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西行全歌集ノート(29)




山ざくら枝きる風のなごりなく花をさながらわがものにする

西行 山家集 上 春

※ 「風のなごりなし」は風の影響がない。この歌を読むと、花を自分のものとする。独占する、所有するという契機が現れている。心が花に取り憑いて、花と心が一体化するというミメーシス的な行為と、「わがものにする」という所有は、非常に近いものだということが窺われる。対象に強調点があると模倣(ミメーシス)になり、自己に強調点があると、所有になる。

尖閣諸島や竹島が、どっちの国家が所有するか、揉めているが、そもそも、その所有自体に原理的な根拠はない。西行の歌は、所有の根拠が感情的なものであり、所有感情が生じるのは、対象との間に距離が生じている場合だということを示している。尖閣諸島や竹島の所有権をだれが声高に言っているのか、見てみればいい。

(利害関係だけから所有を説明することにどうも抵抗があるのは、人間の矜持や生の感情を捨象して利害打算だけで動くように前提するからだ。利害の裏に感情があり、感情の裏に利害が潜む。感情は、自己欺瞞の温床であり、矜持の根拠でもある)



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西行全歌集ノート(28)




春風の花を散すと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり

西行 山家集 上 春

※ これは有名な歌で、教科書やなにかにも、よく出てくる。始めて読んだときには、「胸のさわぐなりけり」という措辞が、非常になまなましく感じられた。坊さんの詠む歌じゃない。今、改めて読むと、「ほんとかいな」という気分もある。そこまで、花にのめり込む気持ちが、よくわからないからである。ほかに何もなく、山櫻だけがある。その櫻が散り始める。胸がさわぐという。花の精と交合していたとしか思えない。実は、この歌は詞書がある。「夢中落花と云事を、清和院の斎院にて人々よみけるに」つまり、題を出されて、その場で即興で詠んだということになる。ここまで、花の精と一体化している西行。畏れと嫉妬を覚える。


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一日一句(982)







ちる花や心の行方さだまらず






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