くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

素直になること

2017年04月30日 22時35分59秒 | 短文集
時にはうがった見方や疑いを持つことも求められますが、そういう力の働きがあるからこそ、自分の気持ちに素直でいることは、とても大事なんだと僕は思います。

岡本太郎が「君の純粋さをちゃんと表に出すことが重要なんだ」というようなことを言っていたけれど、純粋さって、素直さとほとんど同じですよね。

綺麗なものを綺麗だと思い、感動をそのまま受け止めること。好きだという気持ちに嘘をつかないこと。

自分に嘘をつくのは、やっぱり辛いから。

だから、嬉しかったら笑顔になって、いいのです。好きだったら好きで、いいのです。当たり前のことだけど、当たり前が難しい僕たちですから、そう思っておくのが、ちょうどいいのです。

永遠の生

2017年04月29日 23時42分50秒 | 短文集
映画「無限の住人」を観てきました。公開初日に早速です。以前から観たいと思い、公開を待ち遠しく思っていました。

僕たちは永遠に生きることができないけれど、永遠に生きることの悲しさや、一瞬の生の大切さは分かりますよね。

例えば僕の場合、猫と接している時や祖母のことを考える時、やがて訪れるであろう別れと、今という一瞬の大切さを思います。
そして、別れの後も生きていくであろう自分の悲しみや痛みは、(仮にそれがあるとして)永遠の生の、縮小された悲しみや痛みでもあると思うのです。

そうして無限から見たら間違いなく僕だって儚い命で、つまり永遠をテーマにするということは、一瞬の生をテーマにすることと同じなのでしょうね。

そうそう、映画「無限の住人」はアクションが凄かったよ。

風が強い日には

2017年04月25日 23時35分13秒 | 短文集
風が強く吹く日には、家から出ないことも一つの手だ。弱っている時に傷つかないことは、時にすごく重要なことです。

それから、あえて外に出ることも一つの手だ。そこでしか感じられないことや得られないことがきっとあるから。タフさを身につけるということは、長丁場の人生にあっては大きな支えになります。背骨がしゃっきりとします。

向かい風に走っていければ、すごく良いですよね。それだけの筋力と体力があるということだから。でも、それで風邪を引いた時には、素直に家で休むのが良い。

風が強く吹く日には胸が痛む
そのわけは
君が生きている
君が生きている
君が生きているから
(エルレガーデン「 insane」)

生きるってことは、それだけで大きいことなんだと、むー、思いませんか?

会いたい人がいるということ

2017年04月25日 23時05分38秒 | 比較的短文ではない文章
そもそも人見知りで恥ずかしがり屋で、出不精な僕は、あまり会いたい人がいない。ほかの人だって特段会いたい人はいないのかもしれないけれど、ええと、うーむ、どうなんだろう。

いずれにせよ、僕の場合は「億劫」だったりします。世界に対して開いていないのね、ふーん、と思われても仕方がない。それが僕という人間です。むぅ。

それでも、例えば友人から「子どもが生まれました」なんて報告があれば、会いに行きたいなんて思うのです。顔は似ているんだろうかとか、(もちろん)その友人は元気にやっているんだろうかとか、思うのです。新しいフェーズに入るということがどういうことか、ちょっと見てみたい気もする。

それから、ある女性から「お久しぶりです」なんて便りが届くと、すごく嬉しくなって、会いたくなります。会って抱きしめたくなります。私情が絡みすぎね、ふーん、なんて思われても仕方がない。そう思ってしまうんだもの。ふむ。

僕が暮らす街には、遅まきながら春が訪れて、いまは桜が満開です。遠くの山並みにはまだ雪が残っているから、そのコントラストはなかなか見事なものです。とても綺麗です。

あるいはそうやって、何がしかの感動や感じたことを、分かち合いたいということなのかもしれません。誰かといたいということは。その方が楽しいし、嬉しいもの。

あるいは、僕がこうやって何かを書くことも、つまりはそういうことなんでしょう。こうやって「あなた」と何かを分かち合いたいと、そう思っているのでしょう。

私信

2017年04月20日 19時49分27秒 | 私信
こちらはようやく桜が咲き始めて、遅ればせながら春の雰囲気が満ちてきました。とは言っても、最近は毎日のように雨が降り、春らしい明るさはないのだけれど。もう少し晴れてほしいなぁと思っています。

今月になって、友人のHからメールが届きました。子供の誕生を知らせるものでした。

「予定通り、女の子が生まれました」

ついこの前に結婚式が開かれたばかりの気がしていたのに、あの日からはだいぶ離れてしまったようです。時が経つのは早いと言うけれど、本当ですね。とてもびっくりして、そして嬉しい知らせでもありました。あのHが父親になった。それは別の世界の別の出来事のようにも思えます。それくらい、ちょっと、にわかには信じられないような、そんな感じがします。

近況を少し。

もちろん仕事は忙しく、なかなかタフなのですが、それはまぁ以前から変わらないことなので割愛しましょうか。相変わらずできないことが多いし、苦手なこともある。どこかで割り切っていかないといけないけど、むぅ、ええと、別の話をしましょう。

最近はファッションを(ちょっとだけ)学んでいます。「基礎」を一から勉強して、どうすればリーズナブルに気持ちよく(気分よく)過ごせるかを考えています。服は「衣食住」の一角を担うわけですから、大切にした方がいいですよね。ひどい時には1年に1着くらいしか(インナーなどを除いて)服を買わなかった僕ですから、とても大きな進歩と言えます。
古い服を一着ずつ点検して、必要なものだけを残して「えいやっ」と捨て、そこにアイテムを足しています。要はアップデートですね。まるで脱皮しているような気分です。
きょうは仕事が休みだったので、組み合わせが楽な白無地のTシャツを買い、腕時計のベルトを薄茶色(オレンジ系)に変えました。つまりそんな風に、ちょっとずつ歩みを進めています。

それから将棋も指し、気になる本を読み、ある意味ではたんたんと日々を過ごしています。そうして時間が経って、Hの子供が生まれて、びっくりして、なんて、そんな風に暮らしています。課題は山積みなのだけれど。

ねぇ、あなたからの言葉は、やっぱりすごく嬉しいよ。胸が高鳴って、読み終わった後に笑顔になってしまう。「よし、きょうも頑張ろう」と思える。よく「カンフル剤」という表現がありますが、つまりはそういうことです。それから、「読みたい」と言われたら、やっぱり書こうと思うよ。書いて、あなたに読んでもらいたいと思う。繋がっていることを感じるからです。

だから無責任を承知で言うけれど、酔ってもいないけれど、言ってはいけないと思っていたけれど、あなたの言葉に背中を押されるように、伝えます。

愛してるよ。地球が自転し、季節が巡り、また春が訪れるように、確かに。

なんて、うーむ、やっぱり照れくさいなぁ。