chuo1976

心のたねを言の葉として

「 練習問題」                      阪田 寛夫

2020-04-30 03:46:53 | 文学

   「 練習問題」        
             阪田 寛夫

 


 「ぼく」は主語です
 「つよい」は述語です
 ぼくは つよい
 ぼくは すばらしい
 そうじゃないからつらい

 「ぼく」は主語です
 「好き」は述語です
 「だれそれ」は補語です
 ぼくは だれそれが 好き
 ぼくは だれそれを 好き
 どの言い方でもかまいません
 でもそのひとの名は
 言えない                       
             (詩集『てんとうむし』童話屋・1988年刊)

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夜のぶらんこ都がひとつ足の下                           

2020-04-29 05:58:44 | 俳句

夜のぶらんこ都がひとつ足の下
                           土肥あき子

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映画『サーミの血』、苦悩は続く       関川宗英

2020-04-28 16:18:08 | 映画

映画『サーミの血』、苦悩は続く       関川宗英

 

『サーミの血』(字幕版)

1時間47分 2017

監督
アマンダ・シェーネル
主演
レーネ=セシリア・スパルロク, ミーア=エリーカ・スパルロク, マイ=ドリス・リンピ

 

1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族、サーミ人は差別的な扱いを受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通う少女エレ・マリャは成績も良く進学を望んだが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げる。そんなある日、エレはスウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。トナカイを飼いテントで暮らす生活から何とか抜け出したいと思っていたエレは、彼を頼って街に出た--。(C)2016 NORDISK FILM PRODUCTION

 

 

 

 

 

 

 

 


 暗い映画だった。
 映画の全体を覆う、この重苦しさは何なのだろう。

 

1.映画のストーリーと背景

 ドアのノック、神経質そうにタバコに火をつける老女…、現代のスウェーデン。老女が息子と孫娘とともに、妹の葬式に出向くシーンから、映画は始まる。
 「彼女は君の分のトナカイを、毎年マーキングしていた。」と、老女はサーミの男に言われるが、言葉がわからないと冷たく返す。妹に花を手向けようともしない。

 そして、映画は、1930年代へ。トナカイ、テント、牧草地で暮らすサーミの人たち。スウェーデンの北部の先住民族、サーミ人は分離政策を受けていた。トナカイ遊牧のサーミ人は土地を購入して定住したり、ほかの仕事に就いたりすることを禁止されたという。

 主人公の14歳の少女エレ・マリャは、妹とともに、スウェーデン語などを学ぶ寄宿学校(移牧学校)に向かう。
 移牧学校のある村では、土地の若者から「捕まえれば金になる」とか「くさい」などと、差別的な言葉を浴びる。
 学校では、サーミ語を使うと、女教師に定木で手をたたかれる。

 1913年に発布された「移牧学校法」によって設立された移牧学校で、サーミの子供たちは親から離れ、教育を受けることになった。それは、サーミの子供たちを普通の公立学校から排除することでもあった。
 トナカイの放牧生活で生きてきたサーミ人は、知能的に劣っており、都市の文明の中では生きていけない。だからサーミの子供たちは移牧学校で、サーミ語の使用を禁じられ、スウェーデン語を勉強する。スウェーデン語の詩を暗唱し、スウェーデン語で神をたたえる歌を歌うのだ。

 

 映画を観ながら、アイヌのことが頭に浮かぶ。
 自然とともに狩猟、漁労で生きてきたアイヌの人たちも、アイヌ語の使用を禁じられ、日本語を覚えさせられた。
 文明とはかけ離れ、劣っているとされた少数民族が、近代社会の中で生活できるようにという大義の下、その文化を否定され、支配者の文化や言語の使用を強制させられる。
 イヌイットやアポリジニなどの少数民族も同じように分離政策を受けた。

 

 
 主人公が頭蓋を細かく測定され、裸にされて写真を撮られる、いたたまれないシーンがある。窓の外では、主人公たちをいつもからかう村の若者たちが覗いている。一人のいたいけな少女が、その体をさらし者にされる屈辱的なシーンだ。

 当時の人体測定学では、人間の優劣を科学的に証明しようと研究が進められていた。
 ダーウィンの進化論の「進化」や「淘汰」といった言葉は、社会学者らによって「敵者生存」「優勝劣敗」という概念になり、優生思想を生んでいった。
 頭蓋の大きさや形、毛髪や肌の色を調べて、サルに近い人種、優秀な白人に近い人種を調べていく。そのような科学的な知見を重ねていくことで、世界中の民族が、人類学的な優劣のふるいにかけられる。
 
