chuo1976

心のたねを言の葉として

もののけの遊ぶ吉野の春の月

2021-03-31 05:35:05 | アスペルガー

もののけの遊ぶ吉野の春の月                  岩垣子鹿

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性は解放されたか  岸田秀

2021-03-30 05:53:43 | 文学

性は解放されたか  岸田秀


 性解放がフロイドにはじまったことには異論はないであろう。しかし、彼が思想として性解放論の立場に立っていたかどうかは確かではない。
 むしろ彼は、性の抑圧がヒステリーをはじめとするさまざまな精神障害を惹き起こし、人びとを不幸にしている事実に強く印象づけられ、人びとを不幸から救うために性の抑圧を弛める必要があるとの結論に論理的に到達したのであって、性解放を、封建的性道徳を打破し、性的満足の幸福を追求する個人の自由と権利とかいったことを関連づけて高らかに提唱したということはなかった。
 フロイドが、生涯、女は妻のマルタしか知らなかったというE・ジョーンズら直弟子たちの説はいささか怪しいとしても、患者たちと性関係をもち、奔放な性生活を送ったらしいC・G・ユング、S・フェレンツィ、W・ライヒなどと違って、彼が性的につつましい生活を送ったことは確かなようである。
 要するに、彼は性解放の理論家でも実践家でもなかった。
(『ものぐさ箸やすめ』 岸田秀 1993年)

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三月の甘納豆のうふふふふ

2021-03-29 05:24:09 | 俳句

三月の甘納豆のうふふふふ
                           坪内稔典

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アップランだけは譲れない           綿矢りさ

2021-03-28 05:08:51 | 文学

『蹴りたい背中』  綿矢りさ  2003年 


 さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。

 黒い実験用机の上にある紙屑の山に、また一つ、そうめんのように細長く千切った紙屑を載せた。うずたかく積もった紙屑の山、私の孤独な時間が凝縮された山。(3)

 

 

 アップランだけは譲れない。運動場を、一周目はゆっくり走り、二周目は一周目より少し早く走り、三周目は二周目よりも速く・・・と、周を重ねるごとに走るスピードを上げて、ラストの周は全速力で走る。徐々に上がっていく息がドラマティックな走り系トレーニング、アップラン。私はこのアップランを、体裁かまわず本気で走る。前半は一番後ろを大人しげに走っているけれど、ラスト周ではできるかぎりスピードを上げ、他の部員たちをごぼう抜きにして、最後は意地でも一位でゴールインする。(38)

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猫の恋太古のまゝの月夜かな

2021-03-27 05:58:15 | 俳句

猫の恋太古のまゝの月夜かな
                           宇野 靖

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琴光喜おしりが勝つと言うて春

2021-03-26 04:23:25 | 俳句

琴光喜おしりが勝つと言うて春
                           中谷仁美

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三月やモナリザを売る石畳

2021-03-25 04:42:17 | 俳句

三月やモナリザを売る石畳
                           秋元不死男

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日が永くなるや未来のあるごとく

2021-03-24 05:47:42 | 俳句

日が永くなるや未来のあるごとく                  田川飛旅子

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街灯の下のみ激し春の雪

2021-03-23 05:22:55 | 俳句

街灯の下のみ激し春の雪                         坂東彌十郎

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『日よ日よ紅え日よ』  金 素雲 訳編『朝鮮童謡選』『朝鮮民謡選』より

2021-03-22 17:36:59 | 文学

硝子の壁をなくすために     林 容澤(韓国・仁荷大学教授)



 金素雲(1908 ー 81)という人は、1920年に初めて日本に足を踏み入れてから30余年間の年月を日本で過ごしています。当時日本に来ていた朝鮮人労働者から自ら採集した朝鮮古来の民謡と童謡を日本語に訳し、日本文壇へのデビューを飾った人物です。1929年7月の『朝鮮民謡集』(泰文館)が彼による厖大な訳業の最初の成果ですが、当時の日本詩壇の大御所に位置していた北原白秋は、この名も知らない一人の朝鮮青年の訳詩を読んだとき、「朝鮮にこんな詩心があったとは・・・」と賞嘆し、『朝鮮民謡集』の出版に全幅の支持と後援を惜しまなかったと伝えられています。

 これを皮切りに金素雲の詩歌分野での翻訳活動は止まるところを知らず、前述の「民謡選」や「童謡選」の底本となった『諺文朝鮮口伝民謡集』(第一書房)を1933年に上梓しています。これは、金が韓国に一時帰国してから約2年間に、全国の読者の協力を得て集めた口伝の民謡と童謡3000首をまとめたもので、仮名文字一つ交えぬ純ハングルの菊判約700ページにのぼる大作として、韓国では今も貴重な民族学術資料との評価が高いのです。とりわけ祖国喪失に伴い、母国語の存在が影をひそめていく中で、日本で出版されたことは、大きな、実に大きな、象徴的意味を持っています。

 

