ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

おしらせです(2017年10月2日)

2017年10月02日 12時35分35秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 ぎょうせいから、雑誌「地方財務」の10月号(2017年10月号。通巻760号)が刊行されました。

 この中に、私の「高槻市里道占有損害賠償請求住民訴訟(財政法判例研究第9回)」が掲載されています(227~242頁)。お読みいただければ幸いです。

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世田谷線の招き猫(3)

2017年10月02日 00時00分00秒 | 写真

前回は下高井戸側のAの車両に施されたラッピングを紹介しました。今回はBの車両です。

  今年は、世田谷線の前身である玉川電気鉄道の開業110周年です。玉川電気鉄道を略せば玉電で、東急の路線となってからもこの略称は長らく使用されてきました。

 玉電110周年と言えば、もう一種類、ラッピングがあります。8月2日23時32分49秒付で掲載した「玉電開業110周年記念ラッピング」を御覧ください。

 その記事でも記しましたが、玉電は、玉川線〔渋谷⇔二子玉川園(現在の二子玉川)〕、砧線(二子玉川園⇔砧本村)、そしてこの世田谷線の総称です。玉川線と砧線は1969年に廃止されましたが、世田谷線は残りました。一時は廃止や地下化も検討されたようですが、いずれも実施されなかったのがよかった、というところでしょう。

 最初に開業したのは渋谷(厳密に言えば道玄坂上)〜三軒茶屋で、1907(明治40)年のことです。同年中に三軒茶屋〜玉川(現在の二子玉川)、渋谷〜道玄坂上が開業しました。目的の一つは砂利輸送です(東京周辺ではよくみられる例で、他にJR南武線、西武多摩川線などがあります)。その後、玉川電気鉄道は天現寺線(渋谷〜天現寺)、砧線、世田谷線、中目黒線(渋谷橋〜中目黒)、そして溝ノ口線(玉川〜溝ノ口)を開業させます。

 また、玉川電気鉄道は、沿線の開発にも力を入れます。現在の桜新町や深沢、南武線の津田山駅周辺が代表例です。

 1938(昭和13)年、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併されます。その東京横浜電鉄も1939(昭和14)年に目黒蒲田電鉄に合併されましたが、商号は東京横浜電鉄になります。そして1942年に、東京横浜電鉄は小田急電鉄、京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)および京王電気軌道(現在の京王電鉄)を合併し、東京急行電鉄となります。この間に、天現寺線および中目黒線の経営が東京都に委託されており(1948年に譲渡されます)、1948年には溝ノ口線が改軌の上で大井町線に編入されます。

 世田谷線が残されたのは、道路の上を走っていないこと、三軒茶屋〜上町を除けば、並行するバス路線がなかったことなど、いくつかの条件が重なったことによるものでしょう。それにしても、この三軒茶屋〜下高井戸の、純粋な民営の大手私鉄としては最大の企業である東京急行電鉄の路線と思えないような、のどかで、世田谷区の街並みにピッタリと合う路線が残されたのは、世田谷区にとってもよかったことではないでしょうか。

 (営業距離からすれば近鉄が最大ですが、資本金の規模などからすれば東急が最大となります。)

 このラッピングは期間限定であるはずです。運がよければ営業運転の姿を見ることができますし、そうでなくとも上町の車庫で見ることができるでしょう(三軒茶屋方面乗り場から見ることができるはずです)。

 

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