気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

ヤマト・アライバル 香川ヒサ 

2015-11-02 12:27:53 | 歌集
行き過ぎるときに耀くガラス窓 ひつたりと閉ぢられてゐるから

美(は)しき薔薇咲かさむと良く手入れする限り汚れる手にてあるべし

次次に魚料理店あらはれぬ魚料理店ならぬを探せば

灯の点る古書店 だれかの人生をどこかで変へた一冊もある

古書店に本選びつつ自づから選ばれゆかむ一冊の書に

グローバルな視点に立てば人類は見た目で判断するしかなくて

足早に行く通勤者 善悪が入れ換はつても人は働く

日の差せば濃淡生れて朝霧の動き出したり明るみながら

前庭にハーブの花を咲かす人隣の庭に咲かすことなし

人と人こんなに近く住んでゐる互ひに厚き壁を隔てて

(香川ヒサ ヤマト・アライバル 短歌研究社)

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香川ヒサの第八歌集『ヤマト・アライバル』を読む。

過去の歌集名は、すべてカタカナまたはアルファベット。今回初めて「ヤマト」が出て、おっと思ったが添えられた表記は「YAMAT ARRIVAL」で「大和」「やまと」ではない。航空機が大阪国際空港は着陸する際に、奈良上空方面から到着する経路とのこと。作者の自宅ベランダからよく見えるらしい。
歌集は、短歌研究誌に二年間八回にわたって連載された30首連作を中心にまとめられている。
以前からわかっていることだが、香川短歌は、ほかの誰とも違っている。発想が独特で、ほかの歌人が歌にしないことを敢えて詠んでいる。いちいち解説すると、野暮になるのだが・・・。

たとえば、一首目のように上句で情景を述べたならば、下句には窓の周辺の季節のモノを置くことが多う、下句で理由を述べることは、しない。短歌では理屈になることを嫌うから。ここで敢えて理由を言うのが香川流。窓が一枚の鏡にようになっていることに注目していて、景が立ち上がる。
二首目三首目は、物事を両面から捉えていることにアイロニーが感じられる。四首目五首目は、二首を並べて物事の両面を表現する。
第三歌集『ファブリカ』は次の二首ではじまる。
 神はしも人を創りき神をしも創りしといふ人を創りき
 人はしも神を創りき人をしも創りしといふ神を創りき
このやり方が、ここでも継承されている。
いちいち言うまでもないが、「グローバルな視点」が欠けている現在の短歌に風を送り続けている作者だと思う。なかなか言いづらいこと、つまり物事の本質を突いてズバリと言った歌を読むことは快感である。自分の脳の思わぬところを押される感じがする。それでいて、八首目のような美しい端正な歌がある。確かな技術でしっかり構築された歌ともに、発見の歌や理屈の歌があることに香川短歌の妙味があると思う。


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