ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

揖斐駅 養老鉄道7700系7703F

2019年11月06日 00時00分00秒 | 旅行記

大垣駅から養老鉄道養老線の7700系7703Fに乗り、終点の揖斐駅に着きました。近鉄養老線時代には近鉄最北端の駅であったという歴史を持ちます。

 新幹線などに乗ると、木曽川、長良川および揖斐川を渡ります。木曽三川と称されるこれらの川は濃尾平野を流れ、いずれも岐阜県を通ります。そのうちの揖斐川は、知名度からすれば最も低いでしょうが、養老鉄道養老線と最も深く関係しており、終点駅の名称も揖斐となっています。

 ちなみに、東京証券市場第一部に上場しているイビデンという会社がありますが、揖斐川電気工業から名を改めた企業であり、一時期は養老線も運営していました。

 揖斐駅の駅舎です。有人駅で、揖斐川町の玄関口となっています。

 但し、中心街はこの駅の周辺ではなく、国道417号を北上して揖斐川の対岸を少し進んだ所にあります。今回は中心街へ行かず、大垣駅へ引き返しましたが、地図を見ると、国道303号と国道417号が重複する区間の近くに町役場などがあります。

 また、重複区間の東側、国道303号を進んで揖斐川郵便局の近くには、2001年9月30日まで名鉄揖斐線の本揖斐駅がありました。養老線の揖斐駅のほうが先に開業していますが、中心街に近いのは本揖斐駅であった、ということです。しかし、名鉄揖斐線は、2001年10月1日に黒野〜本揖斐が廃止され、2005年4月1日には全線が廃止されてしまいました。

 

 揖斐駅前にはロータリーが拡がっており、バス乗り場と旅行会社があります。かつては名阪近鉄バスの路線バスが運行されていましたが、現在は揖斐川町コミュニティバスが運行されています。町役場などへ行くにはバスを利用することとなります。

 駅前から西のほうを見ます。奥のほうには伊吹山地が見えます。岐阜県と滋賀県に跨がっており、揖斐川町の領域の一部がこの山地となっています。

 しかし、地理、地図は面倒なものです。揖斐駅は揖斐川町にあり、奥の山地のほとんども揖斐川町にあるのですが、揖斐駅は揖斐川町の南端に近い場所にあり、国道417号の少し奥からあの山地のほうまでは揖斐川町ではなく、隣の池田町なのです。

 揖斐川町には、行政法研究者などには馴染みのある徳山ダムがあります。そこからさらに進めば福井県で、大野市などに隣接しており(福井県の池田町にも隣接しています)、滋賀県の米原市や長浜市にも隣接しています。私は、揖斐川町のほんの入口に来たにすぎない、ということになります。

 鉄道ファンが邪な精神を持っているのかどうか知りませんが、私は養老鉄道養老線の全線踏破を目指していました。また、仕事の関係などもあり、この駅に着いてからわずか8分後の10時には大垣駅に戻らなければなりません。そこで、先程乗った7700系7703Fに再び乗ることとしました。

 それにしても、最初の訪問時に7700系に乗ることができ、運がついていました。

 東急時代は下り向きであったデハ7703です。慣例で、東急の編成を言う際には上り側の車両を基準にするため、7700系であれば7901F、7903Fのように表現しました。養老鉄道ではどのように表現するのかわかりませんが、前回および今回は大垣駅方向を基準としました。

 この写真からでも、揖斐駅の構内は広いことがおわかりになるかと思います。今では乗り場が一つしかありませんが、かつては乗り場も複数あり、側線などもあったのでしょう。養老線では貨物運送も行われていましたので、往時は賑やかであったことでしょう。

 そのようなことを思いながらこの電車に乗ったら、大きく予想を外してしまいました。

 たまたまそうであったのか、それとも土曜日の10時00分発大垣行きがそうであるのかはわかりません。大垣か岐阜か名古屋で大きなイベントでもあったのか、実質的な3連休であったからか、それもわかりません。

 この列車のお客が多かったのです。若い乗客がたくさんいたことにも驚きました。女性の比率が高いことは近江鉄道などのローカル線と同じですが、20代と思しき男性も少なくありません。高齢者も多かったのですが、ローカル線で若年世代がこれだけ多かったのは、少なくとも私の経験において初めてのことです。

 ローカル線で3両編成、しかもロングシート車中心では輸送力過多ではないか、などとも考えていたのですが、いざ乗ってみたら、デハ7703の座席は発車時刻までに埋まっており、かなり賑やかでした。残りの2両についても着席率は高めで、50%を超えています。首都圏でも土曜日の10時台では3両編成でも着席率が低い列車があるでしょう。

 揖斐駅10時発、大垣駅10時25分着の電車は、閑散路線とは思えない状況でした。近鉄時代がどうであったかわかりませんが、途中駅からの乗客も増え、3両とも座席は埋まり、立っている客も増えてきました。何処とは記しませんが大都市のリニア地下鉄(都営地下鉄大江戸線ではありません)よりも乗客は多いでしょう。車両が元東急7700系であるだけに、単線の池上線・東急多摩川線であるかのようでした(両線であればもっと乗客は多いでしょうが)。

 大垣駅に着き、私は桑名行きに乗り換えました。しかし、時間帯のためなのかどうか、2両編成の桑名行きは先程の列車ほどの着席率には至っていません。自転車とともに乗り込んだ客もいました。

 乗ってみて感じたことですが、同じ路線であるとはいえ、桑名〜大垣と大垣〜揖斐とでは、全くと表現してよいほどに性格が違います。桑名〜大垣を養老線とするならば、大垣〜揖斐は通称の揖斐線と表現するほうがよいでしょう。同一路線ではなく、正式に別の路線とするほうが合理的であるように思います。

コメント
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