くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

プラネタリウム

2016年07月31日 21時43分45秒 | 短文集
実家に戻ってから、地面(路上)に寝転んで星空を眺めることが増えた。今夜は月も雲もなくて、そして辺りに街灯も少ないので、たくさんの星が見えた。プラネタリウムなんていらないくらいだ。

飛行機が飛び、人工衛星が一定の速度で移動し、流れ星が短い線を描いた。

すべてのことは、まぁ、大したことはない、そんなことを思う。

余計なお世話かもしれないけれど、ねぇ、みんな大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫。余計なお世話かもしれないけれど、あなたも、あなたも、あなたも。みんな大丈夫だよ。

コトバ?

2016年07月30日 00時04分33秒 | 短文集
例えばブログを書く時は、ブログを書くための文章がある。
例えばラブレターを書く時は、ラブレターを書くための文章がある。

コトバ?

僕はそれを、(茂木健一郎さんが言うところの)脳のモードによるものだと考えるのだけど、考えすぎなのかな?

屋根の上

2016年07月26日 00時24分38秒 | 比較的短文ではない文章
夜中に実家の屋根の上で、ぼんやりと空を見上げたのは、さて、いつだったかな。だいぶ前だ。悩んでいたか、悲しんでいたか、いずれにせよ辛かったはずだ。ほのかに流れるラジオを聴きながら、星空を見ていた。

確か季節は晩秋で、空気は透き通るように、冷たく肌を刺した。寒いなと思っていたら、いつのまにか芯まで冷えて、体が震えだした。それでも、心が澄んでいくような気がして身を任せた。だいぶそうしていたかもしれない。

そんなこと忘れていたのに、辛いことがあって、久しぶりに道路に寝転んで空を見上げていたら、思い出した。近くでは猫のクロもころんと横になっていた。遠くから得体の知れない鳥の声が響き、僕たちは起き上がって身構えた。

大学時代、部屋を完全に暗くして何が見えるのか試したことがある。村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」に登場する井戸を再現してみたのだ。しばらくすると友人のHから電話がかかってきた。

「何してる?」
「部屋を真っ暗にしてるよ」
「何で?」

アパートの一室の、暗い暗い井戸の底は、自分の心を反映していたのかもしれない。しばらく闇に目をこらすと、あんなに塞いだはずの隙間から、ほんのりと光が漏れだしているのが分かった。完全な暗闇を作り出したと思ったのに。

過去の自分の文章を読むと、何故だろう、僕は心が落ち着く。不思議だね。自己確認なのだろうか。別の何かなのだろうか。とにかくそこからは、柔らかな何かを受け取ることができる。自分へのギフトだ。僕は、自分に向けて書いているのかもしれない。

遠くでっかい世界を思おう。目の前の悲しみなんて、ささやかなものだ。そして確かな一歩を踏み出そう。それが僕たちにできうる最善のことだ。

そうして心は、路上にあり、屋根の上にあり、星を見上げている。ゼロに戻るってことかな。

断片

2016年07月24日 20時47分14秒 | 短文集
思いの断片を大切にしようと思った。まずそれをしなくちゃいけなかったのだと気付いた。

例えばそれは、夜空を見上げた時の心のあり方でもいいし、嬉しかったこと、悲しかったこと、いろいろなバリエーションがある。それを留めておくのだ。

あるいはノートに書いても良いのかもしれない。ワンフレーズ、テーマだけでも。僕はどうも忘れやすくて、自分なりの方法を模索しなくちゃいけない。