンの5弦ベース(プリアンプの足元ボードが凄い)、ギターは黒のフライングVと見栄えも強力。

ボーカリストはサングラスに皮のベストとグローブ、シャツと持参のストレート・マイク・スタンドは市松模様に統一するというこだわり。

常に前方に身を乗り出してのアグレッシブ、全力投球一丸となってのライブの中で「生まれる」というパワー・バラードが一際光っていましたね。

 

トリに満を持しての登場は「クラッシュビート」

リハーサルの時にも12人でビックリしていたのですが、本番は・・・総勢13人!!

大所帯だけあって在住地もさまざまで札幌、小樽、江別、北広島、千歳・・・・凄いでしょ。それでも週に1回は小樽中心に集合してリハーサルを行っているそうですから物凄いチームワーク。

編成は常にツイン。ボーカル、ギター、トランペット、サックス、トロンボーン(テナーバスとバス)が2人づつ。

このバンドは何度かSTAもタイバンを組んでいまして、最後に観たのは去年のゴールド・ストーンです。

単刀直入に言いまして前回よりも数段まとまっていましたね。ボーカルがツイン体勢になったこともあってか(メンバーチェンジあり)よりこなれた感あり。

そして特筆すべき点はクニがトランペット、ミユキがここではアルト・サックスで在籍しているということ。

この2人は前日にも別の場所でライブをこなしているので、2日間で3ステージという超ハード・スケジュール。ただでさえキツイのにSTAは難易度強ですからねえ、4~5ステージ分のスタミナ消耗率でしょう。

しかも、しかもですよ、クニは数日前から体調を崩してしまいライブ出演が危ぶまれていたほど深刻な状態だったのです。まあ、何とか根性で回復してくれましたが。

そのお二人さんは特別仕様のSTAでは決して見せないコスチュームで現れました。

ミユキはサンタクロース、クニはワンピースのチョッパー(最初私はトナカイだと思っていました)。ステージの左右、マイク・スタンドにもあらゆるクリスマス用の装飾が施されていて、特にステージのフロントに置かれた回転式クリスマス・ツリーは目立っていましたね。

さすがにクニ、このお姿では演奏しずらかったみたい。ミユキはサックス・ソロ、クニはボーカルまで聞かせてくれました。

ドラマーのリーダー、ヨッシーはこれでこの日は3度目のステージで最多出演。

インストウルメンタルの楽曲からスタート、ドナ・サマーの「ホット・スタッフ」、ヴィーナス「キッスは目にして(エリーゼのために・・・だよね、これは)」、そしてそのヴィーナスつながりでショッキング・ブルー「ヴィーナス(モーニング娘。の元ネタ)」、そして若干高校2年生のナツコ嬢(他のメンバー達とは20歳違い)も交えての山本リンダ「どうにも止まらない」。

衣装の肩紐をずり下げての悩殺ポーズを交えて熱唱。

ミイコ嬢も上着を客席に投げ入れセクシー・サーヴィス。

ナツコ嬢は青色星型タンバリンをキュートに叩いていきものがかりの「ジョイフル」。

と、ここでいきなりのサプライズ!ミイコ&ミユキがステージから降りてきて客席の女性をあっけにとられたまんまステージまでエスコート。

彼女は新婚ホヤホヤのドラマー、ヨシの奥様だそうで、ここで花束贈呈と、まだ新郎から新婦に言っていないという公開プロポーズと相成りました。

会場中からの拍手に包まれてファイヤー・クラッカーの嵐。

おめでとうございます!!