 優秀なスウェーデン人がサーミ人を保護し、教育する。それが当時の正しい考え方だった。優生思想が最新の科学的真理だと信じられていた時代の話だ。
 

 
 1995年、「北大人骨事件」が起きた。北海道大学構内の標本庫から、段ボール箱に納められた6つの頭骨が発見された事件だ。それはアイヌや朝鮮人などの人骨だったが、この事件をきっかけに、文部科学省は「北海道大学や東京大学など全国の12大学に1600体以上のアイヌ民族遺骨が保管されている」と発表した。さらに、琉球人の遺骨も全国の大学にあることが判明する。
 これらの骨は、墓から盗掘されたものだ。
 なぜ、アイヌ人や琉球人の骨を盗掘したのか。
 その理由は、エレ・マリャが裸の写真を撮られたことと同じだろう。つまり、サーミやアイヌの人体は、人種の違いから人類の進化の道筋を論じるために、人体測定学に必要な研究対象だったからだ。
 さらに言えば、支配者側の論理を確実なものにするための、科学的な証拠集めといえる。

 琉球新報編集委員の宮城隆尋は語っている。
「遺骨の収集には多くの研究者が関わり、アイヌと琉球だけでなく全国各地の日本人や朝鮮人、中国人、台湾先住民、東南アジアの先住民なども研究の対象とされました。その成果は、学術誌の論文や一般誌の記事として幅広く発表されました。多くの論文は、日本人以外の体格的な特徴や文化的風習を挙げて、日本人の優秀さを裏づける根拠とした。こうした研究が戦前の植民地主義的な国策を支える役割を果たしたことを、複数の研究者が批判しています」(https://www.msn.com/ja-jp/news/national/京都大学が盗掘した琉球人骨を返さぬワケ/ar-BBWglBM)

 アイヌの人たちの人骨を調べた論文は、アジアの人々と日本人のルーツは同じだが、日本人が優秀だから日本が統治する、といった趣旨で、日本の対アジア侵略戦争や「大東亜共栄圏」を正当化する当時の政権側に極めて都合のいい内容だったという。

 


 エレ・マリャは移牧学校を抜け出す。そして、都会でクリスティーナとして生きていくことを決意する。エレ・マリャは、サーミの民族衣装コルトを焼き捨てる。コルトが燃える赤い炎は、家族を捨て、サーミを捨てる、エレ・マリャの悲痛な決意の色だ。そして、スウェーデン人クリスティーナとして生きていこうと決めた、わずか15歳くらいの女の子の情念の色だった。

 

 それから、何十年かの月日が流れ、映画は再び、現代のスウェーデン。妹のことを思い出している老女。
 映画の終盤、老女クリスティーナは、死んだ妹のいる教会を訪れる。姉は妹の棺をあけ、妹の亡骸を見る。そして、失われてしまったかけがえのないものにすがるように、「許して」と姉は妹に顔を寄せる。老女の妹への深い愛情が胸に迫ってくる。
 映画のラスト、老女は白髪を振り乱しながら険しい道を登る。そして、トナカイを放牧しているサーミ人のキャンプを見る。クリスティーナとして生きた老女エレ・マリャ。深いしわが刻まれた老女の顔。その顔には、はっきりとした表情はうかがえない。しかし、そのしわの深さは、老女の人生の苦悩を語っているようだった。サーミへの思いの深さを彷彿とさせる顔だった。

 

2.クリスティーナの苦悩

 今、サーミの言葉を話せる人は500人くらいしかいないという。
 しかし、サーミの土地や水の使用の権利は認められ、サーミ大学の設置や、サーミ語の教員養成の制度もあるそうだ。
 サーミの復権は、国際的な先住民族の運動に大きな影響を与えるようになっている。

 『サーミの血』は、少数民族が権利を勝ちとってきた歴史に思いをはせ、民族のアイデンティティを静かにうたいあげる物語かもしれない。
 しかし老女の顔には、そんな誇り高いものは感じられない。
 映画の全編を覆う、重苦しいものを拭えないまま、映画は終わってしまう。
 老女クリスティーナの顔に、一人の女性として、その人生を受容したといえるような、満ち足りた表情はない。
 家族を捨て、サーミを捨てて、一人のスウェーデン人として生きたクリスティーナの苦悩は、先住民族の「形だけの権利回復」で決着がつくものではないということだろうか。


