ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

私の使命は母を看取る

2024年04月08日 | 介護
母の入院している病院に先生の話を聞きに行った。
母があれこれ管を付けられ辛い思いで生きているより、経管栄養や胃ろうまでして生きているより、延命治療は望まないと決めた。
老衰のようです。
とりあえず会話は頓珍漢ですが出来ます。
私を娘だと認知しています。
面会に行ったらご飯は食べたくないと言います。
家に帰ってご飯を食べたいと言いました。
きちんとご飯を食べるように言いました。
わざと私の作るご飯は不味いよと言いました。
食事にムラがある。
血便も出たようです。
ここまで生きた。これまで生きた。
もういいじゃないか?
何もかも帳消しだ。
父の時と違い、しっかり母の死を受け止めよう。
泣くのは良くないと恥だと言った母の前で思いっきり泣いてやろうと思うのだ。

お見舞いに行った話

2024年04月08日 | 介護
そう言えば2度お見舞いに行った。
1度目は帰りに居酒屋に寄った。
2度目は帰りに駅に近い中華屋に寄った。
お見舞いだというのにたいしたものは持参しなかった。
手作りしたカップケーキを渡すと嬉しそうに箱ごと抱きしめた。
おそらく誰にもやるまいと独り占めしたかったのだ。
病床のベッドの上から彼女の笑みが見えた。
他人と言えども入院は嫌だと思う。
何度も入退院を繰り返し、大病も経験しているのだ。
身体中にメスが入れられ、辛い思いもしているのだ。
幸い私は入院をしたことが無い。
骨折しても入院はしていない。
盲腸もお産の経験も無いのだ。
現在こうして私が生きているということは不思議でならない。
本来なら14歳でこの世を去るべきだった。
それが66歳まで生きている。
全く想定外だ。
その間にいろいろなものを見てきたと思う。
良くも悪くもいろいろなものを見てきた。
知らなくてもいいものも知ったのだ。
おまけに結婚もした。
想定外だった。

右手首の完治

2024年04月08日 | 介護
およそ2か月前に自宅の玄関で転倒して右手首に入ったヒビはおよそ2か月ぶりに整形外科の先生から完治と言われました。
唯一好きだった卓球も再開できますね。
靴も買わないといけませんね。
以前履いていた靴は履きやすくて履きつぶしてしまいました。
外反母趾で他人より靴選びには苦労します。
履きやすくて滑らないスニーカーなどを探したいと思います。
思えばほぼ2か月間は湿布薬と包帯の日々でした。
時々包帯を外してサポーターもしてました。
過去の左ひじの骨折よりも左の肋骨の骨折よりも足首のねん挫よりも長引きました。
とかく高齢者は歩くときに足が上がっていないそうです。
ちょっちした段差や何もないところでも転びます。
ましてやコロナ過からのマスク生活です。
マスクに眼鏡です。
眼鏡が曇って前が良く見えません。
下を見て歩けばどこかにぶつかります。
大けがにならなかったことは良かったですね。