ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

続・今回の母体死亡事例に関する私見

2006年02月28日 | 大野病院事件

私には法律に関する知識は全くなくてよくわかりませんが、報道によれば、K医師が逮捕された理由は、『業務上過失致死と医師法違反の容疑』とのことでした。すなわち、『癒着胎盤で、大量出血の恐れがあることを認識しながら、輸血準備などが不十分なまま、十分な検査や高度医療が可能な病院への転送などをせず、はさみで胎盤を子宮から無理に剥離し、女性を死亡させた疑い。また、医師法が規定する24時間以内の警察への届け出をしなかった疑い』なんだそうです。

インターネット上で公開されている『事故調査委員会の報告書』に記載されているように、今回の症例が、後壁付着の前置胎盤であったとすれば、胎盤付着部は前回帝王切開の子宮切開創とも無関係ですし、通常の検査では癒着胎盤を予想することは不可能です。

この病院が地域で唯一の(1次も2次も兼ねていた)産科施設であったことから、前置胎盤の帝王切開で遠方の大学病院などに母体搬送しなかったのは当然であると考えられます。(私自身、今までに、前置胎盤の帝王切開を理由に大学病院に母体搬送したことは一度も記憶にありません。)

また、この事例では手術前に術中の出血に備えて1,000mlの輸血用の血液(濃厚赤血球)が準備されていました。報告書では、輸血準備量が1,000mlでは不十分で少なくとも2,000mlは準備すべきであったなどと記載されていますが、実際の出血量は20,000ml!であったわけですから、輸血準備量が1,000mlであろうと2,000mlであろうと実際問題としては焼け石に水で、いざという時には準備血液量が2,000mlばかりでは全然足りません。

手術時の状況の詳細はわかりませんが、K医師は困難な状況の中で子宮摘出手術は完遂しているわけですし、与えられた不十分な環境の中で産婦人科医として実施すべき仕事は全力を尽くして立派にやり遂げているわけです。オーダーした輸血用血液が到着するのに1時間以上かかったのは、血液センターとの距離の問題であり、K医師の責任ではありません。

病院では毎日多くの患者さんが医療の甲斐なく亡くなってます。産科診療も例外ではなく、医師が全力を尽くして医療を行っても、結果として母体や胎児・新生児が死亡することはいくらでもあり得ます。医療ミスによる死亡でない場合は、24時間以内の警察へ届け出の義務はありません。

今回の事例で、万一、担当医師の有罪が確定するようなことがあれば、『このような医療環境下で帝王切開を実施したこと自体が罪に問われる』ことになってしまい、『我が国において、この病院と同じ条件の病院では帝王切開の実施が法的に一切禁止された』と解釈せざるを得なくなります。また、通常の経膣分娩であっても、分娩経過中に胎児仮死などでいつ緊急帝王切開が必要になるかわかりませんから、『産科医、新生児科医、麻酔科医などのマンパワーが充実し、いつでも大量輸血に対応できる病院以外では、産科業務は今後一切法的に禁止された』と解釈せざるを得なくなってしまい、地方の産科医療は完全に絶滅すると思います。また、そうなれば影響は医療全般に及び、産科だけの問題では済まないと思います。