このたびばかりやとのみ思ひても、又数つもれば
いつまでか 七の歌を書きつけん 知らばやつげよ 天の彦星
建礼門院
このたびばかりやとのみ思ひても、又数つもれば
いつまでか 七の歌を書きつけん 知らばやつげよ 天の彦星
建礼門院
しづかなる暁ごとに見わたせば まだ深き夜の夢ぞかなしき
式子内親王のこの歌は、いつ詠まれたかわからない百首歌のひとつです。家集では327番です。新古今和歌集にも選ばれており、1969番釈教歌の部に収められています。その詞書には、「百首歌の中に、毎日晨朝入諸定の心を」とあります。
久保田淳氏の角川ソヒィア文庫では、この歌を「毎日の晨朝に入定して世界を見わたすと、衆生は無明の長夜の深い闇に沈んで迷妄の夢を見続けているのが悲しい」と解釈しています。つまり、詠歌主体が世界を見渡す側、闇に沈んでいるのは衆生と解釈されているのです。
これに対して、佐佐木信綱氏の解釈(校註式子内親王集(補訂版))では、「経文の意は、地蔵菩薩が毎朝定に入るといふことであるが、 それから転じて、静かな暁ごとに澄み渡った心で思ひめぐらしてみると、また煩悩を脱しかねた身の、迷執の夢深い心境がしみじみと感じられて悲しさに堪へない、の意。」とされています。つまり、ここでは詠歌主体自身が思ひめぐらし、自らを省みて夢に沈んでいる者そのものであると捉えられているのです。式子の気持ちとしては、闇に沈む衆生を見下ろすような不遜な態度は似つかわしくなく、私は、佐々木先生の解釈の方がしっくりときます。 (海渡 雄一)
新しき国の主(あるじ)にゆく人の紅よそほしく立つとふラヂオ 土屋文明(昭和七年)
満州を武力侵略した日本の軍部および政治家たちは昭和七年三月「満州国」を中華民国から独立させ、清朝の最後の皇帝溥儀を執政に押し立てた。天津にかくれ住んでいた廃帝は日本人たちにともなわれて新しい国都「新京」にむかった。その時のことを歌った作品なのであろう。「紅よそほしく」という言葉が私にはいくらか分りにくいが、執政溥儀の化粧の事だろう。しかし、そうした作品の事実を別にして、私たちは一首の間に漂うものを読み取る事は出来よう。歴史と人間の運命との底に流れる悲劇の音楽のようなものを、作品全体の声調の中に聞きとめればよいであろう。「目の前に亡ぶる興る国は見ぬ人の命のあまたはかなき」「新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな」などという歌がこの時に作くられている。「亡ぶるよりもあはれなるかな」と昭和七年に文明が歌った「満州国」は、昭和二十年に日本の敗戦とともに消滅し去った。「執政」の運命も同様である。
http://www.izu.co.jp/~jintoku/tutiyabunmei4.htm#yamatanisyuu