 『サーミの血』には、美しいシーンもある。
 トナカイが走る、山裾の牧草地のショット。
 そして、ヨイクを歌うシーンだ。

 ヨイクはアイヌの歌のようでもあった。
 同じような言葉、音韻の繰り返しが、心地よい抑揚の中に聞くものを引き込む。
 それは幼いころ聞いたような、懐かしい気持ちを誘う。
 もしかしたら、ヨイクの抑揚は、私たちの遠い祖先が歌い、聞いてきたものと同じ根っこのものかもしれない。
 
 ボートの上で、姉が妹に歌うヨイク。
 「ニェンナがボートで泣いている」
 移牧学校に行きたくないという妹に、姉が歌う。たゆたうボートの上で、姉が妹を元気づけようとする美しいシーン。
 ずっとそのヨイクを聞いていたい、そんな気持ちにさせられる。

 映画の後半、妹が姉に、ヨイクを歌うシーンもあった。
 雪解け水の池(?)に姉は妹を浮かべる。「飛んでいるみたいでしょ」と姉は言いながら、妹を水に浮かべる。
 まぶしい春の陽光の中、二人は久しぶりの時間を過ごす。そのとき、妹が上機嫌でヨイクを歌う。


 遠い昔の、姉と妹の美しい時間。
 サーミの人々が、山の懐でトナカイを追いながら何百年と歌いつづけてきたかもしれないヨイク。
 ヨイクの声に、サーミの美しい記憶を私は追い求めてしまう。

 


 2007年、『先住民族の権利に関する国連宣言』が採択された。
 21世紀の今、多様性の大切さは、世界中のどの政治家からも聞かれる。
 しかし、世の中は欲望と憎悪が渦巻いている、というのが実感ではないのか。
 ヘイト条例を訴える在日韓国人の女性のもとには、一千万件を超えるバッシングのコメントが届くそうだ。
 コロナが発生した大学に、脅迫状が届いたというニュースもあった。

 『サーミの血』が抱える暗さは、現実の世界のこの重苦しさかもしれない。
 老女クリスティーナがホテルで、旅行客の女性たちからサーミの悪口を聞かされるシーンがある。ヘリコプターに乗り込むサーミ人を見て、「あの人たちのバイクの音がうるさい」、「自然保護区を破壊している」、などといわれる。
 『先住民族の権利に関する国連宣言』が採択された今も、差別の根っこは変わっていない。表面的に見えなくなっただけ、さらに悪質かもしれない。


 老女クリスティーナの苦悩は続いているのだ。 

 


 
 


 

 

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言葉がなければ、激流の中で自分を保てない

2020-04-27 06:20:15 | 言葉

人文知を軽んじた失政 新型コロナ 藤原辰史
2020/4/26 朝日新聞


 
ワクチンと薬だけでは、パンデミックを耐えられない。言葉がなければ、激流の中で自分を保てない。言葉と思考が勁(つよ)ければ、視界が定まり、周囲を見わたせる。
 
感染者の出た大学に脅迫状を送りつけるような現象は関東大震災のときにデマから始まった朝鮮人虐殺を想起する、と伝えてくれた近所のラーメン屋のおかみさん
 
そんな重心の低い知こそが、私たちの苦悶(くもん)を言語化し、行動の理由を説明する手助けとなる。

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「お役所の掟」

2020-04-26 06:18:39 | 言葉

今から30年ほど前、宮本氏(下記(注)参照)は役所内で後輩から「今週はすしを食べに行かないほうがいいですよ」とささやかれた。


なぜかと聞けば、「生エビにコレラ菌が発見され、もう市場に出回った」と後輩は答えた。「なぜ公表して、警戒を呼びかけないのか」と重ねて尋ねると、「上層部」が発表しないと決めたからだという。幸いにして患者は出なかったが、上司に「対応がおかしいではないか」と抗議したところ、逆にたしなめられた。


「考えてもみろ、1ヵ月ほどすし業界や料亭にお客が来なくなれば、経済的なロスは計り知れない。40~50人のコレラ患者なら、入院させて治療しても経済的な負担はたかが知れている。もうちょっと大人の発想をしなければ役人として生きていけないよ」


(注) 宮本氏は、米ニューヨーク医科大の准教授などを歴任し、1986年に厚生省(現・厚生労働省)に入省。約10年勤めて退官し、著書「お役所の掟」などを書いて、官僚や役所の実態を暴露した。

 

佐高信  毎日新聞

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かゝる代に生れた上に櫻かな                           

2020-04-25 05:34:13 | 俳句

かゝる代に生れた上に櫻かな
                           西原文虎

 

 


