chuo1976

心のたねを言の葉として

春めくを図形で言へば楕円かな 平川 尭

2019-02-28 05:22:28 | 文学

春めくを図形で言へば楕円かな         平川 尭

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春昼や魔法瓶にも嘴ひとつ        鷹羽狩行

2019-02-27 05:29:27 | 文学

春昼や魔法瓶にも嘴ひとつ        鷹羽狩行

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春空に鞠とゞまるは落つるとき      橋本多佳子

2019-02-26 05:35:10 | 文学

春空に鞠とゞまるは落つるとき      橋本多佳子

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患者看護     加賀田一

2019-02-25 06:16:30 | 文学

患者看護     加賀田一

「いつの日にか帰らん」P77~P79抜粋


 その強制労働といわれるのが「患者看護」です。不自由者と重症者の看護、介護が軽症患者の作業になっていました。初めから入所者が要員として見込まれていました。これを「本業」でやる人は最高の賃金「甲」で、一日十銭でした。ところがその人が病気をしたりして欠員が出たときは、軽症患者が召集されました。一週間の臨時作業です。順番が決まっていて、医者の病気証明をもらわない限り拒否できませんから強制労働です。ただし園の考え方では「同病相憐」の助け合い精神の実現ということですが、特に結核病棟はみな嫌がり、調整するのが困難でした。

 さらに「特別看護」制度というものもありました。重病棟では常時、軽症者の付添いが一人ベッドに休んでいますが、危篤状態の人が出たとき、その補助要員を務める仕事でした。夜の八時から翌朝の六時まで、二人ずつ三交代で危篤状態の方に付き添う制度で義務化されていました。夜の十二時に交代しますが、そのときに夜食が出ました。晩飯が四時でしたから皆だれでも夜中にお腹がすきました。

 初めて私が付添いに行ってびっくりしたのは、隣のベッドの人から話しかけられたときです。喉のところから突き出たゴムのパイプで話しかけてきました。聞きとりにくいのですが、慣れたら少しわかりました。「あんた、病気どうしたんだ?」と、見慣れぬ新人だった私に聞いていました。

 その方は、鼻や気管支の粘膜が菌に冒され厚く膨らみ、そのせいで孔が塞がって呼吸ができないため喉に穴を開けているのです。その穴にカニューレという金属のパイプを差し入れ、そのパイプが痰で詰まると抜き出して掃除をしなければなりません。喉に開いた穴で呼吸をしているのを初めて見たときはびっくりしましたが、召集されると、そのカニューレを掃除しなければなりませんでした。

 いつ死ぬかもわからない状態の人に付き添うこともあり、いよいよと見れば当直の医師、看護婦を電話で呼ぶことになっていました。治療室の病棟には手術で切断した足が無造作に置いてありました。ハンセン病は神経が麻痺するので、火傷しても、釘を踏み抜いても痛くありません。痛くないから自分では気付かないのです。

 また、治療しても神経がないと治りにくいものです。化膿して膿が出るようになり、敗血症にもなりやすい病気でした。ですから足の切断も頻繁でした。私は通りすがりに呼び止められて、手術室に入りノコギリで切断する足を支え持たされたことがあります。切断した瞬間、危うく落としそうになりました。人間の足とはこれほど重いものなのかと驚嘆しました。

 夜の交代は十二時と午前三時ですから、真っ暗ななかをそこまで行きます。するとその外の空地に人魂が見えるという噂がたちました。その足の処分作業も託されていて、あれは埋めた足が雨で露出してリンが燃えているんだという人もいましたが、「いや、そうじゃない。人魂だ」と主張する者もいました。本来ならもっと丁重に扱わねばならない作業がすべて無造作で事務的に処理されていました。

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅢ 「Blanche」1972を観る聴く、 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2019/2/24

2019-02-24 05:16:13 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅢ 「Blanche」1972を観る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2019/2/24

 