 君たちの歌は、君たちが伝統の継承者として祖先の時代から一筋に受継いだものだ。君たちにとっては大切な系図ともなるもので、ここには君たちのたどり来った「精神」の記録が綴られている。しかしながら、君たちはいつまでも「昨日の子」で はない。ここに訳された童謡も、僅少な例外を除いて大方は忘れ去られたであろう。それはよい。私とて君たちに過去帳の復読をさせようとは願わない。ただ畏れるのは旧殻を棄つるに急な余り、伝統の精神までも君たちが没却してはいないかということだ。「きのう」を 忘れて成立つ「あす」はない。古い礎石の上に新たな「今日」を打建てることは、君たちに託された荘厳な権利でもある。文化の精神の上で迷児となるな。奇形児と呼ばれるな。君たちに伝える切実な私の希求はこれだ。

 世紀は開ける。君たちの背後には暗い歴史が続いた。今こそ君たちの手で、君たちの鶴嘴で、新たな光明を打拓くのだ。ペンペン草の生えた廃屋を立出でて「光の世紀」へ発足するのだ。君たちの使命は重い。

                          (金素雲 「朝鮮の児童たちに――序に代えて」『朝鮮童謡選』)

 

 すこし読みにくいかもしれませんが、岩波文庫本『朝鮮童謡選』(1933)に載っているこの文章からは、当時訳者がいかなる思いで郷土の詩歌の翻訳に臨んでいるかが窺えます。「暗い歴史」という表現から察せられるように、今は植民地支配下にある祖国に対する熱き思いと、その影を背負っていかなければならない郷土の童たちに向かっての暖かい思いやりと励ましの心が、きっぱりとした口調で述べられています。郷土の歌こそ祖先から受継いだ誇らしい心の伝統であり、その伝統をいつまでも忘れず、希望の「あす」に繋いでほしいという切実な願望こそ、彼が一生を祖国の詩歌の翻訳に捧げていった最大の理由であったわけです。日本の皆様には、どうしても金素雲の訳業の背後に顕在する、こういった特別な歴史的な意味合いを読み取っていただきたいというのが、金素雲、ひいては韓日文学交流を研究テーマにしてきた、一研究者としての偽らない心境であります。

 

 さて、金素雲による民謡と童謡の翻訳に現れている大きな特徴といえば、郷土の子供たちや一般民衆に語りかけるような翻訳ぶりでhないかと思います。ここではそのなかの一篇だけを紹介してみます。



   日よ 日よ 紅え日よ

   漬物(キムチ)の汁で めし食べて

   長鼓(チャング)鳴らして 出て来い。

 

    날요날요 빨간 날이에요 

   김치 국으로 불러 들이셔 먹어서 

   장구 울려서 나와라 

 

 

  岩波文庫本『朝鮮童謡選』の巻頭を飾った「日」という作品で、原謡は「朝鮮口伝民謡集』に納められています。この浅野さんの版画集のタイトルにもなっていますが、翻訳上、特記すべき要素は見当たりません。むしろ興味を引くのは、これに当てられた訳者自らの解説です。

 

 (前略)雲間から熱った円い顔をのぞかせて太陽は君たちに笑いかける、君たちは太陽の赫ら顔見て酒に酔うた人の顔を思い出す。そこで連想するのは長鼓(チャング)だ。あの賑やかな楽しい音色――。それからキムチのめしで食べるというのは、君たちが遊び過してついお腹を空かしたとき家へ駆け込んで大急ぎで御飯を食べる――あ の時の心持だ。雲の中へ太陽が遁げ込んだのはきっとお腹が空いたからに違いない。

(「朝鮮の児童たちに――序に代えて」『朝鮮童謡選』)

 

 注目したいのは、「君たち」つまり朝鮮の児童に向かって、彼らの目線に合わせた解説ぶりです。実に優しく、そして楽しく感じられます。このような解説は同訳詩集の「序文」で取り上げられた数篇の歌に限られたものですが、この特定の読み手を意識した“語り口”は非常に効果的といえます。それに「漬物(キムチ)」と「長鼓(チャング)」という郷土色豊かな固有名詞などの再現により、たとえ用いられた言葉は日本語でも、根底に流れている情感は朝鮮そのもののように、あまり違和感を感じさせません。要するに、言葉の根底を綿々と流れている郷土の詩心は、朝鮮の民衆だけではなく、これを読む日本の人々にも充分伝わり得るものです。

 しかし、このような特別な意味合いをもち、一篇の詩歌としての文学的完成度を備えたものであるにも関わらず、韓国において、金素雲の訳詩はその当時も、そして今になっても、まともな評価を受けているとはいえません。なぜでしょうか。そこには韓国ならではの微妙な歴史的背景が影を落としています。

  まず、金素雲による朝鮮の民謡と童謡、そして『朝鮮詩集』(1940~54)で知られる近・現代詩の日本語訳を読むと、まったく外国人による翻訳とは思われない、ほど完璧といえる美しい言葉遣いに驚くはずです。文語と口語を問わぬ、伝統の韻律やそれに伴う詩的情感までをも自由自在に使いこなした翻訳ぶりは、最初から日本語で書かれたもののような錯覚まで呼び起こすくらいです。このような、あまりにも日本的情感に密着した翻訳は、それが支配国の言葉であることから、少なくとも韓国では大きな反撥を招く結果になったわけです。