前書に「大平楽」とある。

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たんぽぽに普通列車の速さかな                            

2020-04-24 06:01:42 | 俳句

たんぽぽに普通列車の速さかな
                           奥坂まや

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グスマンの映画        関川宗英

2020-04-23 05:31:27 | 映画

グスマンの映画            関川宗英

 

 

 

『真珠のボタン』(チリ 2015 パトリシオ・グスマン 82分)

2015/10/10 山形国際ドキュメンタリー映画祭 コンペティション部門作品


人類はもともと海に住んでいた

 チリにこんなドキュメンタリーの監督がいたとは知らなかった。パトリシオ・グスマンの監督、脚本、編集の一本。チリ、南部の西パタゴニアの海、川、氷のショットに圧倒される。そして、詩的な言葉。18世紀には1800人以上いた先住民は、現在20人。植民地政策の支配者たちによる先住民大虐殺と、ピノチェト政権下の大虐殺、パタゴニアの殺戮の歴史を真珠のボタンが結ぶ。
 フィヨルドの複雑な海岸線、極寒の、風速55メートルの地で、先住民族はカヌーを作りながら、海を1000キロにわたって移動する。カヌーが壊れれば、ナイフ一本で樹木からまたカヌーを作って移動する。海とともに一万年以上生きてきたパタゴニアの先住民族。その顔は、縄文人の血を引くというアイヌの人たちと似ていた。
 砂漠、海、宇宙を、チリの歴史と民族で結ぶ、詩の世界だった。

 監督のパトリシオ・グスマンは公式パンフに書いている。
 西パタゴニアは世界最大級の群島だ、そして、7万4000キロもある海岸線、南アメリカ産南部まで続く広大な“海の迷宮”は、「人類がもともと海に住んでいたことを思い起こさせる」と。

「ドイツ人科学者のテオドール・シュベンクによれば、人間の内耳は渦巻き状の巻貝のようであり、心臓は2本の海流の合流点であり、我々の体の骨のいくつかは、渦巻きのような螺旋状になっているという。」(パトリシオ・グスマン)

 

『チリの戦い - 武器なき戦い』 (チリ 1975-78 パトリシオ・グスマン 263分) 

 2015年山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映

 1973年、チリにアジェンデの社会主義政権が誕生する。しかし右派勢力はアメリカの援助を受け、政権を弱体化させていく。そして右派は軍部と結託してクーデターを起こす。全編263分の三部作。第2部の途中からと、第3部を観ることができた。ニュース映画フィルムをつなぎ、労組の議論などはやや冗長だが、2部のラスト、1973年9月11日、アジェンダがチリ国民に向けた最後のラジオメッセージ、そして空軍による国会(?)の銃撃シーンには、自ずと緊張が高まる。

 

 


  2015年の山形で、グスマンを知る。

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「駅」 作詞作曲 竹内まりあ

2020-04-22 06:22:25 | 文学

「駅」
作詞作曲 竹内まりあ
 

見覚えのあるレインコート
黄昏の駅で 胸が震えた


はやい足取り まぎれもなく
昔 愛してた あの人なのね


懐かしさの一歩手前で
こみ上げる 苦い思い出に
言葉がとても 見つからないわ

 
二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ 人のもとへ
戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう
今になってあなたの 気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛していたことも
 
ラッシュの人波に
のまれて消えていく
後ろ姿が やけに哀しく
心に残る

雨もやみみかけたこの街に
ありふれた夜がやって来る

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=4TJ22af73gc

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅥ「India インディア」を観る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/4/20

2020-04-21 05:19:18 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅥ「India インディア」を観る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/4/20


