chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「家族の肖像」を観る聴く、 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2017/10/3

2017-10-03 06:16:53 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅦ「家族の肖像」を観る聴く、     『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2017/10/3

  診断の測定結果の打ち出しロールの流れる音、響き、時、現実の、日常の、心拍のごとき、音、刻々と死に招かれてある日々、爆音、この現実を破壊する音、戦闘機の飛来する音も、現実と可能性と、主人公は絵画の研究者、家族の絵、古典、新しく見いだされた絵画、画商と貴婦人、主人公は彼女も画商の連れとばかり、だが、画商が帰っても、残っている夫人、上の部屋を借りたいのだと、ビルの高見の部屋、更に上の部屋が開いたままに、何処で知ったか、主人公は貸さないと拒むのだが、どこから入り込んだか、夫人は頑なに去らない、そこに二人の若者、娘と青年、娘は夫人の子どもらしい、青年はボーイフレンド、

観るばかりでもと、新たに美貌の青年が、現れる、カメラは主人公にズーム、この青年に見とれたか、惹きつけられて仕舞ったか、臭いばかりのカメラのズームなのだが、斯くて、主人公は彼らの勢いに負けたか、一時のこと故にと認めて、婦人が借りて、トイレばかりを改修の話、が、深夜、上階で激しい振動と音が、天井が落ちてくる、使用人の婦人の驚き、上の階に、美貌の青年が壁を天井を壊している、婦人との約束など知らないとばかり、すべてを改修し、しかも、一時の事でも無い様子なのだ、破壊された部屋、がれきの中に、現れた夫人の言葉など聞かない青年、主人公は買わないと誓っていた絵画に改めて惹かれて、画商に連絡すると既に買われてしまったと、だが、なんと、そこに娘とボーイフレンドがその絵画を持って現れるのだ、単に、主人公の孤独な空想の中ばかりでは無い、現実の仕事にまでも、彼らが飛び込んできているのだ、音楽、美術、蘊蓄の美貌青年、関心する主人公、彼らは、使用人の夫人にも己の身勝手で言いつけて、飲み物、食事、何処か、彼らは家族の様でも、主人公、妻、子供たち、だか、美貌青年は婦人の愛人らしい、深夜、二人の侵入者、階段を廊下を走り去る、上階では青年が倒れている、テロリスト、いや、青年自体が革命家、闘争、抗争、右翼、左翼、判らない、単に主人公の生活ばかりでは無い、政治も経済も絡めて、入り込んできた、主人公の夢見る世界、美しい妻、果たして、妻なのだろうか、別れた、死した、判らない、愛人、そして、美しい娘、母にそっくりとの言葉が、この娘は、己の娘、いや、幻想の、夢の中に見いだした、いつも、孤独に絵画を見詰めながら、心の中に、家族を見詰め癒やしていなかったか、一人作り出した世界、一方に、測定器のロール音、死、一刻の猶予も無い、怯えるばかり、だが、全くの孤独の肉体、一人孤独の内に収まりこむ幻想など在るはずも無いのだ、存在自体が、家族、国家なのだから、視線が、聴覚が、言葉が、色彩が、食事が、生活が、己の側から、主体が世界を見詰めるようで居て、それは既に、捕らわれたものに過ぎないのだ、上階での、裸の若者たち、リズム、音楽、ダンス、裸で戯れる、見せられて、魅せられて、戦いて、惹かれて、拒めない、引き寄せられて、誰と誰が、恋して居るのか、青年同士、娘と青年、判らない、大テーブルでの食事、まさに家族の肖像画、主人公、夫人、娘、ボーイフレンド、青年、この疑似家族、でも、疑似家族以外の家族があるのだろうか、何処まで行っても、いかがわしい家族しか居ないのだ、老人、大人、若者、血、地、どれもが怪しいでは無いか、斯くて、上階の爆発、駆けつけると美貌の青年が倒れ込んでいる、煙霧の中、主人公が抱きかかえて、何処に、確かに、含めて、すべてが、主人公の一人の幻の世界とも、孤独が、彼らを引き寄せた、亡霊たち、この亡霊と共に、暮らすのだ、上階の漏水で、あの貴重な絵画も濡れてしまって、亡霊たちは、長閑な日常は許さない、襲いかかるのだ、このように、襲いかかられ、己自身で襲いかかり、破壊、破滅していくブルジョア、このブルジョアを生きることこそが、その自覚こそが革命なのだ、この滅していく場、間には、見事にエロスも抱え込んで、破壊とは、エロスなのだから、そこにこそ、今日の家族が、肖像が、だからまた、新たなる、見知らぬ響きが、部屋の上に、下に、横に、ベランダの外に、こだましないか、己自身に、安保法制も、共謀罪も、家族なのだ、

 

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