  緑の山間の中の城、白い城、中世の音楽、裸のお姫様、お后、風呂から上がって、着飾って、宝石を顔に、頭に、美しい、これは、城に、宝石に囲われた、お姫様、檻の中の白い鳥、宴、集まってくる人々、城の主、妃である始まりの娘、主である夫と妃のキス、息子、高音の青年の歌声、演奏、リズム、ダンス、素晴らしい、色彩、空間、広間、壁が四角に開かれて、絵画の中の人物の如くに、覗く、覗かれる、映画と云う装置でも在るのでは、語らう若者たち、視線、切り返しの無いショット、そして、突き放したような、外の風景、城の外、牛が城の前を過ぎっていく、いつもの、田園風景、城の中から遠く離れて、農夫、昼の中、この城のショットが、闇の中、陽射しの中、城の内側のドラマに挿入されて、城に遣ってくる、王、使用人、主の妃に、惹かれる王、皆がこの美貌の娘を恋するのだ、なんといっても、主の若い息子こそが、母である、妃に恋して、妃もまた、林の中、小さな橋を渡って、娘の長いスカート故に、小刻みな歩みが可愛いのだ、そして、スタイルを強調した衣装、美しい、妃である娘と息子、深夜、王と使用人の若者、猿、何処にでも、神出鬼没、白い鳥と猿、王もまた、恋して夜のお忍が、王らの思惑を知ってか、待ち構える息子、息子の剣に手を斬られて、周章てて逃げ去る、王の後を追った使用人の若者も、知って走る走る、逃げる逃げる、寝床に、王が怪我して戻り、若者は、己の仕業に仕立てて、手を斬る、身代わりなのだ、これには王も感心、感動、抱き留めるのだ、笑みの若者、信頼された、信用された、若者は、何処にでも、現れ、妃を求める、困惑する妃、あの小さな橋でも、現れて、強引に、息子が出来ない、キスをする、妃を抱き留める、林の中を逃げ去る妃、城の中、お忍びの若者、飛び降り、走り去り、王は遣いの若者に命ずる、若者は馬を走らせて、林の中を疾駆、鎧を着て、待ち構える息子、決闘だ、だが、呆気ない、若者には全く叶わないのだ、倒されて、剣を突きつけられて、降参、城の中、あらためて、息子は、若者に挑む、が、あっさり楯を顔から下げ、一発で、若者に顔を剣で打たれて仕舞う、死、さて、この若者の仕業を知った城の主、妃の夫は、若者を部屋の中に閉じ込めてしまう、扉にレンガを積んで、生き埋めにするのだ、逃がさない、王らが去り、暫くして、壁を打ち割り中に、倒れている若者、連れだして、水をかけると、息を吹き返す、息子は自殺だと、わざとだと、果たして、妃である娘も項垂れて、風呂場だろうか、腕をだらりと、これもまた自死、若者は、獄門に、足を縛られて、綱に繋がれて、馬は林の中を疾走する、引きづられるままに、何処までも、生き延びられるはずも無かろう、一人、瀕死の城の主、そこに黄金の被り物の王が現れる、既に死している主、こうして、囲われた白い鳥の恋たちは、何も成就しない、主と妃の恋、妃と息子の恋、若者と妃の恋、王の恋、美しい、白い城、緑の山間、この自然の中の白い城の中の、悲劇、喜劇、白い城もまた白い鳩同様に檻の中に囲われてあるのか、その外では、いつもの民が、いつもの生活を、いや、こんな民の中でもまた、こんな愚かしい、城の中と同様な血まみれの恋が、行われているのだろうか、しかし、そんなドラマよりも、アップの素晴らしさ、娘のアップの表情、目の蠢き、何処か、囚われの白い鳥なのだが、求めて居る、求められて笑みで笑っている、欲望、誰に対する、夫に対する、息子に対する、王に対する、若者対する、単なる、受け身の女では無いのだ、この僅かの間に、女の喜びが、叫びが、情熱が、現れて、あの小走りの歩みだって、困っているのか、楽しんでいるのか、手をふりふり、腰をふりふり、息子のアップは苦悩に歪み、お猿の自由さの王の使用人の若者の笑み、そして、主の表情、全てを知っての老いた、既に、若くない、そんな老人の切なさがにじみ出て、素晴らしい、しわくちゃな顔、そこに、この主の全てが、まさに肖像画、ラストの王のアップ、これもまた、見事に、何も出来なかった王、全ては見せ付けられたばかり、恋と闘いとから遠く突き放されてしまって在るばかり、これら肖像画としてのショットは、切り返して誰かが見詰めるというのでも無いのだ、ドラマの内に、ドラマの外に、私たちに、突きつけられ、放り投げられてあるのだ、王同様に、私たちに、これらを受け止めて、さて、抱え込んで、さあ、何処に、如何に、在ってしまう、権力の関わりを、誰もが越えられはしないままに、わたしは歩き出す、あの林の中だろうか、城の下の、脇道だろうか、東京の雑踏の中でしか無い、中世とは違った権力の最中に、

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紅彩炎   加賀田一

2019-02-23 05:11:59 | 文学

紅彩炎   加賀田一


(加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P112~P113抜粋)


 終戦の前年(昭和19)にもなると、野草でも食べられるものならなんでも食べるというような劣悪な食糧事情になり、私たちも自給自足を目指して島内の荒地を開墾しサツマイモやカボチャなどを作りました。ところがこの重労働が原因で病気が再発する入所者がどんどん出てきました。私たちはこのことを「菌が騒ぎ出した」と言っていましたが、私の場合、まず第一番に目にきました。

 それは「紅彩炎」という炎症で、目に光線が入るとものすごく痛い。部屋には黒いカーテンを張って、光線を入れないようにしましたが、それでも痛くて痛くて、一週間泣き通しでした。一ヶ月ぐらいで痛みは治まりましたが、目を開けると、ほとんど見えなくなっていました。紅彩癒着を起こしており、瞳孔が針の穴ぐらいになっていて、メガネをかけてやっと少し見える程度でした。

 それが薬もないのにどうして治ったのか、私もよくわからないのです。ただ覚えているのは20CCの血液から採取した2CCの血清を注射したことです。「あんた、こんな瞳孔で見えますか」と、新しい先生が来られるたびに不思議がられましたが、瞳孔は小さい穴のままにしていたら、目のほうは治まりました。

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春光やモネの描きし水動く         今井肖子

2019-02-22 03:16:42 | 文学

春光やモネの描きし水動く         今井肖子

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もう春の月と呼んでもいい親しさ         中西ひろ美

2019-02-21 04:57:49 | 文学

もう春の月と呼んでもいい親しさ         中西ひろ美

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春の月水の音して上りけり        正木ゆう子

2019-02-20 06:46:38 | 文学

春の月水の音して上りけり        正木ゆう子

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早春や目つむりゐても水光り        越後貫登志子

2019-02-19 04:17:03 | 文学

早春や目つむりゐても水光り        越後貫登志子

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf