くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

月が綺麗ですね

2016年01月26日 22時55分26秒 | 比較的短文ではない文章
人との関係が変わっていくことは、すべてのことが普遍ではないということに含まれていて、まぁ、その通りですよね。僕たちはいつまでも子どもではいられないし、若くもいられない。いつも調子が良いわけではなく、悪いわけでもない。恋人たちはいつか別れ、あるいは夫婦になり、それから時間を経て互いの存在を変化させていく。

僕は「やる気はゼロで良い。マイナスでなければ、むしろゼロで良い」と言う時があります(聞かれたらね)。プラス10の時とプラス1の時があるくらいなら、いつでもゼロで良いと思っているからです。一定の、コンスタントな状態でいることが大事だと思っているのです。

でも、そんな風にはいかないですよね。でも、会社の女性から「くろねこさんって、いつも変わらないからすごいよね」と言われたことがあるから、あながちできているのかもしれない。分からないけれど。

でもね、やっぱり変わらないでいることなんて、できないよ。

それでも。

それでも僕は、変わりゆくなかで変わらないものを、求めてしまう。

昨夜と今夜はとても月が綺麗でした。例えばこの月という衛星は、あと1万年くらいは今とあまり変わらずにあるのかもしれない。だとすれば、それほどは願わないから、あと50年くらいは変わらない幸せな何かを、ねぇ、くれないかな、神様。それって、やっぱり贅沢なのかな?

不完全な私が不完全なことを語ること

2016年01月24日 01時13分54秒 | 短文集
言うなれば僕は不完全なのです。そして有限で、それがどこまでも続いていって、やがて死ぬのです。

不完全な僕が不完全なことを語るのは、本質的に言えば当たり前のことなのだ。完璧なことを語ることなんてできない。

言いたいことはいくつある?
言うべきことはいくつある?

もしかしたら、いくつかあるのかもしれない。よく、分からないけれど。

例えば。

と書いてやめました。それはあまりにも私信的にすぎるから。

でも、それは不完全な僕が不完全ながらも書きたいこと、ではあるんだよね。

どうしても僕は

2016年01月20日 01時17分16秒 | 短文集
僕は強さに憧れるのに、どうしてだろう、弱さというものの中に大切なものを感じてしまう。
それはきっと、僕が強くもあり、弱くもあるからだと思う。
過大評価されたこともあるし、過小評価されたこともある。
想像以上にうまくいったこともあるし、何をしても全くダメで挫折したこともある。
両極端なことばかり経験して、いや、それが普通なのだろう、つまりはしかるべき手順を踏んで、人間とはどういうものか、その社会がどういうものかということを肌で感じてきた。学んできた。

みんながみんな、仲良くはできないのだろうか。
でもきっと、それは無理だ。
あちらにでっぱり、こちらにでっぱりする僕たちだもの。個性を大切にしようとすれば摩擦もすれ違いも起こる。誤解されるし、誤解もする。いくつもボタンをかけ間違い、そのたびに謝り、意地を張り、どこかで妥協点を見つけて何とかやっていく。あるいは、どうにもならなくなる。

不思議だね。

実家に帰ると、僕はこたつに入ってテレビを観る。家族全員で観る。ああだこうだと言いながら、つまらない言い間違いで笑いあって。そこに摩擦はないし、心の窮屈さもない。団欒だ。

どうして世界は「そんな風に」できていないのだろう。

強い風に吹かれているとき、僕は世界の隔絶を見る。あちらと、こちらと、あちらの人間と、こちらの人間といったように。強くある必要はないのかもしれない。弱くある必要だってないのかもしれない。でも心が傷ついた時、僕は、弱さという心のうちに大切なものを見つけようとする。それはもちろん、強さの中に生きていく意志のようなものを認めながらではあるけれど。

紅い月

2016年01月16日 00時39分24秒 | 短文集
ことしは驚くほど雪の少ない年で、何だか冬じゃないみたいだ。

農道を車で走っている時、雪のない水田に紅い三日月が映っていた。辺りが暗かったから、それはまるで湖のように見えた。

赤い水面。雪のない冬ならではの光景だ。僕は実家からアパートに戻る途中で、色々なことを考えていた。その多くはシリアスなことだった。紅い月はどこか示唆的だった。僕の考えすぎだとは思うのだけど。