ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

豊橋で元東急7200系に会った(その3)

2012年07月23日 08時03分06秒 | 写真

 新豊橋駅の2番線に電車が到着しました。三河田原行きとなりますが、1番線の電車が出発してから乗客を乗せます。

 このモ1808は、東急時代はデハ7260で、1972(昭和47)年、目蒲線で最初の冷房車として登場した3両編成のうちの1両です。残りの2両はデハ7452とクハ7560で、デハ7452がモ1858に、クハ7560がク2808になっています。つまり、上の写真の編成は、東急目蒲線最初の冷房車の編成なのです。

 豊橋鉄道渥美線は、全て1800系に統一されていますが、様々なヴァリエーションがあります。上の編成はスタンダードです。他に、緑、青、黄色などが走っています。オリジナルの7200系は無塗装で登場しており、東急時代の末期には正面のみ赤帯が加えられました。

 私はモ1806に乗りました。終点の三河田原に向かいます。その車内に取り付けられているプレートです。右側のほうで、この車両が東急車輛で昭和42年、西暦に直せば1967年に製造されたことがわかります(余談ですが、私は1968年生まれです)。

 左側のプレートは、初代7000系や8000系にも付けられていたものです。日本で最初にオールステンレスの車体を製造したのは東急車輛ですが、当初は日本に製造のノウハウがなく、アメリカのバッド社の技術を取り入れたのです。ただ、同社のライセンスが障害となり、オールステンレスカーの普及はアルミ車に比べて遅れました。東急車輛が独自の技術で軽量ステンレスカーを開発するまでは、東急以外では京王3000系、南海6000系くらいしかオールステンレスカーを採用した例がなく、たとえば都営三田線用の6000形や福岡市営地下鉄の1000系などは外板のみステンレスとなっています。

 また、7200系には、東急で2両だけというアルミ製車体の車両がありました。デハ7200とクハ7500で、1967年に登場しました。一時期、こどもの国線用となりましたが、1991(平成3)年に改造され、デハ7200がデヤ7290に、クハ7500が架線観測車のデヤ7290になりました。架線観測は勿論、ATC装置を備えていない車両に連結して回送運転するための牽引車としても活躍しました。1998(平成10)年には中間車としてステンレスカーのサヤ7590が製造され、デヤ7200とデヤ7290との間に連結されました。サヤ7590は軌道検測車です。

 デヤ7200とデヤ7290は、2012年2月26日、さよなら運転を行っています。私も高津駅へ行き、通過するのを見ていました。

 どこの駅であったか覚えていないのですが(高師と三河田原の間であることは確かです)、私が乗った電車がこんな形で停まりました。どう見ても本来の停止位置から少し先に止まっており、御覧のように扉の一部がホームからはみ出ています。しかし、停止位置を修正することもなく、車掌は扉を開けました。一人、この扉から客が降りていきました。

 ホームの長さが足りないのであれば、この扉だけを締め切り扱いにするはずですから、この駅のホームの長さは十分なのでしょう。ブレーキのタイミングが遅かったような感じはしていました。

 豊橋を出発し、柳生橋→小池→愛知大学前→南栄→高師→芦原→植田→向ヶ丘→大清水→老津→杉山→やぐま台→豊島→神戸、そして終点の三河田原駅に到着しました。しばらく、三河田原駅の周辺を歩きました。渡辺崋山の墓所である城宝寺は、駅から歩いて2分か3分くらいの場所にあります。

 先程、新豊橋駅の2番線に到着したモ1808の編成が三河田原駅に到着していました。

 豊橋鉄道渥美線で、久しぶりに東急7200系を見ました。東急7200系は東急の鉄道全線(世田谷線は軌道線なので除外)で運用できた車両で、実際に新玉川線(現在の田園都市線の渋谷~二子玉川)以外の全線で運用されました。伊豆急行のサイトによると、1964(昭和39)年から1967(昭和42)年まで、夏に伊豆急行に貸し出されていました(製造されてすぐに伊豆急に入り、夏が終わってから東急に入った車両もあるかもしれません。初代7000系にはそのような車両もありました)。

 1986(昭和61)年、クハ7500形の一部がVVVF車の7600系に改造されました。当初は大井町線で運用され、その後に池上線に移っており、現在も池上線と東急多摩川線で運用されていますが、一部が廃車になっており、気にかかるところです。

 7200系は、これまで、豊橋鉄道の他、上田電鉄(上田交通)別所線、十和田観光電鉄および東急車輛に譲渡されています。このうち、上田電鉄別所線では2両編成5本が活躍していましたが、3編成が廃車され、1編成が豊橋鉄道渥美線に移っています。残りの2編成のうち、デハ7200形(上田電鉄ではモハ7200形)の2両が東急車輛に移っています。また、十和田観光電鉄では東急に残っていた2両が両運転台化された上で運行されていましたが、2012年3月31日を最後に十和田観光電鉄線そのものが廃止されてしまいました。

 豊橋鉄道渥美線の3両編成10本(上記のように、上田電鉄から移ってきた車両もあります)は、まだ活躍することでしょう。近いうちに再び、豊橋へ行こうと思っています。

 (2014年8月28日、動画を追加。)


YouTube: 豊橋鉄道渥美線側面展望(三河田原→新豊橋)通常速度版


YouTube: 豊橋鉄道渥美線側面展望(三河田原→新豊橋)8倍速版


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