 

STA専門ブログの関係上、順番が逆になってしまいましたが(SORRY・・・)トリ前はそのSTAです。

ミキ・ファンのアベさんも彼女が不在の上、多忙なのにも関わらず応援に駆けつけてくれました。

相変わらず、どこのライブに出演しても浮きまくりのSTAですが、この日に限っては誰一人意識したわけではないのに管楽器奏者が多くて(しかも女性多数)ひじょうにユニークなイベントとなりました。

音楽内容的には結局STAは浮いていますがね。

STAは9人編成。シンとミキとミツは欠席。

鍵盤無し、パーカッションとコーラスが弱い分、STAのニック・レーンことビークルズの若者トロンボーン・プレイヤー、タクミが合流。

先月アメリカ帰りのコーちゃんもテナーで参加。STAライブ初のジュンと、姉御肌のミユキという3人サックス編成(コーちゃんとジュンはまだ会ってこの日で2回目なのに肩組んで意気投合の和気藹々)。

キーボードのパートもちょっと工夫を凝らしてのぞんでみました。

そういうわけでして相変わらずの変則的顔ぶれでいきますよ!!

***SET LIST***

1、INTRODUCTION・・・CHICAGO

2、QUESTIONS67&68・・・CHICAGO

3、~LOWDOWN・・・CHICAGO

4、SUNSHINE OF YOUR LOVE・・・CREAM

5、~ALIVE・AGAIN・・・CHICAGO

6、25OR6TO4(長い夜)・・・CHICAGO

 

***MEMBER***

MASA・・・B VO

KEN・・・DR CHO

NOBU・・・G

TATSU・・・TP

KUNI・・・TP CHO PER

MIYUKI・・・BS

TAKUMI・・・TB

JUN・・・AS

KOH-CHAN・・・TS

 

 

 

 

 

この日は掛け持ちが多かった事、ミユキ&クニも同様のことは前述どおり。で、STA初ライブのジュンも実は別のバンドで前日の土曜日にライブを1つこなしてきています(ミユキ&クニとは別の会場で)。ノブも同日に岩見沢サムシングにて恒例のゴヘイバンド・ライブ。

 皆、頑張っていますなあ、やっぱりバンドやライブを心の底から愛している証です。

それでなければとてもじゃあないけどこなせないでしょうね。

セッティング中にブラス隊が横1列(やや斜め気味にという風にリハ時に取り決め)に並ぶ様だけでも壮観。そんな彼らもチューニングを念入りに行っています。その暗転している空間に流れる会場BGMが「SANTA CLAUS IS COMING TO TOWN」(シカゴもカヴァーしています)に切り替った時、STAの管奏者達が次々とその曲に乗ってバッキングしたりユニゾッタりと余裕でリラックスプレイしています。たいした奴等だよ、君たちは。

メンバー欄を見てもらえればわかるとおり9人中6人、つまり3分の2がブラス隊。

こういうパターンもレアですね。

やってみて感じたのは妙にハード・ロックの響きが濃厚だなあということ。

それが顕著に現れたのがいつものカーネギー・ホール風オープニング・ナンバー「イントロダクション」

変拍子の部分なんかよくそれが実感しました。

しょっぱなのソロがいきなりタクミのトロンボーンです。

ジミーとは一味違うアドリブを織り交ぜての洒落ではなくまさにタクミの技。頑張って素早い旋律をかませてタツのトランペットに引き継ぎます。

ピアノが誘導する箇所も鍵盤無しのために、やや慎重になってぎこちなさが残りましたが強引にあわせていきます(微妙なズレはコーちゃんにバレバレでお見通しだけど)。

 ジュンはすっかりSTAのブラスロックにはまっちゃったようで、自然に溶け込んでいます。

MCのマサが改めてバンドを紹介してご挨拶。聞きなれないこのジャンルに面食らった様子の一部観客と往年のシカゴ・サウンドを懐かしんでいる観客との対比がステージ・サイドから眺めていても面白いものです。

「NEXT NUMBER! QUESTIONS67&68!!」

久しぶりにこの曲を告げると「おお!!」と歓声が。

ミユキのお気に入りでもある楽曲です。

よくできたアレンジにはいつ演奏していても、感心しきりです。バッキング中もホーン・セクションのスリリングな展開に鳥肌が今でも立ちます。

お約束の3番歌詞は日本語で。

このあたりのこだわりが伝わっているのかは疑問ですが・・・・。

エンディングの余韻が静寂になる直前にノブが切り裂くようにギター・リフで「ロウダウン」を奏でます。

ノブがシカゴに魅力を感じた最初の出会いソング。

だから彼のこの曲に対する思い入れは誰よりも強いでしょう。

そしてオリジナル・イントロでも印象に残るハモンド・オルガンの音色が今回不在なので、ぶっつけ本番でミユキがバリトン・サックスでそこをカバーしていました。ギター・ソロのバックではクニがトランペッターからタンバリン奏者にチェンジ。

ミキ嬢不在の箇所を穴埋め担当です。気が利いてるじゃんね。ミユキはスマホ撮影に一人夢中だし。

もちろんここでも英語詩と日本語詩をミックスして披露。

2度目のMCでマサが「今年の10月に他界した伝説のロック・ベーシスト、ジャック・ブルースに捧げます」と告げて「クリームの代表作サンシャイン・オブ・ユア・ラブ!」(この曲は高校時代にマサ&ケンは一緒に演奏したことがあります)

ここでも会場からは感嘆の声が沸き起こりました。

バンド名やジャックのことにあまり詳しくない人でも聞き覚えのある有名なリフをノブが弾き始めたらそれまでのアメリカンロック然としていた空気が一瞬にしてブリティッシュ色に染まりました。

STAにしては珍しいイギリスのバンド・カヴァー。

ちょっと異質なので(ブラス・ロックでもないし)ここ数年演奏していなかったのですが、機会を見計らって再演しようと思っていたところまさかこういう形で復活するとは思いませんでした。ホーン・アレンジも多少はヒネリ効果を加味してあります。

ジャック先生、ありがとう!STAは一生懸命にプレイしましたよ。この曲でホーンはいくらかのスタミナ温存に成功したようでエンディングに突入した時点でも全員がなだれ込むように一つの塊となって怒涛のフェィドアウト。

間髪入れずに勢いよくケンの4カウントで「アライブ・アゲイン」。これも久しぶり。

何度も今まで書いてきたように、ここのイントロでもマサの発案がキッカケでミユキ案とプラスする方法で何とか原曲のイメージを損なうことなく厚み倍増に成功、8割がたの成長を見せました。

リハで取り組んだおかげで大事故に発展することなく、概ね感触良好。ちなみにこの曲もミユキのお気に入り。グッと出来具合が向上しましたが、いくつかのワイルドなほころびは散見していました。次回にはもっと期待ということで宿題ね。

「さあ、早いものでもうラスト・ソングです!まだ夜というにはちょっと早いけれども極上のミッドナイト・ソングで締めくくってみたいと思います。25Or6TO4!!」

 やっぱりこの曲がはじまるとドッと前方に観客が押し寄せてきて拳を振り上げてくれます。

余力をわずかにも残さないほどに(クニとミユキはそういうわけにいかないけれど)全身全霊を込めてSTAが送り届けます「長い夜」

ステージ上でも会場中でも熱いエールが交わされます。マサは軽快にステップやスキップを交互に踏んで、タクミはトロンボーンを頭上高くに突き上げで吹き鳴らし、クニはコーラスにも合流、ミユキは「もっと、もっと手拍子!」と腕を突き上げて煽りまくる。「HEY!HEY!!」

ノブがブラス隊を掻き分けて前方にせり出してギター・ソロを繰り広げだしたところを見計らってマサもガップリと後方から絡み、跪いて観客と共に一体化。

モニターに片足乗せてベース・ネックを会場に向けて突き出しポーズ奏法。エンディングでは仰け反って腕を回した後にモニターやPAにベースを擦り付けてダメ押しのマシンガン掃射(奏者)。次々と「自分も撃って!!」と観客が駆け込んできてくれます。

 ベースのネックを思い切り振り下ろしてSTAのライブ終了。どっと沸きかえる会場に向けてマサは「STAでした!また会いましょう!!バイバイ!!!」

心地よい熱気に引きづられるようにBGM「JINGLE BELL」が流れてきました(この曲もシカゴはカバーしています)

全バンドの演奏が終了。

あっという間のイベントでしたが、速やかに後片付けを行い、店長はじめスタッフの皆さんにお礼とまたの再会を約束して会場を後にしました。

大量の楽器は会場横屋外パーキングに駐車しているクラッシュ・ビートの機材車に一時、保管していただき打ち上げ会場へ徒歩でゴー!!

しかし、底冷えに寒い・・・というよりも骨身にしみるほどのシバレです(北海道弁)

歩道もスケート・リンク状態の氷状態でテカテカ、ツルツルで危険。

SPECIAL THANKS TO・・・HITOMI&MIYUKI&YOSHI&MR,EGAWA&COCA-COLA&STUFF&MR,ABE&MR,KUDOH&HORMONE-SYOKUDOH&SAWAKEN&NATSUKO!!

 

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2014年STA締めくくり

2014-12-21 03:04:16 | Live告知

2014,12,21(SUN)

場所:SPACE ART(キャパ180名!)

住所:札幌市中央区南7条西4丁目422-35 第2北海ビル アバンティ7階

電話&FAX:011-206-0741

12月21日(日)
Fun☆Fun☆Live vol.22

出演者・お客様共に1ドリンク付1500円


【本番】(演奏30分/転換10分)
14:00~OPEN
14:20~14:50Hanamii
15:00~15:30めるとも
15:40~16:10SUN-G.O
16:20~16:50STA
17:00~17:30クラビ

[hanamii・ナイト・フィーバー]の企画イベント!!

全5バンドの出演

開場:午後1時45分

開演:午後2時00分

料金:1ドリンク付き 1500円 他にも別料金でフード&ドリンク充実しています。

1、THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY(S・T・A)・・・シカゴなどのブラス・ロックを熱く展開

2、hanamii・ナイト・フィーバー・・・ディスコ・サウンドを超豪華絢爛に披露

3、めんたる豆腐モンスター・・・ボカロ・アニソンです

4、SUN-G.O・・・オリジナル!!

5、クラッシュビート・・・ミユキ&クニ所属の大所帯オールマイティ・ジャンル



会場でメンバー一同、お待ちしております!お楽しみに。

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PICK HOLDER

2014-12-21 00:18:05 | 楽器館

JIM  DUNLOP

以前にはほとんどありえなかったのですが、最近よくピックを落としてしまいます。

指の力が衰えたのか(笑)、より複雑なピッキングが多発するようになってきたのか、動作が激しくてぶつかってしまうのか・・・。

まあ、いずれにしても喜ばしい事ではないのでこの際、ピック・ホルダーを取り付けてみました。今までもライブ時には予備のピックを数枚、革パンの両ポケットに忍ばせていたのですが(使ったことは一度もありませんが、何があるかわかりませんので念入りに)きつくて取り出しにくい。

で、このホルダーを装着しようとしたのですが、ベースのどこにあっても邪魔で必ずぶつかる。あちこち見てみたらありました!死角が。

ヘッド裏の先端中央。ここならばまず邪魔にはならないし取り出しもスムーズです。両面テープで貼り付け。

スライド式でスプリングがきいているのですばやく手にできます。

6枚まで楽に収納可能。

これだけ枚数があればもう大丈夫。

外部からも通常の演奏中は見えませんし。

現在はハードのおにぎりタイプをずっと愛用中(メーカー、材質問わず)

学生時代は長方形ユニオンジャックのピック貼り付け磁気タイプのゴムシール(市販品)をベース・ボディのトップに貼っていました。

これを使用するにはピックにも貼り付け用の滑り止め付き円形シール(薄い金属製)を貼らなければなりませんでした。今でもこいつは初代ベースに安住したままです。

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