  ボンベイの雑踏、通り、大型バス、車、ビル、近代建築、多様な人々、多様な言語、混沌、古さと新しさと、寺院、巨大な寺院、祈りの世界、大きな街と寺院と、そして、今、カメラは、視点は、何処に、如何に、遙かに青い空、緑の森の中、移動しパンするカメラ、木々がまばらに、木々の中から草原に、道が、象、象を操る人々、象は重機でもあるのだ、長閑な日常、暮らし、仕事を終えて象たちの水浴び、象の食事、草木を食べて、象を操る私、大木から見詰める屋敷の庭、村で見かけた娘、私に取って忘れられない日にと、娘と象の世話の最中、川で見つめ合い、人形劇の一座がトラックで、村にやって来た、皆が見詰める人形劇、此処でも娘を見かけた、大人も、子供も、昼下がり私は、大木の枝の上から、また見詰める娘、こうして学校の先生に相談、彼は間に入って父に話してくれる、こうして私の父と娘の父との話し合い、結婚式、着飾った娘、衣装、色彩、化粧、共に出向いてくる人々の列、祝い、子供が出来て、その一家か、違う私の一家か、ドキュメントスタイルのドラマ、若者は結婚して子供も出来、ダム建設に、労働者、田舎の生活から、今は労働者、電力を得るための、都心のためのダム建設、建設が終わると、住居を代えて、隣同士も別れ別れ、悲しみの、ぼやきの妻、幼い子供を抱えて、これから何処に、出来上がったダムを見詰め歩く私、廃墟と化した寺院、文字を書き付けのだが、沐浴する私、しかし、一つの建設が終われば次なる建設に、遠く、労働者たちが、列を作って歩き去って行く、彼等もまた、次なる労働場所を求めて、インドの近代化、だが、この近代化が何をもたらしたのだろうか、私の生活にあって、妻、子供、仕事、豊かになったろうか、そんなとってつけた説明などない、見るのだ、この姿等を、ヒマラヤの山々、雪山、そこから流れる水、小川から、川に、蓮の緑、蓮の花、川は流れ、その先までも、そこには人々の作り出した道が、川の道から土の道に、近代化のアスファルト、川と道は連なっていく、続いていく、さてまた、森の中、草原、木々、人の訪れない、聖なる世界、魔の世界、魔術の世界、神々の世界、何が見える、何が聞こえる、何が終わる、何が始まる、獣たち、老いた私、農村で、子供たちが働いてくれる、嫁がやってきて世話を焼く、私は一人牛を連れて草原の中、牛に草を匍わせ、私は煙草を吹かす、憩いの時、が、此処には虎が、虎のカップル、襲う事はないと知っていても恐怖で、周章てて立ち上がり、牛と共に去る、森の世界は、獣たちの世界は、昔のままに、象は手名付けて、仕事につかえた、だが、虎は如何とも出来ない、獣たちも、家の中、祈りの妻、赤ん坊に乳をやる嫁、働く子供たち、長閑な日常、だが、そこに近代化が、鉄鋼の鉱石の為のトラックたち、土を掘る地響き、音、これまでの獣たちとの同居が壊れていく、獣たちはこの開発に驚き、怯え、騒ぎ、森から外に、逃げ惑う、恐れていたことが、居場所のない虎が人を襲ったのだ、草原の中の血、一度人を襲ったら、次々に、虎とは森の神、森の怒り、ダムによって、昔ながらの小さな湖も消えた、巨大なコンクリートの巨壁、人々は、労働者として、移動していく、動かざるを得ない、結果として街に、熱波、陽射し、一人の男が猿を連れて、旅芸人なのだろうか、歩いてくる、が、熱波の故か、倒れ込んでしまう、チェーンに繋がれた猿、飼い主が倒れて死して仕舞った、舞う鳥たち、ハゲタカだろうか、怯える猿、身動きが出来ない、男の顔の上に重なって、必至に、語りかけるように、答えない男、舞う鳥、チェーンの先が外れて、逃げることが出来て、走る走る、川に、水辺に、辿りつく猿、猿である私、サーカス、一座の者たち、旅してきた猿はサーカスに、ブランコの曲芸、猿の芸、必至に芸をする猿、此処にも私が、生きていくための仕事、労働、相変わらずにチェーンに繋がれてあるのだ、壁の上、外を見詰めると自然の中に猿が、野生の猿が自由に生きて木々を渡っていく、見詰める猿の私、彼等の中に、飛び込むか、いや、この場に残って芸をするか、野生の猿の私から見れば、繋がれた私は人と猿との中間の生き物、だから、語りはないが、象なる私、虎なる私、木々なる私、川なる私、道なる私が、語りかける、この私たちが、今街中に、結果として、インドについてのドキュメント、町、自然、含めて、人々の姿、自然の姿、獣たちの姿、視線、在処、インドの現実が、捕らえられて、古いインド、祈りのインド、近代化のインド、森、山、川、道、移動、かくて、今、何処に、如何に、コロナの日本の私もまた、このドキュメントの中に在るのだ、近代化という、その廃墟という多様な視点の中に、この中からしか、始まらない、始めるのだ、あらためて、ウィルスの舞う時空を、生きるのだ、近代化の廃墟の先にまでも、公害の爛れた汚染の切れた、ウィルスに依って切り開かれた魔を、間を、生きるのだ、今、終わりでは無い、始まりなのだ、ロッセリーニの「India インディア」を見るとは、コロナの日本を、世界を背負うことなのだ、コロナという解体を引き受けながらの始まり、今日、二〇二〇年四月十九日昼の習志野の青い青い空、白い白い雲、余りに爽やかな空気、彼等に撃たれながら、
 

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf