chuo1976

心のたねを言の葉として

それまで見向きもしなかったフィルムに触れ、それまで知りもしなかった映画作家名について友人たちと議論を重ねたのは何よりも蓮實批評の煽動によるものだった

2020-11-30 04:52:13 | 映画

それまで見向きもしなかったフィルムに触れ、それまで知りもしなかった映画作家名について友人たちと議論を重ねたのは何よりも蓮實批評の煽動によるものだった

 

 私たちがシネフィルのバイブルとして若き日に読んだ批評のほとんどは、その書き手として蓮實重彦という固有名を持っていたことは明らかだ。そのすべてを買い求めることはなかったが、「映画芸術」、「マリ=クレール」、「ブルータス」そして、何よりも今はなき「話の特集」や「映画批評」に掲載されたこの固有名を持つ批評を書店の店頭で読み続けた体験は、シネフィルであるなら、多くの人びとと共有できるものだろう。だから、その蓮實重彦の責任編集と銘打った「リュミエール」の発刊(1985年9月)は、私たちにとって大きな事件だった。「世界で一番美しい映画雑誌ができました」という蓮實重彦自身の声を今でも私は覚えている。「七三年の世代」、「ハリウッド五〇年代」、「トリュフォーとヌーヴェルヴァーグ」、「日本映画の黄金時代」、「映画大国イタリア」など実に魅力的な特集がこの雑誌を飾り、全一四冊の「リュミエール」は四年半をまっとうして、長い休刊の時期に入った。七〇年代の中盤から蓮實重彦に親しんだ私たちは、それを通じて多くのフィルムと映画作家を「発見」したのは事実だ。それまで見向きもしなかったフィルムに触れ、それまで知りもしなかった映画作家名について友人たちと議論を重ねたのは何よりも蓮實批評の煽動によるものだった。

『映画が生まれる瞬間』(梅本洋一 勁草書房 1998年)

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隣人と分かち合う。ともに飢え、ともに祈る。ガンディーの姿が伝えたこと

2020-11-29 06:26:25 | 言葉

いのちの政治学~コロナ後の世界を考える「隣人と分かち合う。ともに飢え、ともに祈る。ガンディーの姿が伝えたこと」

 

いのちの政治学~コロナ後の世界を考える「隣人と分かち合う。ともに飢え、ともに祈る。ガンディーの姿が伝えたこと」(前編) | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

 

 

断食によって争いを止めるということ

中島 今回は、インドの「独立の父」として知られる宗教家にして政治家、ガンディーを取り上げます。
 まず、1946年にインドのカルカッタ(現コルカタ)で起こったことから話を始めたいと思います。この年は、インドがパキスタンと分離独立をする前年。カルカッタは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の激しい対立の中にありました。そして、ついに武力衝突が起こったときに、独立運動のリーダーだったガンディーはそこに駆けつけ、断食を始めます。争いがやむまで自分は一切食事を取らないと宣言しての、「死に至る断食」でした。
 しかし、なかなか争いはやまない。そんなとき、一人の男が血相を変えてガンディーのもとにやってきます。そして、「私はイスラム教徒だが、3人の大切な息子をヒンドゥー教徒のやつらに殺された。あなたは和平だ、赦(ゆる)しだというが、この私の心にどうしたら赦しが宿るというのだ」と訴えるのです。
 それに対して、ガンディーはこう答えたといいます。
「あなたと逆に、イスラム教徒によって親を殺されて孤児になったヒンドゥー教徒の子どもを3人、引き取りなさい。そして、その子どもたちをイスラム教徒ではなくヒンドゥー教徒として育てなさい。その子たちが成人して、あなたに感謝の意を述べたとき、あなたに本当の赦しが訪れるだろう」
 男はその場で泣き崩れ、手に握りしめていた武器を捨てて出ていった、といわれています。そして、この話が町中に広まったころ、ついに争いはやみました。それを聞いたガンディーは、窓の外を見て争いの気配がないことを確認し、ようやく食べ物を口にしたといいます。
 これはいったい、どういうことなのか。宗教的な断食によって争いを止めるなどという発想は、政治学の教科書には絶対に出てきません。これは反対の意思表示としてのハンガーストライキとは異なります。ガンディーは実際に、しかも今からわずか70年ほど前に、宗教的「行」によって大規模な紛争を鎮めた。とすれば、ここには近代の政治学が見失っている、政治の一番重要な部分があるのではないか。むしろそこから政治を見ていかないと、政治の本質に行き当たることはできないのではないか──。

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小春日やものみな午後の位置にあり        

2020-11-28 05:19:28 | 俳句

小春日やものみな午後の位置にあり
                           清水青風

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『ドストエフスキーと愛に生きる』

2020-11-27 05:50:44 | 映画

『ドストエフスキーと愛に生きる』(スイス、ドイツ/2009/ドイツ語、ロシア語/ カラー、モノクロ/35mm/93分 監督:ヴァディム・イェンドレイコ)

 

2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭コンペティション作品、優秀賞と市民賞の2冠を受賞している。(2011年「山形」で映画のタイトルは、『5頭の象と生きる女』)

 

翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーが、映画の中で語る。

 

 

 

ドストエフスキーにとって、人間の本質とは、

自由への欲求

自分の望むことをする

自分の定義は自分で決める

そこで知性は、決定的役割を果たす

理性は絶えず、行動に理由をあたえ

必要とあらば、理由はつけられる

 

犯罪行為を正当化するには

人道や安全のためだと平然と主張する

イチジクの葉で隠すこともしない

ブッシュやプーチンを見ればいい

”テロに対する偉大な闘士”

これが今、国際政治で通じていること

小さな個人の領域にも浸透している

 

でもドストエフスキーは

全ての権力に、鋭く対立している

彼は確信していた

この世の中では

不当の正当化は意味がない

 

 

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左翼の衰退と新自由主義勢力の台頭      関川宗英

2020-11-26 11:01:13 | 映画

左翼の衰退と新自由主義勢力の台頭      関川宗英

 

 

 1970年、チリに民主的な選挙による、世界で初めての社会主義政権、アジェンデ政権が誕生する。

     日本は70年安保闘争の敗北、三島事件が起きている。

 1973年、チリで軍事クーデター。ピノチェト軍事政権誕生。

     アジェンデ政権は、社会主義国家を実現できないまま3年で消滅した。

 1989年、ベルリンの壁の崩壊。

 1991年、ソビエト連邦の崩壊。

 

 

 

 ピノチェト政権は、シカゴ学派の若い学者たち(シカゴ・ボーイズ)を招いて経済再建に成功したことから注目されたという。

 新自由主義は80年代のイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、などの経済政策に大きな影響を与えた。いずれも「小さな政府」を掲げて公営企業の分割民営化、規制緩和などが行われた。

 日本の中曽根内閣も新自由主義的政策を推進していく。国鉄の民営化は中曽根内閣によって実現された。

 ピノチェト政権は1990年に崩壊。ピノチェトはその後、軍事政権下の左翼弾圧を裁判で問われるが、結審することなく2006年に病死している。

 アジェンデ政権はクーデターにより倒されたが、この政変後、新自由主義は世界で猛威を振るうようになる。チリの政変で、結局勝ったのは、新自由主義ということになるのか。

 

 

 21世紀の今、共産主義革命は「20世紀最大の実験」などと呼ばれる。

 暴力による革命は多くの人の支持を得られない。

 一党独裁体制の恐怖政治に支配されることは望まない。

 しかし、自由と平等を求める人々の願いは変わっていない。

 誰もが幸せに生きる社会を望むことは、人として当然の願いだ。

 

 

「世界の富裕層 上位2100人が、46億人分より多い資産持つ」というニュース。これは、2020年1月22日にNHKで報じられた。

 所得の格差は広がるばかりだ。

 近代資本主義の誕生から、資本家は富を集中させ続けている。

 格差社会は是正されなければならない。

 2011年秋、アメリカで「ウォール街占拠運動」が起きた。スローガンは「我々は99%だ」。

 2018年にはフランスでは「黄色いベスト運動」が起きる。マクロン政権の環境保護を目的とする燃料税の引き上げがきっかけだが、この抗議活動も、格差の拡大する現実がもたらしたものだ。

 働いて人並みの暮らしができる社会を望むこと、物や金がうまく回る経済社会を求めて声を上げることは当然のことだ。

 

 映画『チリの闘い』(パトリシオ・グスマン 1979年)は、1970年のアジェンデ政権誕生から1973年の軍事クーデターまでをまとめたドキュメンタリーだ。

 この映画にはアジェンデを支持する人々のデモの記録映像が何度も登場する。

 当時、チリの人々の願ったものは、今も世界の人々が追い求めているものと同じだろう。

 

 1973年から、強権的なピノチェト軍事政権の人権弾圧に苦しんだチリだが、2010年公開の映画『光のノスタルジア』(パトリシオ・グスマン)という美しい映画が見られる国になっている。

 『光のノスタルジア』は、ピノチェト政権下行方不明となった息子や弟の骨を、20年以上砂漠で探し続ける女性たちが登場する。美しい、鎮魂のドキュメンタリーだ。

 

 ピノチェト政権下、3千人以上が犠牲になったというが、その死は無駄ではなかった。

 チリの人々の闘争とは、人として誰もが生きられる社会を実現しようとした行動だった。それは、一人の人間が尊厳をもって生きていくということだ。

 チリの人々が新しい歴史を作り上げようとしたその苦難と、チリの闇の深さを乗り越えようとしたことの証しを、『チリの闘い』、『光のノスタルジア』に見ることができる。

 

『チリの闘い』、『光のノスタルジア』、グスマンという監督を刻んでおく。

 

 

 

新自由主義の問題点

 新自由主義の経済理論は、社会主義経済が破綻したとされる現代において自由な競争を最大限認める市場万能主義に関心が高まったのであろう。最近の日本の小泉内閣の郵政改革などもその線上にあり、「民間でできることは民間で」や「小さな政府」という議論は呪文のように繰り返されている。しかしその市場万能主義は、「勝ち組と負け組」の格差を拡大し、規制緩和は何でもありの利益追求肯定はライブドア事件を生み出した。また依然として談合のような政治と金のスキャンダルが跡を絶たない。新自由主義経済論とグローバリゼーションが現代の病根であるのかもしれない。 https://www.y-history.net/appendix/wh1701-045_1.html

 

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あたゝかき十一月もすみにけり        

2020-11-26 06:26:33 | 俳句

あたゝかき十一月もすみにけり
                           中村草田男

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三島由紀夫「檄文」全文

2020-11-25 14:59:07 | 言葉

三島由紀夫「檄文」全文

 

われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 


 
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

三島由紀夫

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打たれたるわれより深く傷つきて父がどこかに出かけて行きぬ   

2020-11-25 06:26:54 | 文学

打たれたるわれより深く傷つきて父がどこかに出かけて行きぬ       道浦母都子

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三島由紀夫自決50年 保阪正康さんに聞く…人格つくった戦中に回帰 2020/11/24 東京新聞

2020-11-24 16:15:35 | 言葉

三島由紀夫自決50年 保阪正康さんに聞く…人格つくった戦中に回帰 2020/11/24 東京新聞

 


 1970年11月、作家三島由紀夫が自ら率いた民兵組織「楯の会」メンバーと東京都新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地(当時、現防衛省)に乱入、自決し、25日で50年を迎える。自決直前の演説で改憲と自衛隊の決起を呼びかけ、「天皇陛下万歳」と結んだ三島は何を残したのか。事件に関する著作があり、近現代史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さん(80)に聞いた。(聞き手・荘加卓嗣)
■歴史観の飛躍
ー三島は自衛隊に「日本を守るとは天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ること」と訴えかけた。
 「編集者だった昭和40年代初め、職場を訪ねてきた三島さんに何回か会っている。雑談しているとクラシック音楽から学生運動のセクトまで何でも知っている不思議な人だった」
 「戦時中の軍部は神武天皇の神話を持ち出し、軍隊が『皇軍』として天皇に仕えるのは日本の伝統だと唱えた。しかし約700年の武家政権下で武士はそれぞれの主君に仕えていた。当時の軍部は日本の歴史総体を捉えているとは言えない認識だが、三島さんの主張はこれに重なる。あれほど森羅万象知っているのに、この辺の歴史観になると、飛躍して現実的でない。三島さんに共感する隊員もいただろうが、多数派にはならなかった」
■戦後に嫌悪感
―事件は戦後25年の年に起き、それから50年たった。
 「今思うのは、三島さんには二つの顔があったということ。一つは文学者で、もうひとつは思想家、政治指導者であり右派的な活動家。あの死は何だったのか…という問いには、50年たっても答えはない。この50年間、『文学者としての自己表現じゃないか』とか、『あのような行動を起こすために文学をやったのではないか』という議論もあったが、僕は二つの自分を使い分けたんじゃないかと思う」
 ―事件は50年前の出来事だが、それ以上に昔に感じる。
 「三島さんは大正14年生まれで、昭和20年が20歳。人格形成の時期が軍事主導の時代と重なる。大日本帝国最後の、日本は神の国だという狂信的ともいえる時代。作家として当初は表に出していないが、事件の4、5年前から政治運動に入っていったのは結局、出自の中の20年への回帰現象でしょう」
 「彼は『戦後社会に鼻をつまんで生きてきた』と語った。戦後の空間を全否定し、激しい嫌悪感を持って事件を起こした。『(自分の気持ちを世間に)分かってほしくない』と彼の方から線引き(自決)をしたんだと思う。事件を肯定するのは難しい。私たちは冷徹に見ていいんだと思う」
●補助線引いた
 ―三島は「ここで立ち上がらなければ、憲法改正はないし、永久にアメリカの軍隊になってしまう」とも訴えた。実際、自衛隊は米軍との一体化が進んでいる。
 「三島さんが教えてくれたのではないが、(反米から親米に転じたような)この国の無原則、いいかげんさは感じる。戦後がらりと変わった社会のイデオロギーとか生活空間の常識に対し、『かつてはこうだったのではないか』と(世間に考えを促す)補助線を引いたような気はする」

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遺品あり岩波文庫「阿部一族」 

2020-11-24 08:01:05 | 俳句

遺品あり岩波文庫「阿部一族」        鈴木六林男

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf