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往還日誌(211)






■9月17日、火曜日、中秋の名月。

俳人のみなさんと14年ぶりの再会、というのは、いろいろなことを考えさせる。

この間、2011年の3.11があり、2008年から2014年に渡る介護があり、2019年12月から2023年5月のコロナ禍があった。

そして、この間、経済との戦いがあり、家族と2度に渡る別居があり、考えてみると――私だけということでもないが――逆境に次ぐ逆境だった。

14年前の私を、ある意味、私以上に知っている人たちとの再会なのである。

俳人のFさんは、私を見るなり、「いい歳の取り方をしている」と言ってくださった。

これは、とても嬉しかった。

この14年間の戦いの成果は、名利でも金でもなく、この言葉に、つまり、存在のあり方に、完全に、集約されている。

終日、仕事。

夜、えのきと卵のスープ、アラビアータを作る。

食事後、御所へ月を観に行く。

21時には、月は、南東に出ていた。

月を観ている人は、私以外に、確認できただけで、男性が一人だけだった。

その人はすぐに立ち去った。

その横を、運動部らしい若い人が3、4人、ジョギングで通った。



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一日一句(5363)






月ひとつ李白西行芭蕉かな






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一日一句(5362)







いにしへのひとを心に月見かな






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往還日誌(210)





■9月16日、月曜日。敬老の日。京都第一日目。(写真)生麦の九月の空

朝食の準備が何もないので、makiへモーニングを食べに。

めづらしいことに、珈琲をお替りして、書き物をする。

帰りに、出町商店街で買い物。今日の京都は、暑いを通り越して、太陽が「痛い」感じだった。

きのうは、横浜で句会。14年ぶりに懐かしい皆さんと再会。たいへん愉しかった。

日本人が生み出した遊びはいろいろあるが、句会や吟行、連句といった遊びは、その中でも最上の部類に属するのではないだろうか。

ウェブやZoomで行うよりも、その場と空気感、時間、聲、沈黙を共有できるリアル句会は、ほかに得難いものがある。

13時から17時まで句会、その後、サイゼリアで1時間くらいおしゃべり。

年配の方も多いので、第一句座と第二句座の2回をこなすと、4時間になる。

「疲れた」という聲も聞かれた。そうだろうなとは思う。

きのうは、私がゲストだったので、第二句座で席題を出させてもらった。17日が中秋の名月なので、「月見」とした。

このため、非常にバラエティに富んだ月見の句を一度に目にすることができ、一足早く、月見を堪能した気分となった。

普段は、一人で、黙々と句を書いているだけなので、句会は自分の句を見直すいい機会となり、「喝」を入れられた気分になった。

年に3回は句会に出られるといいなと思っているが、往還生活なので、タイミングを合わせるがなかなか難しい。



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一日一句(5361)







京の月帰るところとなりにけり






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一日一句(5360)







帰り来てまずは挨拶京の月






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一日一句(5359)







トレニアのこぼれ咲いたる奥の道






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往還日誌(209)







■9月14日、土曜日、晴れ。

呼吸法、気功、瞑想のトリオロジー。深蒸茶を淹れて、仕事開始。

午前中、買い物に。マインで夕食の材料を朝一で買う。レジでBさんと会う。詩集を売るの、大変ですねと同情される。

その後、2年ぶりに、栄屋菓子舗へ。

2年ぶりに、ここの豆大福を改めて食べてみて、京都出町の「ふたば」のそれよりも断然美味いことを再発見した。

餡が良く餅もいい。ここの奥さんは気さくなひとで、よく話しかけてくれる。7月は、熱中症で、120人以上、東京だけで亡くなったと話したら、驚いていた。

栄屋菓子舗は、1923年の関東大震災で東京の店舗を焼きだされ当地で営業を始めた経緯があり、すでに100年以上経っている。名店であろう。

帰宅後、詩を一篇書く。ほぼ完成させる。全9編の中の第8編。

「老い」というものを、どのように、テーマ化すべきか、試行錯誤している。「老い」は、日常のいろいろな局面で実感し始めている。

その後、家族が出かけたので、上洛前のルーティーンである洗濯と掃除を済ませる。

夕方から、ニコの仕事に入る。

夕食を作る、言っても、スープとサラダだけ。あとは出前館を利用。

夕食後もニコを行う。

5時間睡眠だったので少々疲れた。



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一日一句(5358)







秋の聲一本とおる夜の塔






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往還日誌(208)






■9月13日、金曜日。きょうも暑かった。36℃まで上がった。夜も暑い。

7月だけで、全国で、熱中症で死亡した人は、62人。

昨年の2023年は、7月で、44人だった(5月~9月を合算すると、107人)。

2022年の7月は、36人。

2021年の7月は47人、

2020年の7月は18人、

2019年の7月は25人、

2018年7月133人、

2017年7月は31人、

2016年7月は29人、

2015年7月は35人...。

2016年から2022年までの5月~9月の熱中症の死者を見ると、7月と8月に集中している。

夏の7月8月は命の盛んな季節で、季語の数ももっとも多いが、現代においては、熱中症で死亡する数が集中する死の2ヶ月となっている。

※過去の全国における熱中症傷病者救急搬送に関わる報道発表一覧(消防庁)

2018年の7月の一ヶ月だけで、133人死亡は突出しているが、このときの救急搬送も突出して多いが、リバウンドはあるものの、全体として、年々、熱中症で死亡する人が増えているということは言える。

2018年の死亡数がこれだけ多い理由は、特定できていないが、何らかの条件が重なったのだろう。コロナ禍の直前である。このときと同じ条件が重なれば、同じことが起きる可能性もある。

コロナ禍は、2019年12月に武漢で最初の感染者が確認されて、2023年5月5日にWHOのパンデミック終息宣言だから、コロナによる死者と入れ違いのようにして、熱中症の死者が増えていることがわかる。

来年は、ラニーニャ現象のために、さらに暑いという予想も出ているので、来年の7月と8月の死者は、さらに増えるかもしれない。

ただ、怖いことに、この消防庁の死亡者数というのは、「救急搬送状況」における死者なのである。

つまり救急搬送した時点か、その直後に死亡した人の数で、その後、時間が経過する中で、熱中症で亡くなった死亡の数は含まれていない。

8月6日付の『インディペンデント』は、東京都監察医務院のデータを紹介している。

※Heatstroke kills more than 120 people in Tokyo during record temperatures(Independent、2024年8月6日)

元データの東京都監察医務院のデータによれば、なんと、東京23区だけで、過去5年の夏期(6月から9月)の状況は、

    検案数 解剖数 熱中症死亡者数
令和元年 4,174 人 571 人 135 人
令和2年 4,675 人 644 人 239 人
令和3年 4,423 人 597 人 58 人
令和4年 5,222 人 669 人 251 人
令和5年 5,234 人 619 人 192 人

※令和5年夏の熱中症死亡者数の状況【東京都23区(確定値)】(東京都監察医務院)

これが東京23区の現実である。

令和5年(2023年)夏期の熱中症死亡者数に関して言えば、60代、70代、80代が多く、とくに、70代に集中しており、女性より男性が多い。

東京都監察医務院は、「屋内で亡くなられた方の大半は、設置が無い場合及び故障の場合も含めて、エアコンが使われていなかった」と述べているが、エアコンを設置していた人が72.2%で、そのうちの6割以上の63.7%がエアコンがあっても使用していなかったのである。

エアコン設置無しは、23.3%だった。エアコンがあって、エアコンを使用していた人は、8.5%だった。

このエアコンの使用問題は、技術革新で解決できるのだろうか。要するに、老人が使用を好むようなエアコンが、である。

老化と夏の高温化は、熱中症という新たな敵を夏場に作り出した。

エアコンの使用問題と「老化」という問題の2つを考慮する必要があるのだろう。

なんか、今日は日誌ではなくなった。





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