くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

当たり前のように言うけれど

2018年06月07日 22時54分56秒 | ある種のラブレターに代えて
当たり前のように言うけれど、僕は、あなたのことを忘れることができません。

そして、それで良いと思っています。

月を見上げた時とか、ふとした瞬間に、あなたを想う。結ばれることはないかもしれないけれど、想う。

あなたが幸せであるなら、それはすごく、嬉しいことです。というか、幸せであってほしい。

ふとした瞬間に、そんなことを願ってしまうのです。

巨人とは何か

2018年01月08日 23時02分09秒 | ある種のラブレターに代えて
カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」を、年末にようやく読み終えた。長い時間がかかりました。それほど仕事がハードだったと言えるし、余裕がなかったのでしょう。なにせ、最後の10ページそこらを読むのに数日費やしたからね。

長いながい時間がかかりました。

結局、物語の中で実際的な巨人が登場することはありませんでした。強いて言えば、主人公たちが巨人の墓を迂回したくらい。タイトルに現れたのは、メタファーとしての巨人でした。

それでは、巨人とはなんだったのか。

英語版のタイトルは「The Buried Giant」で、この「Buried」は「埋められた」とか「葬り去られた」という意味があります。つまり、比喩的な意味の巨人が埋設された世界を描いたのですね。

その巨人が物語の後半、ゆっくりと動き出していきます。

カズオ・イシグロはテレビ番組「白熱教室」の中で、物語自体が巨大なメタファーだと示唆しています。それは個人を超えて集団、国家にも該当するのだと。それを感じること、考えることも物語の有効な部分であると。

「忘れられた巨人」は、記憶を巡る物語でした。悲惨な過去が葬り去られた(隠された)世界が描かれました。悲しい記憶が息を吹き返すたび、主人公ともども世界はぐらぐらと揺れます。過去のないことの平和、幸せ、もどかしさ、悲しさ。その感情すらも飲み込んで揺れます。

僕の場合は?

僕は、忘れたことなんて、ありません。埋めてしまうことなんて、できないのです。幸せな記憶を、あるいは胸の中にある思いを、閉じ込めてしまうなんて、できないのです。

どうしようもない思いを抱えて、少し、悲しくもなるのです。

私信

2015年12月19日 22時47分49秒 | ある種のラブレターに代えて
本来なら公開するものではないけれど、私信を。読みたくない方は、読まないでくださいね。




僕にとっても、あなたと出会えたことが20代でもっとも大きな出来事でした。毎日が色づき、輝き、たとえ悲しく落ち込んだことがあっても、前に進むことができました。あなたの存在が心の支えになりました。それは、とてもとても大きな支えでした。
年齢が離れているということを当時の僕はほとんど何も考えていませんでした。僕にとっては、関係のないものだったのです。あなたの存在が、嬉しくて、愛おしくて、幸せで、それだけでした。
それゆえに悲しみもありました。いつか離れるのではないかというかすかな予感が、遠くの空に見える細い煙みたいに、心の中に漂っていたからです。そうして、僕はよく夜中に目を覚ましては気づかないうちに泣いていました。

どうしてこんなにあなたに惹かれるのでしょうね。あなたになら色々なことを話せる(たくさんのことを伝えましたね)。心を開くことができる。それは僕にとっては不思議なことで、そして大切なものです。あなたを愛おしく思うことが、そこに繋がっています。

君に触れ

そう、あなたに触れて僕は人間の温もりを知り、

恋と言うかな愛と言うかな

とても穏やかで、満たされた、大きな幸せを感じました。

それは体の中にいまでも残っている感覚です。きっと、これからも消えることはないでしょう。そう思います。こうしてあなたに向けて書くことも、僕にとっては幸せなことです。あの時から遠く離れた今だって。


私信を終わります。