 韓国文学史では「親日文学」という独特の用語が存在しています。これを簡単に説明しますと、韓国近代文学の核心をなす時期となる日本による植民地支配期間に、韓国人によって日本語で書かれた作品と、内容的に日本の支配政策に同調あるいはそれを助長するものを引っくるめて指す、民族の主体性を喪失した売国的な文学のことをいいます。金素雲の場合、心ならずも残すことになった、日本海軍の提督山本五十六の追悼詩(1943.6.8)や、同じ時期に学徒兵となって出征することになった知り合いの同胞青年の前途を励ます内容のいくつかの時局色を帯びた文章によって、いまだに「親日文学者」としての評価が付き纏っています。さらに、たとえイデオロギーの面では直接日本贔屓というものではないにしても、例のあまりにも日本の情緒に密着した翻訳態度も、韓国人の心情としては素直に受け入れづらい側面を持っているといえましょう。

 こういった現状を冷静に受け止めながらも、金素雲研究者として私が残念に思うのは、彼の韓日文化交流に対する寄与の足跡が、特に祖国の韓国ではほとんど評価されていない点です。韓国における金素雲の評価では、主に1960年以降、帰国してから韓国語で発表された一連の随筆や、例の「口伝民謡集」に対する民謡学会の関心程度に止まっていて、彼の文筆活動の真骨頂となる童・民謡や近・現代詩のいわゆる詩歌の翻訳についてはあまり照明が当てられていません。これは、金素雲の手による朝鮮の民謡・童謡の翻訳が陽の目を見る過程で、北原白秋をはじめ、白鳥省吾、土田杏村、折口信夫、新村出、柳田国男、岸田劉生、山田耕筰といった日本の近代詩人、学者、芸術家たちの惜しまない協力と後援があったのとは対照的といわざるを得ません。こうした日本の文人たちの熱い視線は後の『朝鮮詩集』にも向けられ、発刊当時の佐藤春夫や島崎藤村といった詩人の他にも、高村光太郎、藤島武二、棟方志功らの画家たちはそれぞれの作品を口絵として贈り、この詩集に寄せる讃辞と声援に代わるはなむけとしたのです。

  いくら日本語で書かれた詩集でも、外国の一詩人の訳詩集にこのような強い関心を払うのは、日本でもちょっと異例のことではないかと思われます。その背後には金素雲の祖国が置かれていた厳しい立場、ことに、いわゆる支配国の知識人として被支配国の詩人に対する心情的な哀憐、進んでは一種のやましさが、無意識のうちに働いていたのかもしれません。こういったものは、時計の針が何十年も進んだ今現在、浅野由美子さんの版画にも如実に影を落としているのではないかと思います。それも、今の韓国と日本の子供たちにはその存在感すら薄れてしまった童歌を持ってであります。いずれにせよ、金素雲の訳業によって、当時の日本の文人たちは「朝鮮」という「アジアの一隅の半島」の詩心の存在を新たに認識させられたのですし、彼の訳詩から、祖国を失った詩人たちの痛切な郷愁の念と亡国の思いを感じ取ることができたはずです。これだけでも『朝鮮詩集』を含めた、金素雲の訳業が有する文学史的意義は、充分評価されなければなりません。

 もっとも、金素雲ははじめは詩人として出発しましたが、創作は行なわず、ひたすら郷土の民謡と童謡、近代詩を日本語に訳し、それを日本で紹介するのに専念してきました。これは当時では大きな決断と勇気のいる冒険だったと思われます。詩人としての道を半ば放棄してまで、必ず成功するとも限らない苦労の多い作業に手を染めた背景には、日増しにその存在を失っていく母国語の数奇な運命を直視しての深い愛情がありました。そのような訳者の胸の内は次のような文章から探ることができます。『朝鮮詩集』の初版本にある『乳色の雲』(河出書房、1940)に載っているものです。

 

 Rよ、朝鮮の言葉はやがて文章語としての終止符を打たれようとしてゐる。生活の隅々から影を没し去るといふのではないが、已に社会語としての活きた機能を失ひつゝあるのは事実だ。(中略)恐らく十年後には朝鮮語による詩作品はあってもそれを読むものが無くなるのではあるまいか。

 Rよ、幾世紀の間辛酸冷遇の中にあった「正音」が、やうやく陽の目を見たと思ふ間もなくまた暗い陰の道を辿ろうとしてゐる。数奇といふか、薄幸といふか、何せ苦難の付き纏ふ文字だった。然しながら今は手放しで感傷に溺れることを許されない。さらに力強い鎧が朝鮮文学の表現のために用意されていることを信じよう。梅は自ら意志することなくして花を開く、それが摂理だ。

(金素雲「Rへ――あとがきに代へて」『乳色の雲』)




『日よ日よ紅え日よ』  金 素雲 訳編『朝鮮童謡選』『朝鮮民謡選』より

木版画・浅野由美子

解説・林 容澤

(2006年 かりん舎)

 

 

 

 



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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf